その5 ダンジョン協会職員ヨハンナ 後始末
◇◇◇◇ダンジョン協会職員ヨハンナの主観◇◇◇◇
「テメエ! よくも仲間をやりやがったな!」
仲間を傷付けられた怒りに燃える赤毛の剣が、謎の全身ミスリル装備男、迷宮騎士に叩きつけられました。
烈火のごとき激しい攻撃を受け止めながら、迷宮騎士は巧みに体を入れ替えて、他の二人が彼らの戦いに参戦する隙を与えません。
私は剣術には詳しくありませんが、これって凄い事なんじゃないでしょうか?
彼の技量は完全に赤毛を翻弄しているように見えます。
赤毛も最初の激情が覚めると、自分の劣勢に気が付いたのでしょう。明らかに焦りの表情が浮かびました。
今は息を切らせながらもガムシャラに攻め続けていますが、そんな攻撃がさほど長く続けられるとは思えません。
疲れで手が止まったその時、彼の負けが決まるのではないでしょうか?
そしてその時はすぐそこに迫っているように思えました。
「女を人質に取れ!」
赤毛の指示に二人の男がハッと我に返りました。
私は慌てて逃げようとしますが、男達に乱暴された時に足首を痛めていたのか、激しい痛みに転倒してしまいました。
男の一人が私の髪を掴もうとして――
「ぐわっ!」
一声叫ぶと私の隣に倒れ込みました。
男の背中からは白銀の剣が生えていました。
迷宮騎士が咄嗟に手にした剣を男に投擲したようです。
しかしこれで 迷宮騎士に武器はありません。そして男はもう一人います。
もう一人の男の手が私に伸びて――
「ぎゃあああああ!」
突然男の上半身が燃え上がり、男は火だるまになってのたうち回ったのでした。
「テ・・・テメエ今何しやがった?!」
赤毛が迷宮騎士を見て怯えています。
迷宮騎士は左拳を前に突き出して立っているだけに見えます。
彼が何かやったんでしょうか?
「ふう・・・ まさかこんなヤツらに奥の手を使うはめになるとはな」
迷宮騎士は、どこか諦観を漂わせながら、大きなため息をつきました。
その様子は、もう彼らなど眼中にないといった感じで、怯える赤毛と酷く対照的でした。
迷宮騎士はどこか冷めた態度で赤毛に左拳を向けました。
拳を向けられた赤毛は尋常ではない怯えようです。
本当に何があったんでしょうか?
迷宮騎士は私が不思議そうな顔をしているのに気が付いたのでしょう。
こちらをチラリと見ると私に言いました。
「俺が良いと言うまでこっちを見るな」
「は・・・はい!」
私が顔を伏せるのと「ぎゃあああああ!」という男の悲鳴が聞こえるのは同時でした。
少しの間ギュッと目を閉じていると、やがて迷宮騎士の「もういい」という声が聞こえました。
恐る恐る目を開けると、そこには上半身が焼け焦げた男の死体が転がっていました。
おそらく赤毛の死体でしょう。
焦げ臭いイヤな匂いが辺りに充満していました。
迷宮騎士は背中に剣が刺さった男に近付くと、男の背中から剣を引き抜きました。
彼は額にびっしりと汗を浮かべながら顔面蒼白になった男の背に、引き抜いたばかりの剣を無造作に振り下ろしました。
断末魔の悲鳴を上げてこと切れる男。
次に迷宮騎士は負傷した脇腹を押さえたまま怯えた目でこちらを見上げる男に近付くと、乱暴に男の髪を掴んで顔を上げさせました。
男は涙を流しながらフルフルと小さくかぶりを振ります。
しかし迷宮騎士は躊躇なく男の喉に剣を突き立てました。
男は一言も発する事もなく絶命しました。
こうして私を襲おうとした4人組は迷宮騎士の手によって一人残らず殺されたのでした。
男の喉から剣を引き抜くと、迷宮騎士は返り血を浴びた面頬を私の方へと向けました。
そのスリットの奥から覗く冷たい視線に私の背筋はゾクリと震えました。
そしてこの時、私は何故か確信しました。
迷宮騎士は私も殺しておくべきか考えている!
彼は私を助けに来てくれたんじゃないの?
あるいは彼には赤毛達を殺すために来ただけで、私がこの場にいたのは彼にとってもイレギュラーだった?
それとも私を殺さないといけない理由が何かあるのかも?
長い長い沈黙の時間――実際は1秒か2秒程度だったのかもしれませんが――の後、迷宮騎士は私から目を反らすと何も言わずにダンジョンの奥へと走り去って行きました。
それは現れた時と同じ、あっという間の出来事でした。
彼の白い後ろ姿が薄暗いダンジョンの奥に消えた時、私はようやく緊張感から解放されてその場に手をついて嘔吐したのでした。
やがて先輩がダンジョン夫達と共に私を捜しにやって来ました。
4人もの死体の転がる凄惨な現場に辺りは一転緊張に包まれましたが、私の話を聞いて取り合えず今日はダンジョンから出る事になりました。
4人の死体からは無事な装備品がはぎ取られ、一旦ダンジョン協会が管理する事になりました。
先輩が言うにはそもそもの原因が原因だけに、私の証言が認められた場合、全ての装備品は私の物になるだろうとの事でした。
正直見るのもイヤなので、ダンジョン協会が代わりに換金してくれないでしょうか?
後で頼んでみる事にしましょう。
一部のダンジョン夫は迷宮騎士の装備の話を聞きつけ、目の色を変えて捜査をするべきだと訴えましたが、先輩が私の気が動転していて白い装備をミスリルと勘違いしたんじゃないかと説明した事で渋々引き下がってくれました。
見間違いと言われて私としては釈然としないものがありましたが、一刻も早くダンジョンから出たいと思っていたのであえて何も言い返しませんでした。
私が先輩に肩を借りて、痛む足を引きずりながらダンジョンの入り口を目指していると、背後で金属の立てるガシャリという音がしました。
何気なく振り返ると、そこには行きと同じように大きな荷物を背負ったハルトさんが歩いていました。
私は不思議と彼から目が離せなくなり、ぼんやりと彼の歩く姿を見つめていました。
そんな私の視線が気になったのでしょう。ハルトさんは無言で足を速めると私達を抜き去って行きました。
気のせいでしょうか?
すれ違った際に私はハルトさんの体から鉄さびのような――血の匂いを嗅いだような気がしました。
あれから数日が経ちました。
私の足のケガは治り、夜中にあの日の事を夢に見て跳ね起きる事も無くなって来ました。
どうやら私は、自分で思っているよりタフな精神の持ち主だったみたいです。
あの日。ダンジョンから出た私達は、駐留兵の人達に事情聴取を受けました。
そしてその日のうちに解放されました。
人が4人も死んだというのにこれでいいんでしょうか。
しかし、そう思ったのは私だけだったみたいです。ダンジョン夫の人達も特に何とも思っていない様子でした。
ダンジョンの中の事は自己責任。
私はその事を思い知らされました。
そういえば以前、ダンジョン夫はダンジョンの中ではトラブルを避けるため、他のダンジョン夫を見付けても近付かないと聞いた事があります。
ダンジョンの中では人間もモンスターと変わらないのかもしれません。
ちなみにあの後、迷宮騎士の噂を聞きつけて多くのダンジョン夫達が1階層をくまなく捜し回りましたが、誰も彼の姿を見付ける事は出来ませんでした。
しかし欲に目の眩んだダンジョン夫達が1階層をほぼ隅々まで網羅した結果、1階層の地図は協会で思っていたよりも早く完成する事が出来ました。
思わぬ 迷宮騎士効果という訳ですね。
私としては、自分を助けてくれた迷宮騎士がみんなに良いように利用されているみたいで、何だか釈然としませんでしたが。
ちなみにこの調査結果を受けて、ダンジョンが予想外の範囲にまで広がっている事が判明しました。
正確な所はまだ分かっていませんが、どうやらダンジョンはこの町の真下にまで届いているようです。
これは驚くべき事態です。
協会は至急ダンジョン夫の人達に緘口令を敷きましたが、正直あの人達がいつまで黙っていられるかは分かりません。
現在、協会からの報告を受けた代官様が、領主様に知らせるべく早馬を飛ばしています。
先輩達の話では、領主様の判断次第で、最悪この町を破棄する事になるかもしれないとの事です。
そうしておいてから、ダンジョンの範囲外に新たな町を作り直す事になるんじゃないかと言っていました。
「領主様は決断するでしょうか?」
「ダンジョンの規模次第だな。もしこの町のダンジョンが巨大なダンジョンだった場合、そこから上がる利益は莫大なものになる。町一つ作り直すための十分な理由になるだろうな」
この町は私のお爺ちゃんが子供の頃より前からずっとここにありました。その町が無くなって近くに新しい町が作られると言われても、私にはどうしても想像する事が出来ませんでした。
「何にせよ領主様のご判断次第だ。それに今日明日に町が無くなるって話じゃない」
先輩はそう言って肩をすくめましたが、その表情は不安そうに見えました。
このスタウヴェンの町に大きな転換期が迫っている――
ひょっとしたら迷宮騎士はその先触れだったのではないでしょうか?
私は大きな不安に、息苦しさすら覚えるのでした。
次回「エピローグ 後日談」