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その7 風呂 

 結局この日の調査は2時間ほどで一旦終了した。

 手ぶらで戻ってきたクラン・荒野の風のメンバー達は一様に疲れた表情をしている。

 実際の疲労もさることながら、捜査の手ごたえの無い事が精神的に堪えているんだろう。


「みんなご苦労様。今日はダンジョン内商会で一泊しましょう。後の調査は夜勤のメンバーに引き継がせるわ」


 荒野の風のリーダー・ケヴィンの孫娘アグネスの言葉に、途端に表情がパッと明るくなるメンバー達。


「ダンジョン内商会に宿泊施設なんてあるのか?」

「もちろんよ。外の旅館より割高になるので普段あまり使う人はいないけど、値段分の価値は十分あると私は思っているわ」


 ふうん。まあ俺としても、強行軍でやって来たあの道のりを、今から帰らなきゃならないというのは気が重かった。

 休めるならそれに越したことはない。


 俺はリーダーのケヴィンの方へと振り返った。

 ケヴィンは俺の言いたい事を察して頷いた。


「こんな事情ですからね。明日の夕食の支度までに戻ればいいですよ」


 よし! リーダーの言質を取った!

 早朝にダンジョンを出て朝食の仕込みに戻るなんて最悪だからな。


「ティルシア姉さんは泊まった事があるのか?」

「いや、私も初めてだ。楽しみだな!」


 チーム・ローグの獣人娘達も嬉しそうにしている。

 この間シャルロッテは「王都にあるボスマン商会の”社員寮”というのはスゴイんだ! 宿屋に金を払って泊まるのが馬鹿馬鹿しくなるぞ!」と言っていたからな。

 ”社員寮”でスゴイのなら専用の宿泊施設はなおの事スゴイに違いない、と思っているんだろう。

 マルティンよ、お前の知らない所でハードルが上がっているぞ。大丈夫か?


 はしゃぐシャルロッテの腕に巻かれた包帯がチラリと目に入り、俺は少しイヤな気分になった。

 しかし、シャルロッテはキズの事はもう忘れている様子だ。元々少し切っただけでそんなに深い傷じゃなかったからな。


 全く、あの時の俺はどうかしていた。なぜあんな事に怒りを覚えたんだか。

 シャルロッテは必要と判断したからああした。それだけの事だ。

 俺にとってこの世界の人間が死のうが傷付こうが知った事じゃない。

 俺がこの世界に来てから、どれだけ酷い目に会わされて来たと思っているんだ。

 この世界のヤツがどうなろうと、いずれ日本に帰る俺には関係が無い事だ。


 嬉しそうなティルシアとシャルロッテを見ながらそんな事を考える俺は、なぜか自分が酷く小さく醜い人間に思えた。




 ダンジョン内商会はダンジョンの中にあるとは思えない程普通の建物だ。

 もちろん建物と言ってもダンジョンの中に家が建っている訳ではない。

 何というか、ダンジョンに作られた入り口の向こうが普通の建物の中になっている、とでも言えば良いのか。

 俺はその景色に、一瞬ここがダンジョンの中である事を忘れてしまった。


「いらっしゃいませ。これはケヴィン様。本日はどのようなご用件で?」


 店員が愛想の良い笑顔で俺達の事を出迎えた。

 日本人の俺にはごく普通の接客態度だが、この世界の人間にはなぜこの店員が笑顔なのか分からないらしい。

 店員が言うには、以前別の客に「何か嬉しい事でもあったのか?」と真顔で尋ねられた事もあったそうである。


「全員宿泊できますか?」

「全員――21名様ですね。少々お待ちください」


 ケヴィンの言葉に店員は奥のカウンターに確認に向かった。




「おいおい、マジかよ」


 俺達は大部屋二つとティルシアとシャルロッテ用に女性部屋を一つ、ケヴィンとアグネス用にもう一部屋を借りる事になった。

 こうして俺はダンジョン夫8人と共に割り当てられた大部屋に訪れたのだが・・・


 マルティンよ、ここまでやるか。


 そこに敷かれているのは”畳”だった。

 そして魔道具の灯りに煌々と照らされているのは、どう見ても日本旅館の和室にしか見えなかった。

 違いと言えば、部屋の隅に装備品を置いておくための場所がある事くらいだ。

 なまじ純和風な作りであるがゆえに、その一角だけが妙に無骨に思えた。

 もっともそう思うのは元ネタを知る俺だけで、他のヤツらは興味深げにあちこち眺めまわしては不思議な作りの部屋に感嘆の声を上げていた。

 俺達を部屋に案内してくれた店員が言った。


「先ずは装備を解いてお風呂で汗を流してはいかがでしょうか」


 風呂だって?! この施設には風呂があるのか?!


 ちなみにこの世界にも風呂はある。だがそれは俺達が普通に想像するような湯に浸かる風呂ではない。サウナのような蒸し風呂だ。

 もちろんこの施設の風呂が蒸し風呂である可能性は十分にある。いや、普通に考えればむしろそっちの可能性の方が高い。


 しかし、ここはマルティンが作らせた施設だ。

 日本人にとって”風呂”といえば、当然肩までお湯に浸かるあの風呂だろう。


 信じているぞマルティン。


 俺は装備を解く手ももどかしく、風呂に入るための支度を済ませるのだった。




「・・・風呂だ」


 信じている、とは言ったものの、やはり俺は信じ切れていなかったらしい。

 俺は風呂の扉を開いた途端、呆けたように立ち尽くしてしまった。

 そこに広がっているのはいわゆる『ザ・銭湯』といった光景だった。


「何でこんなに湯があるんだ?」

「温くないか? 風呂場が広すぎなんだよ。こんなんじゃ汗をかかないだろ」


 未だにここを蒸し風呂と勘違いしている男達が何か言っているようだが、今の俺にはそんな言葉は耳に入っていなかった。

 感動していたのだ。


 ヤバい、これは本気で涙がこぼれそうだ。


 さっきの畳の部屋でもグッと来るものはあったが、俺の実家には和室が無かったせいかそれほどの衝撃は受けなかったのだ。

 だが風呂は別だ。

 この世界の風呂に入る度に、俺はずっと物足りなさを感じていたのだ。



「スゴイぞティルシア姉さん! お湯が溢れているじゃないか!」

「待てシャルロッテ! こういう場所では先に体を洗ってから湯に入るんだ!」

「ティ、ティルシア、私のタオルまで持っていくな!」


 女のキンキン声が響いて来た。

 どうやら隣は女湯のようだ。

 よく見ると、銭湯でよくそうなっているように壁の上に隙間が空いている。


 ――そこまでこだわるか。


 高階位(レベル)が身体能力を生かして覗きをしないように、その隙間は天井との間、僅か数センチの幅しかない。

 マルティンの馬鹿げたこだわりに俺はドン引きしてしまった。そのせいだろうか? いつの間にか、涙がこぼれそうなほどのあの感動もすっかりどこかに消えてしまっていた。


「おい、あれ見ろよ。天井との間に隙間が空いてないか?」


 目ざといヤツが隙間に気が付いたようだ。

 途端に色めきだつ馬鹿共。

 俺は内心でため息をつきながら洗い場に向かった。

 せっかくの風呂なのにこんな馬鹿共の相手をするのは勿体ないからだ。



「ああ・・・これこそ風呂だ」


 俺は体を清めると湯船の中に体を沈めた。

 最初は熱すぎると感じたが、どうやら長い間風呂に浸からなかった事で皮膚が湯の温度を忘れていただけらしい。

 すぐに慣れて今では丁度良いと感じるようになっていた。


 店員の話によると湯を出す魔道具というものがあるらしい。

 この風呂はそれを使った施設なのだと言う。

 燃料である魔石を馬鹿食いするが、幸いここはダンジョンの中。純度にこだわらなければ裏山に薪を拾いに行く感覚で採ってくる事が出来るのだろう。


 湯を出す魔道具か。やはりアーティファクトだろうか?

 自分では一度も見付けた記憶はないが、スタウヴェンのダンジョンも今ではこのシュミーデルのダンジョンに匹敵する50階層のダンジョンになっている。

 ならば条件は同じだ。探す価値は十分にある。


 俺はスタウヴェンに戻ったら50階層をマラソンする覚悟を決めた。


 俺は必死に壁をよじ登ろうとしている馬鹿共を眺めながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。

 というかお前ら前を隠せよ。ブラブラ揺れて目障りなんだよ。



「くそう! 隙間が狭すぎるぜ! 天井とほんの数センチしか開いていないんじゃ覗けやしねえ!」


 馬鹿共はようやく諦めたのか、めいめい洗い場で体を洗い始めた。


「俺はほんの少しだが覗けたぞ」

「マジか! で、どうだった?!」

「・・・向こうの天井しか見えなかった」


 ガックリとうなだれる男達。

 さてそろそろ上がろうか。これ以上はのぼせちまう。

 俺が湯から上がると・・・一人の男が俺の前に立ちはだかった。


「待て。お前、ケヴィンさんに俺達が覗こうとした事を告げ口しに行くんじゃないだろうな」

「はあ? そんな訳ないだろうが。何言ってんだお前」


 男の言葉に馬鹿共が、一斉に色をなして立ち上がった。

 だからブラブラさせんなって。


「一人だけ先に出ようとしているのが怪しい」

「俺達なんてまだ体を洗っている所なのにな」

「俺達が出るまでここで待ってろよ」


 いやいや、お前らが勝手に遊んでて遅くなっただけだろうが。

 それにせっかく汗を流してさっぱりしたのに、何でこんな暑い場所でお前らが出るのを待ってなきゃいけないんだよ。


「それがイヤならお前も覗きにチャレンジしろ!」

「それがいい! この中で覗きに参加してないのはお前だけだからな!」

「そうだそうだ! 諦めて俺達と同罪になれ!」

「何ですか覗きとは?」

「とぼけんなよ、さっき俺達がやってたのを見てただろう? 隣の女湯を覗くんだよ、今ならまだお嬢もいるしな!」

「・・・おい、今のは俺の言葉じゃないからな」


 俺の言葉に黙り込む馬鹿共。

 ヤツらがゆっくりと振り返った先にいたのは、年齢にそぐわない巌のようなゴツゴツとした筋肉に身を包んだ禿頭(とくとう)の男。

 彼らのリーダー・ケヴィンであった。


「あ・・・いえ、その・・・」


 途端に滝のような汗を流す馬鹿共。俺はケヴィンに軽く会釈をすると風呂場を出た。

 俺が後ろ手に扉を閉めるのと男達が一斉に頭を下げたのは同時だった。


「「「「サーセンっしたあああ!」」」」「きゃっ! 何、今の声?!」


 そしてその声に驚くアグネスの声。さっきの男が言っていた通り、まだアグネスは風呂から出ていなかったらしい。

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 『戦闘機に生まれ変わった僕はお嬢様を乗せ異世界の空を飛ぶ』

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