その3 ダンジョン協会職員ヨハンナ ダンジョン
◇◇◇◇ダンジョン協会職員ヨハンナの主観◇◇◇◇
翌日。私は緊張に何度も唾を飲み込みながらダンジョンを目指していました。
私の周りにはダンジョン夫の皆さんも歩いています。
彼らは今日の地図作りに参加する人達です。
「そんなに構えなくても、大して危険は無いから」
「わひゃってます!」
心配して声をかけてくれた先輩職員に対して、私は裏返った声で返事をしてしまいました。
先輩はそんな私に苦笑するしかない様子です。
ううっ。どうもすみません。
今日、私達が入るのはダンジョンの1階層。
今まで1階層のモンスターはスライムしか確認されていません。
スライムは動きの遅い、待ち伏せで獲物を捕らえるタイプのモンスターです。
つまり、油断して近付きさえしなければ、危険は無いという事です。
いえ、私も理屈では分かっているんですよ。でもやっぱりこの町で生まれ育った私としては、子供の頃からずっと、ダンジョンは危険だから入ってはいけない、と教えられて来た記憶が足を引っ張るんですよ。
親が子供を躾ける時に「そんな悪い事をする子はダンジョンに捨てて来るよ!」と脅すのは、この町では当たり前の光景なんですよ。
ガチャリ、という音が耳に入り、私は後ろを振り返りました。
黒髪の男の人が大きな荷物を背負って歩いています。
ティルシアさんのチームリーダーのハルトさんです。
さっき聞こえた金属のたてる音は彼の背負った荷物からしたみたいです。
それにしても今日は地図作りのはずですが、彼は何故こんな大荷物を背負っているんでしょうか?
「あ、ホラ、ダンジョンが見えて来たよ」
先輩の声に私は視線を前に戻しました。
ダンジョンの入り口には大きな門のようなものが取り付けられています。
ダンジョンの中のモンスターが外に出ないように作られたと聞いていますが、過去にダンジョンからモンスターが外に出た記録は無いんだそうです。
それでもわざわざお金をかけてこんなものを作っているのは、町の人間に対して「ちゃんと備えをしていますよ」と安全をアピールするためだと聞いています。
口の悪い人は、勝手にダンジョンに入って素材をくすねる人間がいないか見張るためだと言っていますが。
実際に門の近くにはいつも領主様の所の駐留兵の人達が立っていて、許可なくダンジョンに立ち入る人がいないか見張っているのです。
その時先輩が軽く舌打ちをしました。
先輩の視線の先には大きな柵が見えます。
私は初めて見ましたが、あれがデ・ベール商会のトンネル工事の現場なのでしょう。
ここからでは見えませんが、柵の中にはダンジョンの天井まで続く穴が掘られているはずです。
先輩は苦々しい表情で高い柵を睨んでいました。
「ダンジョン協会の者です。今日は夕方まで1階層で会員の作業を見守る予定です」
先輩が駐留兵の方にそう告げると、彼らは横柄な態度で私達をジロリと見ました。
「よし、行け。次」
ダンジョンの門を潜ると石の階段が続いています。
門と違ってこの階段は誰かが作ったものではなく、ダンジョンに自然に作られたものなんだそうです。
綺麗に等間隔に作られたこの階段が自然に作られた物だなんて、ダンジョンって本当に不思議な存在ですよね。
ダンジョンの通路は狭い所で大人がすれ違える程度。広い所だと馬車が二台並んで走れる程の広さがあるといいます。
洞窟のような見た目ですが、十分な空間があるせいかさほど圧迫感は感じません。
足元の壁はぼんやりとした不思議な光を放っています。この光のおかげで私達は松明も持たずにダンジョンの中を移動する事が出来るのです。
空気は意外と清浄で、少し埃っぽい気もしますが心配していたほどの違和感はありませんでした。
私にとっての初めてのダンジョンは、思っていたより悪くない、そんな感じでした。
少しリラックスしてきた私はふと目に入った横道を覗き込んで――急に肩を掴まれて後ろに引かれました。
「きゃっ! ――あっ!」
私と入れ替わるように前に出た黒髪の男性ーーハルトさんが私が手をつこうとした壁に向かってナタを振りました。
彼の攻撃を受けて、壁に張り付いていたスライムが真っ二つになってドロドロに溶けていきました。
「スライムは壁や天井に張り付いている事もある。気を付ける事だ」
「あ・・・ありがとうございます」
ハルトさんはナタを腰に差すと通路を進んで行きました。
私がハルトさんの背中を見ていると、近くでクスクスと笑い声が上がりました。
「馬鹿かアイツ。スライムを切ったくらいでカッコ付けてんじゃねーよ」
「しかも偉そうに注意までしてたぜ。マジかっこワリー」
ハルトさんをあざ笑っているのは例の4人組のダンジョン夫達です。
私が非難する目で彼らを見ると、彼らは私の視線に気が付いてこちらを挑発的な目で睨んで来ました。
私が彼らの視線に怯えて思わず目を伏せると、彼らは馬鹿にしたような笑い声を上げました。
私は悔しさと情けなさに歯を食いしばる事しか出来ませんでした。
「この辺からはじめようか。半時(約一時間)経ったら一度この場所に集合する事」
先輩の言葉でダンジョン夫達は三々五々通路の先へと散って行きました。
「しばらくは動きもないだろうから今の間に休憩にしよう」
そう言って先輩は床に荷物を置くと、適当な場所に腰を下ろして水袋から水を一口含みました。
私も彼に倣って腰を下ろすと、不安げにキョロキョロと辺りを見渡しました。
「今からそんなに気を張っていると一日もたないぞ?」
「そ、そうですね。アハハハ」
とは言ったものの、モンスターの徘徊するダンジョンの中で休憩出来るほど、私はまだダンジョンに慣れていないんですよ。
先輩は肩をすくめると地図を広げて何やら書き込み始めました。
その姿を見て、私も慌てて地図を見て現在位置のチェックを始めるのでした。
「ちょっといいかな、この通路なんだが――」
「コイツの描いた地図と俺の地図が合わないんだがなんでだろうな?」
「香料の採取ポイントなんだがどう書いときゃいいかな」
私達がのんびり出来ていたのは最初だけで、ダンジョン夫達が戻って来た途端に、来るわ来るわ。次から次へとダンジョン夫達からの質問が私達に浴びせられました。
というかあなた達、本当に副会長さんの話を聞いていたんですか?
質問の大半はちゃんと聞いていれば分かる事ばかりなんですけど。
どうやら副会長さんの懸念は正しかったみたいで、ダンジョン夫の多くは説明をちゃんと理解出来ていなかったみたいです。
「これでいいか?」
「だから説明を――あ、ちゃんと出来てます。そう、これでいいんです!」
そんな中、ハルトさんの描いた地図はちゃんと指定の通りでした。
私の謎の上から目線に苦笑いするハルトさん。
ごめんなさい。でも他の人達の相手をしていたものでつい。
「これ誰が描いたんですか? ちょっと良く分からないんですが」
「ああ、それ俺のだわ」
私が手元の地図を掲げてみせると、返事をしたのはあの赤毛の男の人でした。
私は苦手意識が頭をもたげて思わず身構えてしまいましたが、だからといっていい加減な仕事を見逃すわけにはいきません。
私はなるべく彼らの目を見ないようにしながら問題点を指摘しました。
「こことここが繋がってないじゃないですか。ここってどうなっていたんですか?」
「いやいや、マジでそう描かないとしょーがなかったんだって。アンタも実際に見れば分かるから。そうだ、今から見に行こうぜ。どうせすぐ近くだし見りゃ俺の言いたい事が分かるからよ」
ヘラヘラと笑いながら口答えする赤毛の男の人。
彼は私の手を掴むと凄い力でグイグイと引っ張って行きました。
「ちょ、何するんですか! 手を離して下さい!」
「すぐそこだっつーの。いいから付いて来りゃ分かるって」
私は助けを求めるために先輩の姿を捜しましたが、大勢のダンジョン夫が一斉に彼を取り囲んでいるため、どこにいるのか分かりませんでした。
こうして私は助けを呼ぶための貴重な時間を無駄にした挙句、赤毛の人引きずられて強引に見知らぬ通路に引っ張り込まれてしまったのです。
次回「ダンジョン協会職員ヨハンナ 迷宮騎士」