その4 シュミーデルのダンジョン
「君も一緒に来たまえ。なに危険な事は無い、私達がいるからね」
コイツは何を言っているんだ?
俺はクランリーダー・ケヴィンの意図を図り兼ねていた。
先程までこの部屋にいたケヴィンの孫娘アグネスの話では、ダンジョンの8階層で”辻斬り”とやらの犠牲者が出たらしい。
ケヴィンはクランメンバーを連れて今から現場に向かう事に決めたようだ。
それはいい。それはいいのだが、何でそんな危険な場所に料理人として雇われているだけの俺を誘うんだ?
マルティンの情報によるとケヴィンは『見切り』というスキルを持っているらしい。
これはマルティンの『鑑定』を不発にしてしまう、『鑑定』に対するメタのようなスキルなんだそうだ。
つまりマルティンはケヴィンの正確な情報を知らない事になる。
(もしやケヴィンは、マルティンも知らない探知系のスキルを隠し持っているのか?)
ケヴィンはそのスキルで俺のスキルを盗み見た事で何か警戒しているのかもしれない。
その想像に俺は雷撃に撃たれたようなショックを受けた。
可能性としてはもちろんゼロではない。
実際にマルティンも『鑑定』の他に『交渉術』という二つのスキルを持っている。
スキルを二つ持っている人間はこの世界にわずかだが存在するのだ。ケヴィンもマルティン同様、誰にも知られていないスキルがあってもおかしくはないだろう。
「君もこのクランで働くのなら調理場以外の仕事も見ておいた方がいいだろう。確か”新入社員研修”とか言うんだったかな」
日本人転生者のマルティンは、この異世界フォスで日本のシステムを数多く導入している。
”新入社員研修”もその一つだ。
ティルシアも受けたというその内容は、仕入れから販売員、事務に雑用からなんと開発まで、ボスマン商会のほぼ全ての業務に渡っているという。
マルティンのボスマン商会と付き合いの深いケヴィンだ。同じことをしようと考えても特に不自然ではないが・・・
「・・・分かった。支度をして来る」
この場でいくら考えても判断は付かない。俺は取り合えずケヴィンの話を了承した。
ここでごねて変に疑われても困るからだ。
ケヴィンの部屋を出る際に、俺は背後をそれとなく振り返ったがケヴィンは自分の支度を始めていて、もう俺の方に注意を払っていなかった。
俺の考え過ぎか?
俺は静かに部屋のドアを閉めた。
アグネスが集めたクランメンバーは20人程だった。
電話もメールも無いこの世界では、大至急集められるのは建物内をうろついているヤツらくらいだ。
ティルシアとシャルロッテもその中にいた。
もし仮に、ケヴィンがダンジョンで俺を始末しようと考えていたとしても、彼女達がいれば時間を稼いでもらう事は出来るだろう。
俺は味方が増えた事にひとまずは安心した。
そんなティルシア達だが、二人共なぜ俺がこの場にいるのか分からずに不思議そうな顔をしている。
まあ俺にも良く分かっていないんだ。当然だな。
「リーダー、これで全員です。後の者は酔い潰れていて使い物になりそうにありません」
そういう事か。夕食後だもんな。そう考えれば、これだけシラフのヤツが残っていただけでも大したものか。
いや、息が酒臭いヤツも中にはいる。潰れていないだけ使えるという事か。
ケヴィンはアグネスの報告に頷いた。
ちなみにケヴィンの装備は全身ミスリル製で固められている。
流石に純度が低い物がほとんどだが、もしスタウヴェンの町をこの恰好で歩いたら、涎を垂らしたダンジョン夫達がぞろぞろと後ろを付いて回って大変な事になるだろう。
「これからダンジョンに向かう。事情は移動中に説明する」
「「「「「おう!」」」」」
男達の声が部屋の空気を震わせた。
まるでヤクザ映画の出入りのようだな。
ダンジョンの中を強行軍で進むクラン・荒野の風。
まだ2層目だが既に俺の息は上がっている。
ティルシアとシャルロッテがそれとなく俺の脇についた。
「大丈夫かハルト」
「ハア、ハア、分からん。ハア、ハア、もう喋らせるな」
いつもなら手ごろなモンスターを倒して階位を上げる所だが、荒野の風のメンバーの前でそれをやる訳にはいかない。
俺は階位1のザコ能力のまま必死にメンバーに食らいついて行った。
俺達はダンジョン内商会のある5階層で一度休憩を挟むと、その後は一気に8階層へと向かった。
途中で遭遇したモンスターは、アグネスを中心としたダンジョン夫達が手際よく始末していく。
その度に行軍は止まる事になったが、正直これがなければ俺は付いて行けなかっただろう。
俺はケヴィンの誘いに乗ってダンジョンに入った事を本気で後悔した。
今もティルシアが岩の塊のようなモンスターと戦っている。
俺は後方で肩で息をしながらその様子を見ていた。
俺の心に、地面に座り込みたい、という欲求が沸き起こって来るが、あの様子なら直ぐにでも戦闘は終わるだろう。
座った途端に立ち上がる事にでもなれば流石に気力が萎える。
俺が密かにそんな葛藤をしている間にも、ティルシアの剣がモンスターの岩の装甲の継ぎ目に突き立った。
もんどりうって倒れる岩モンスター。
運動をつかさどる神経か、あるいは重要な筋を切られたのか、岩モンスターは立ち上がる事も出来ずにジタバタともがいている。
俺の近くの男がティルシアの妙技に「ほう」と声を上げた。
「あの獣人の子やるな。剣で岩ゴーレムを相手するのはかなりの慣れが必要なんだ」
あの岩モンスターはゴーレムだったのか。
男が言うにはこのシュミーデルのダンジョンは階層が下がるごとに、こういったゴーレム系のモンスターが増えるらしい。
ティルシアはシャルロッテの名前を呼んで退くと、入れ替わるようにシャルロッテが前に出た。
どうやらティルシアはシャルロッテに経験を積ませる事にしたようだ。
ティルシアを見習って装甲の継ぎ目を狙うシャルロッテ。
暴れまわるゴーレムに何度か狙いを外してはじかれながらも、シャルロッテは無事にゴーレムを始末する事に成功した。
残心を解いて武器を仕舞うティルシア達にアグネスが声を掛けた。
「二人共いい腕ね」
「そうか。だがこの先は私達は援護に回るべきだろう。そこのそいつが前に出た方が効率がいいはずだ」
ティルシアが指差したのは、さっきティルシアの剣技に感心していた男だった。
どうやら男はティルシア達の腕前を見るためにあえて手を出さなかったようだ。
男はばつが悪そうに頭を掻きながら隊列の前に出た。
「確かにゴーレムには剣より俺のハンマーの方が効果的だ。いいですねお嬢」
「任せるわ。カールとラルフもお願い。三人で先行して頂戴」
アグネスの指示に従ってテキパキと動くダンジョン夫達。
リーダーのケヴィンはさっきからずっと何も言わない。本当にダンジョン夫達の事は全部孫娘に任せているんだな。
そして男達と入れ替わるように、ティルシア達が俺のそばまで下がって来た。
俺はティルシアに声を掛けた。
「さっきのモンスターはゴーレムらしいぞ」
「ゴーレム? それはどんなモンスターなんだ?」
知らずに戦っていたのか。
・・・いや、そういえば俺もゴーレムという名前以外何も知らなかった。
ゲームでは定番モンスターだったので知っている気になっていたが、この世界では初めて見るモンスターだった。
スタウヴェンのダンジョンではこの手のモンスターはいなかったからな。
ティルシアは呆れ顔になった。
「何だ、ハルトも知らないんじゃないか」
「ハルト、姉さん、みんなが出発するぞ」
シャルロッテに声を掛けられ、俺はため息をつきながら重い足を前に出した。
「この先が8階層だ」
ティルシアに言われて俺は顔を上げた。
肺は酸素を求めて喘ぎ、とてもじゃないが今は返事は出来ない。
霞んだ俺の視界の先にはダンジョンの階層間の階段が見えた。
ようやくたどり着いたか。
俺は危うく気持ちが切れて膝から崩れそうになった。
シャルロッテが横から手を出して俺の体を支えてくれなければ、本当にこの場に倒れていたかもしれない。
もうこんな強行軍はコリゴリだ。早く終わらせて帰りたい。
だがそんな弱音を吐いているのは俺だけだった。
クラン・荒野の風のメンバーはこれからが本番と気を引き締め、階段へと足を踏み入れたのだった。