その3 ケヴィン
夕食は相変わらず好評だったらしい。
らしい、と言うのは食事時間の俺の仕事はずっと皿洗いだからだ。
この世界には未だに水道が完備されていないので、水は井戸で汲んで来たものを家に運んで使っている。
とはいえ、そこは三大クランの一つ荒野の風。中庭に専用の井戸が掘ってあるのだ。
共同井戸を使っている俺の家とはえらい違いだな。
ともあれ、これのおかげでわざわざ共同井戸まで洗いに行かずに済む。
俺は洗い物の入ったタライを持って中庭に行き、洗い終わるとそれを持って厨房に戻り、また洗い物の入ったタライを持って中庭に行く、という作業を繰り返していた。
正直キツイと言えばキツイ作業なのだが、所詮は百人そこそこの人数分の皿でしかない。
ここが料理屋で一日中となれば別だが、キツくなって来たと思った頃に終わる程度の作業量だ。
そんな感じで、そろそろキツくなってきたと思い始めた頃に、ティルシアが中庭に姿を現した。
「よお。さっきクランリーダーのケヴィンに呼び出されていなかったか?」
俺は単刀直入に本題に入った。
ティルシアもやはり単刀直入に切り返した。
「それよりスープの量を増やしておいてくれと言っておいただろう。どうしてお前はいつもの量しか作らないんだ」
・・・どうやら俺の本題とティルシアの本題は違っていたみたいだ。
そもそもそんな事を俺に言っても仕方が無いだろう。
「文句なら料理長に言ってくれ。俺は言われた仕事をしているだけだ」
「むうっ。仕方が無いな。それで何の話だったか?」
「おい!」
お前本当にこの町まで何しに来たんだ? 頭に回るべき血が全部胃袋に行ってるんじゃないか?
「ああ、ケヴィンの話か。大した事じゃなかったぞ」
ティルシアが言うにはボスマン商会の事についてチラホラ聞かれただけだったそうだ。
どうやらケヴィンは王都の本店の、というかマルティンの今後の方針等を聞いておきたかったらしい。
俺もこの町に入って気が付いた事だが、マルティンは俺の予想以上にここのダンジョンに出資していた。
このクラン・荒野の風もその一つで、マルティンはこのクランに自分の商会で使う素材の採取を任せるだけではなく、ダンジョン警察という自警団活動をさせることで、ダンジョン内の治安の維持にも努めていた。
実際彼らによってダンジョン内での負傷者や行方不明者の数はグッと減ったのだという。
そりゃあ治安の悪いダンジョンにダンジョン内商会なんて作る訳はないか。
ちなみにダンジョン内商会だが、ダンジョンの中の一区画全てを商会の店舗にしているらしい。
実はこれは驚くべき発見だったりする。たまたまなのかもしれないが、初めて詳しい事情を聞いた時には「良く気が付いたな」と感心したものだ。
この世界では知られていない事だが、モンスターはダンジョン内のマナが凝縮して発生する魔法生物だ。
ダンジョンの袋小路にそれなりのスペースがあるとそこにマナが蓄積される。
その凝縮したマナから誕生するのがモンスターなのだ。
だからモンスターは大気中のマナさえ十分にあれば食事を必要としない。
ヤツらが人間を襲うのは単に狩猟本能を満たすためでしかないのだ。
さて、そんなモンスターだが、さっきも言ったが誕生するためにはマナの吹き溜まりが必須となる。
そしてダンジョンの地形によっては、そういった吹き溜まりが出来にくい場所がある。
マルティンは独自の調査でモンスターの分布の偏りに気が付き、モンスターの生まれない場所に気が付いたのだろう。
そして何をどう考えたのか、そこにダンジョン内商会を作ったのである。
もちろん同じ階層でも、マナの吹き溜まりになった場所にはモンスターが生まれるので、そいつらの駆除は続ける必要がある。
それに品物自体は地上から運び込まなければならない。
しかし、そんなハンデをものともせずにダンジョン内商会はダンジョン夫達に受け入れられたのだ。
それはそうだろう。誰だって重たい荷物を抱えて家からダンジョンの奥まで歩くのは面倒なのだ。
ダンジョン内商会には食べ物や水があるだけだけではなく、ちょっとした消耗品まで売っているんだから、これを利用しないヤツはいなかった。
もちろんどれも外よりは随分と割り増し料金なのだが、ダンジョン夫は危険と隣り合わせなだけに一般的な仕事よりも儲けがいい。
そして金をケチるヤツはかっこが悪い、という馬鹿げた価値観の持ち主でもあった。
多分マルティンは、ダンジョン内にコンビニを作る、という発想だったんだろう。
いかにも日本人的な発想だが、このアイデアは当たり、ダンジョン内商会は大成功を収めたのだった。
ちなみにクラン・荒野の風の仕事の一つは、ダンジョン内商会に商品を届ける宅配業である。
さっきのダンジョン警察事業と相まって、町の人間の中には、ダンジョン内商会は荒野の風が運営している店だと勘違いしている者もいるそうである。
「それでティルシア。お前の印象はどうなんだ? ケヴィンに怪しい所はありそうか?」
「ああ、証拠は全く無いが、ケヴィンはクロだな。シャルロッテも私と同じ意見だ」
ティルシアにあっさりと断定されて、俺は思わず手にした皿を取り落とす所だった。
「証拠は全く無いって・・・だったら何でそこまで言い切れるんだ?」
「そうだな。カンかな」
カンってお前・・・
だがティルシアもその事は自覚しているみたいだ。
「ケヴィンが何か隠しているのはおそらく間違いない。しかし私とシャルロッテではシッポを掴む事は出来ないだろう。ここはやはり最初の予定通りにハルトに頑張ってもらう他ないな」
そう言ってティルシアは大きく頷いた。
お前は俺を何だと思っているんだ? 俺はダンジョンの外では単なる階位1のクソザコに過ぎないんだぞ。
俺が本当にケーシー・ラ○バックだったらどうとでもなったのかもしれないがな。
・・・馬鹿げている。
俺はかぶりを振って、そんな下らない考えを頭から追い払った。
どうやら俺もこの町にいる間にマルティンの考え方に毒されてしまったようだ。
俺は食事の乗った盆を片手に持ち直すと部屋のドアをノックした。
「どうぞ」
中から聞こえて来たのは太い男の声。この部屋はクラン・荒野の風のリーダー・ケヴィンの部屋だ。
クランでも役職付きの幹部は、こうやって食事を自室に運ばせてそこで食べる事になっている。
何を偉そうに、と思わないでもないが、実際に偉い奴らだからな。
それに食堂に偉い人間がいては下の人間も落ち着かないのだろう。
俺は緊張しながらドアを開けた。
俺は初めてこの部屋に入ったが、部屋の中は思っていたよりも質素だった。
こんな大手クランの――というよりマルティンから大分稼がせてもらっているクランの――リーダーをやっている男の部屋とは思えないほどだ。
生活に必要な家具にちょっとした調度品。あれはケヴィンの装備品か? それとこのダンジョンで見付けたと思われる、わずかばかりのアーティファクト。
さほど広くも無い部屋にあるのはその程度のものだった。
「三大クランのリーダーの部屋とは思えない粗末な部屋に驚きましたか?」
「あ、いや、そんな事はない」
「この部屋に始めて訪れた人はみんな君のような顔をしますよ」
俺が驚いて立ち止まっていると、部屋の主――ケヴィンはそう言って笑った。
その声に俺は自分の仕事を思い出し、慌てて部屋に入ると机の上に手にした料理を置いた。
「いい匂いですね。このスープに今日採って来た香辛料が使われているんですか?」
「ああ、そうだ。全部がそうという訳じゃないが」
ケヴィンの物腰は柔らかで、息子にクランを任せて一線を退いた元リーダー、といった雰囲気だった。
本当にこの男が今でもこのクランのリーダーなんだろうか? 俺の目には温厚な趣味人か何かにしか見えないが。
ケヴィンはスプーンを取るとスープを一口すすった。
「うん。これは美味い。エーレンフリートが惚れ込む気持ちも良く分かりますね」
「・・・アイツは俺の腕を買い被り過ぎなんだ」
どうもこの男と話していると調子が狂ってしまう。
俺は盆を手に部屋を出ようとした。
その時、俺の目の前で部屋のドアが勢いよく開いた。
「お爺様! ヤツが――あっ! ごめんなさい」
ノックもせずに部屋に飛び込んで来たのはケヴィンの孫娘アグネスだった。
俺達は危うく衝突しそうになり――アグネスにひらりと躱された。
今の常人離れした動きからすると、アグネスはティルシアと同じ階位5はありそうだ。
流石クランのダンジョン夫の取りまとめ役を任されているだけの事はあるか。
全く、この町のダンジョン夫達は化け物揃いだな。
「お爺様――ゴホン。リーダー! ヤツが出たの! ”辻斬り”よ!」
辻斬り?
物騒な言葉に俺はその場に立ち止まった。
「・・・見つかったのですか?」
その瞬間部屋の空気が一気に張り詰めた。原因は言うまでもないだろう。ケヴィンだ。
温厚な趣味人? 馬鹿を言え。俺の目は何処についているんだ。
俺は一気に背中に汗が噴き出したのを感じた。
「いいえ。でも犠牲者の遺体が見つかったの。それも3人。ダンジョンの8層よ」
「クラン・ドルヒ&シルトの縄張りですか。ちょっとばかり厄介な事になるかもしれませんね」
不機嫌そうに言葉を漏らすケヴィン。まるで腹をすかした野獣のうなり声のようだ。
クラン・ドルヒ&シルトは三大クランの一角だ。
荒野の風、フェスタビンドゥン、ドルヒ&シルト、で三大クランと呼ばれている。
クランの規模も今言った順番で、ドルヒ&シルトは荒野の風とフェスタビンドゥンに対して強いライバル意識を持っていると聞いている。最大クランである荒野の風に対しては特に思う所があるようだ。
「アグネス、みんなを集めなさい。今からダンジョンに向かいます」
「! 分かったわ!」
リーダー自らが出るのか?!
辻斬りがどういう事を意味しているのか分からないが、どうやら厄介事が起こったのは間違いないようだ。
仲間を集めるために急いで部屋を飛び出すアグネス。
俺も彼女に続いて部屋を出ようとしたが、そんな俺をケヴィンは手を上げて引き留めた。
「君も一緒に来たまえ。なに危険な事は無い、私達がいるからね」




