その1 ダンジョン協会職員ヨハンナ 緊急依頼
◇◇◇◇ダンジョン協会職員ヨハンナの主観◇◇◇◇
「おはようございま・・・す?」
ダンジョン協会の倉庫の二階には、協会の職員が働く事務室があります。
今朝もいつものようにそこに出勤した私は、部屋に漂う異様な雰囲気にのまれてしまいました。
「あの・・・何かあったんでしょうか?」
私は声をひそめると比較的年齢の近い先輩職員に尋ねました。
「ダンジョンの上層の調査。あれの結果が思わしくなかったらしいよ」
最近、協会に寄せられる報告の中に、協会の作ったダンジョンの地図と実際の通路との食い違いを指摘するモノが多くなっていました。
特に駆け出しの方が多く入る上層での報告が多く、最初のうちはダンジョンに慣れない彼らが地図を見間違えたのではないか、との指摘も多かったのですが、あまりに報告事例が重なった事でついにダンジョン協会も重い腰を上げて、ダンジョンの調査が依頼されたのでした。
どうやらその調査の結果が芳しくなかったようです。
「まだ1階層の調査しか進んでいないけど、今までの地図の10倍の面積に広がっている可能性があるって」
「10倍?!」
私の叫び声に先輩達が振り返りました。
私は小さくなって身を隠しました。
「どうして今まで誰も気が付かなかったんでしょうか?」
「さあ? 今の地図は先代の領主様が作らせたものだからね。知ってて秘密にしていたのか、あるいは何者かが町の人間に隠れてダンジョンの拡張を行っていたのか」
ダンジョンの拡張工事ですか。そんな話は聞いた事が無いですし、先代の領主様が隠していたという方がまだありそうな気がしますね。
「仮にそうだったとしても、何で今まで誰も気が付かなかったんだ、って話になるよね」
「そうですよね・・・」
「俺はデ・ベール商会が怪しいと睨んでいる!」
「おい、よせ。どこで耳に入るか分からんぞ」
ベテランの先輩達が何か話していますね。
「絶対あいつらが何かやったに違いない! デ・ベール商会がダンジョンに穴を開ける工事をしているのは知っているだろう!」
デ・ベール商会はこの町の最大の商会であり、実質的にこの町の流通を独占している商会です。
最近デ・ベール商会はダンジョンに縦穴を掘って、中層と呼ばれる4階層まで直通させる工事を始めました。
噂ではこの縦穴が開通したら、商会は自分達で雇った作業員を直接中層に送り込んで素材の独占を図るつもりなんだそうです。
そんな事をされたらダンジョン協会としては商売あがったりになってしまいます。
そういう訳で最近ダンジョン協会では、デ・ベール商会を悪く言う人が増えてきているのでした。
「大方あいつらが上層を使って何かの実験をしているんだ。我が物顔で好き勝手しやがって! 町に住む俺達の安全を何だと思っていやがるんだ!」
この時ベテランの先輩が語った陰謀論は何ら証拠がある事ではありませんでした。
彼の思い付きであり、どっちかと言えば単なる言いがかりに過ぎなかったのでしょう。
――ここからは後日の話になりますが、先輩の説は後にデ・ベール商会の縦穴工事を不安視していた町の人間の間にまことしやかな噂となって広まって行き、やがて多くの人達が事実であると信じるようになっていくのでした。
「早急に事実を把握する必要があります。協会からダンジョンの地図作成を緊急依頼として出します」
滅多に事務室に顔を見せないこの町のダンジョン協会の会長さんが、私達の前に現れるとそう言いました。
というかこの人が会長さんなんですね。初めて見ました。
割とどこにでもいる冴えないオジサンといった感じで、とてもそんな偉い人には見えませんでした。
先輩が言うには、会長は協会の本部からやって来ているけど、収益の少ないこの町のダンジョン協会に回されている時点で大した人物ではないんだそうです。
割と見たまんまな人だったんですね。
ちなみに”緊急”依頼といっても特に拘束力がある訳では無く、受けてくれたら協会の心証が良くなりますよ、という程度の事でしかないんだそうです。
ちなみに”強制”依頼だと文字通り強制的な依頼になります。
この場合はこちらから該当するダンジョン夫さんを指名する事になり、相手には拒否する権利は無くなります。断れば協会から登録を解除されてしまうのだそうです。
もちろんそんな依頼を出せば協会に対するダンジョン夫達の反発は大きくなります。誰だって無理やり働かされて良い気分はしませんからね。
会長さんはそこまで思い切る事が出来なかったのでしょう。
先輩達は「この期に及んでも保身か。危機感が足りていない」と、会長さんの決定に対してプリプリ怒っていました。
「なる程。緊急依頼ね」
酒場のカウンターで受付をやっているヤコーブスさんは、私の説明を聞き終えると顎髭を指で撫でました。
「ヤコーブスさんは会長の判断をどう思いますか?」
「悪くないんじゃないか? 実際に調査は必要だろう?」
ヤコーブスさんは数年前まで現役のダンジョン夫だったんだそうです。そんな彼の意見は事務員の先輩達とは少し違っているみたいです。
「先輩達の中には強制依頼にするべきだって言ってる人もいますけど」
「おいおい、それは無いだろう。そんな事したらあいつらがへそを曲げるだけだぞ」
ヤコーブスさんが言うには、緊急依頼でも十分な人数がこの依頼を受けるだろう、との事です。
「なにせダンジョン夫はカッコ付けが多いからな」
この町の仕事の中ではダンジョン夫は比較的高給取りに入ります。彼らは生活には十分に余裕があるし、仲間内での見栄もあるので、特に理由が無い限りこういった依頼を受ける傾向が強いんだそうです。
「そんなものなんですね」
「まあこういう感覚は実際にやってるヤツにしか分からないかもな」
私とヤコーブスさんが話している間にも、ダンジョン夫達のグループが早速緊急依頼に目を付けたみたいです。
比較的若い人達の集まった4人組みのチームです。
彼らが交わしている会話の内容からすると、どうやら前向きに検討しているみたいに見えます。
本当にヤコーブスさんが言った通りなんですね。
私が密かに感心していると、ヤコーブスさんが難しそうに眉をひそめました。
「むっ。あいつらか・・・」
「どうしたんですか?」
ヤコーブスさんは小さくかぶりを振りました。どうやら彼らのいる前では話せない内容みたいです。
しばらくすると彼らは依頼を受ける事に決めたらしく、ぞろぞろと連れ立ってカウンターの方へとやって来ました。
彼らは私の姿を目にとめると口笛を吹き、ジロジロと無遠慮に眺めまわしました。
彼らの野卑な視線に耐え兼ねて、私はヤコーブスさんの後ろに隠れました。
4人組のリーダーと思われる赤毛の青年がカウンターに肘をついて言いました。
「オッサン。あの依頼オレらも受けてやんよ」
「そうか。今までに地図の作製依頼を受けた事はあるか?」
「んなのある訳ねっしょ。つか誰がやった事あんだよ。今時地図の無いダンジョンなんて無いっつーの」
そう言って鼻を鳴らす赤毛の青年。
「まあそうだろうな。今日中に何人か集まったら明日にまとめて説明するから、明日の午前中に顔を出してくれ」
「チッ! マジ使えね。しゃーない、行こうぜ」
赤毛の青年は露骨に舌打ちをすると仲間を連れて出て行った。
彼らの姿が扉の外に消えると、ようやく私はヤコーブスさんの後ろから顔を出しました。
「・・・何だかガラの悪い人達でしたね」
「あいつら最近他のダンジョンからやって来たばかりの新入りだ」
ヤコーブスさんが言うには、最近彼らのような他所の町でダンジョン夫をやっていた人達の登録が増えているんだそうです。
「今、デ・ベール商会がダンジョンの天井に穴を開ける工事をやっているだろ? 穴が開いたら商会はあいつらを送り込むつもりらしいからな」
「ああ、なる程」
彼らはデ・ベール商会の工事が終わるまでの生活費稼ぎと、開通までにこの町のダンジョンに慣れておくために、ダンジョン協会に登録しているみたいです。
ダンジョンが違えば出現するモンスターも違うし、効率的な採取方法も違うでしょうからね。
つまりダンジョン協会は将来の商売敵のためにわざわざ仕事を斡旋している事になります。
「それは分かっているが、確たる証拠も無いのに登録を拒む訳にはいかないだろ。それにこっちとしても今は一人でも使えるダンジョン夫が欲しい所だしな」
ため息をつきながらヤコーブスさんは肩をすくめました。
少し前にデ・ベール商会の調査依頼を受けたダンジョン夫が数名、ダンジョンで死亡する事故がありました。
彼らは口をそろえて事故だったと言い張りましたが、それもどうだか怪しいものです。
何故なら、負傷した人も含めて何故かその後、少なくないダンジョン夫が登録を解除して町を去ったり別の仕事に就いたりしたからです。
依頼主がデ・ベール商会だった事もあり、最初から関係者の口止めの可能性は指摘されていました。
協会としても相手が相手なだけにあまり突っ込んだ調査が出来ませんでしたが、結果としてあの日以来、この町の協会では慢性的にダンジョン夫が不足しているのでした。
そんなふうに私が考えに沈んでいると、いつの間にかカウンターの前に一人の男性が立っていました。
「あの緊急依頼、1階層なら俺も受けられるよな?」
「そりゃいいが、新種のモンスターが出るかもしれんぞ。お前一人で本当に大丈夫か?」
ヤコーブスさんが心配そうに話しかけた男の人は、うんざりした表情で言いました。
「お前もティルシアがいないと俺が何も出来ないと思っているのか?」
黒髪の地味な恰好をした男の人――ハルトさんはムッとした表情を浮かべるとヤコーブスさんを睨み付けるのでした。
次回「ダンジョン協会職員ヨハンナ 説明会」