その5 中層の戦い
中層に降りた俺達はモンスターと戦いながら先に進んだ。
ここで時間をかけるつもりはない。
俺の指示を守らず武器を持ち込んだティルシアに対する罰も兼ね、ペースを合わせることはしないことにした。
余計な事を考える余裕を無くすという意味もある。必死に付いてくればいい。
ティルシアは、マルティンが安全地帯のスクロールを持っていることを知っていた。だから生存の可能性が高い、と考えていたわけだが、それでも今はさほど時間が残っているわけではないだろう。
安全地帯のスクロールが生み出す直径1mの安全圏では、座ることはできても横になることはできない。
すでに行方不明になって丸1日以上。俺はマルティンの階位は知らない。とはいえマルティンは大手商会の跡継ぎだ。おそらく階位3~4程度には鍛えていると考えていいだろう。
それでもあまり余裕がない状態なのは間違いない。
中層のモンスターは群れで襲ってくる。ダンジョン夫が何人かでチームを組んで行動するのもそのためだ。
俺も最初のころはチームを組んでいたが、俺についての悪いウワサが広まってからはずっと一人で行動している。
いろいろと秘密の多い身なので、今では頼まれたってあんな奴らと組んでやる気もない。
中層はダンジョン夫にとっての稼ぎ場所で、ここに下りれるようになって一人前と言われている。
上層の素材を採っているのは駆け出し以外だと俺くらいだ。
そんな中層だが、今日は駐留兵がダンジョンに入っているため、いつもと違い誰もいない。
駐留兵のヤツらは平気で俺達に切りつけて来やがるからな。
基本的に、ダンジョンの中で起こったことは自己責任だ。
トラブルを避けたければ、ダンジョンの中では他のダンジョン夫にだって近付かない方がいい。
俺が他のダンジョン夫のうろつく中層を避ける理由だ。
俺は襲い掛かってきた噛みつき蝙蝠の群れを片付け、ナタを振って付着した血を飛ばした。
それだけで研ぎたてのような状態になる武器を見て、ようやくティルシアもこのナタがただものではないことに気が付いた様子だ。
装備には目の無いティルシアだ。うずうずと何か聞きたそうにしているが、流石にこのタイミングでさっき敵対しかけたばかりの相手に探りを入れるような事は出来ないらしい。
さっきから大人しくこちらの様子を眺めている。
いや、単に強行軍の疲労で口を開くのも億劫なだけかもしれないか。
俺はナタを腰の鞘に挿すと歩き出した。
ティルシアが慌てて後に続く。
ちなみに上層では荷物を下ろしてから戦っていたが、今では背負ったままで戦っている。
もうティルシアに俺の力を隠す必要もないのだから、わざわざ荷物を上げ下げする意味はない。
そして歩きながら保存食を取り出して食う。
時間短縮のためだ。
いや、これは上層の時からやってたか。
陸上選手のような速さでダンジョンを歩くと、じきに下に向かう階段が現れた。
ダンジョン夫なら誰しもが知っている事だが、実は階段はある種の安全地帯になっている。
モンスターには縄張りがあり、基本ヤツらはその外には行かないからだ。
そして、階層をまたいだ縄張りを持つモンスターはいないため、階層間の階段はモンスターの縄張りの空白地帯になるのだ。
俺は階段の中ほどで立ち止まり地図を取り出した。
思わぬ休憩時間にティルシアが少し息を乱しながら座り込む。
案外付いて来れるようだな。もう少しペースを上げるか?
いや、しばらく様子を見て考えよう。
俺は地図をざっと眺め、次の階層の順路を決めた。
そして地図を荷物の中に仕舞うと再び歩き出す。
短い休憩の終わりだ。ティルシアも立ち上がると俺に続く。
襲い掛かってくるモンスターをリアルタイムアタックばりの効率プレーで倒しながら俺は5階層を進んだ。
中層のモンスターからはそこそこ買い取り値のつく素材が剥ぎ取れるのだが、俺は当然ガン無視で突き進む。
ちなみにさっき通り過ぎた4階層の主なモンスターは噛みつき蝙蝠。
本体だけで50cm以上もある巨大蝙蝠だ。
肉は食用、牙と爪は鉄と混ぜることで鉄の品質を上げることができるらしい。鉄の中の不純物と化学変化でも起こすのだろうか?
まあ魔法の存在する異世界だ。科学的に考えてもあまり意味は無いのかもしれない。
ちなみに蝙蝠肉はわりとこの町では食べられているが、俺には獣臭くて食べられたもんじゃなかった。
というよりこの町の肉は大体何の肉でもそんな感じで、俺が日本を恋しく思う理由の一つだったりする。
この5階層の主なモンスターは二股蛇。
名前の通り一つの胴体から二股に分かれた首が生えているデカい双頭の蛇だ。
こいつの素材は蛇という名からもお察しの通り蛇革だ。使われ方も大体地球と同じ。
革に傷を付けずに倒すのは結構大変で上級者向けのモンスターといえる。
たまに毒が買い取り注文に出されることがあるが、買い取られた毒が何に使われているのかは知らない。
これについては協会も口を閉ざしていることからも、どうせロクでもないことに使われているに決まっているのだろうが。
こんな感じでモンスターからは素材が剥ぎ取られるのだが、基本的にこれらはダンジョン夫にとっての臨時収入で、俺達の本来の仕事はダンジョンのあちこちにある採取場所からの採取だ。
ダンジョンにはなぜか石炭や鉄鉱石、外には生えない薬草なんかが採れる場所があり、ダンジョン夫はそういう固定採取場所を狙ってダンジョンに入るのだ。
当然今回はそういった採取場所もスルーして先に進む。
ちなみに蝙蝠も蛇もそこらの森や洞窟で普通に生息している種類もいる。
だが、それらはただの蝙蝠や蛇であり、モンスターではない。
では普通の生物とモンスターはどこが違うのかと言うと、ズバリ、ダンジョンに生息しているのがモンスターで、それ以外の場所に住む生物はモンスターではないのだ。
普通の生物とモンスターの間には、例えば同じ蛇同士でも繁殖はできない。
それにモンスターはダンジョンの外では生きられない。
モンスターが魔法生物と言われるゆえんでもある。
俺達は5階層を突破、6階層も同様に突破し、いよいよ7階層ーー深層に至る階段にたどり着いた。
ここで中層はおしまいである。
あっけないようだが、実際あっけなかったんだから仕方がない。
俺達はここで長めの休憩を取ることにした。
ティルシアは大分疲労が見えるようだ。顔を伏せ、渡した保存食を手に持ったまま食べる様子もない。
おそらく物を食う元気もないのだろう。
ーー単にマズいから食わないだけなのかもしれないが。
しかし、いよいよこの先からはティルシアに協力してもらわなければならない。
3階層のマルティンが落ちた崖が、7階層のどの場所に繋がっているのかは知っているし、そこまでの地図もある。
だが、俺の想像通り、マルティンが代官の付けた護衛に襲われて崖に身を投じたのなら、追手を警戒してその場を動いているのは間違いない。
だから俺はリスクを冒してでもティルシアの同行を許可したのだ。
奴隷のティルシアは主人のマルティンと契約魔法で魔法的に繋がっている。
その生体レーダーでマルティンを見つけ出すのだ。
ちなみにティルシアも含め、誰もマルティンが転落死しているとは考えていない。
代官もそう考えたからこそ、止めを刺すために自分の子飼いの部下をダンジョンの中に送り込んできたのだ。
階位3もあれば、あの程度の崖は、落下の最中に壁を蹴ったりしながら落下速度を落とし、穴の底まで死なずにたどり着くことくらいは可能だ。
もちろん階位1の場合はそんなことは出来ない。穴の底でペシャンコだ。
「ここからマルティンのいる方角は分かるか?」
「いえ、分かりません。この近くにはいないようです。」
ひとまず崖の下に向かって、そこを中心に捜索範囲を広げて行くか。
その過程でティルシアがマルティンの反応を拾えれば良し、そうでなければその時考えよう。
「ここからはお前の感覚が頼りだ。これまで同様モンスターは俺が引き受けるから、そっちに集中してくれ。」
魔法の繋がりとやらは相手が死んでいても分かるものなのか? と聞くのは流石の俺でも自重した。
深層のモンスターは実体のない幽霊のようなモンスターが中心になる。
誰も深層に入りたがらない大きな理由だ。
コイツらはどこからともなく襲い掛かってくるため、探索の難易度も格段に跳ね上がる。
それなのに倒しても剥ぎ取る死体が残らないから素材が手に入らない。
相手をしても危険なだけで実入りが全く無いのだ。
深層には固定採取場所に装備や魔導具が落ちていることがある。
中層にも落ちていなくはないが、その確率は桁違いだ。
ゲームで言えば通常ガチャと課金ガチャほども違う。
それらレアアイテムを狙ってダンジョン協会が定期的に依頼を出すが、それらは決まって不人気依頼だ。
誰だってちょっとした増収より自分の命の方が惜しいに決まっている。
そもそもダンジョン夫は平民の中ではどっちかというと現金収入も多く羽振りが良い。
深層に降りることの出来る者達は中層で稼いでいた方が楽に儲かるに決まっているのだ。
ティルシアが緊張に息をのんだ。
ついにここまでたどり着いた。と、思っているのか、あるいは階位6でも囲まれると助からないと言われている、深層のモンスターに対する恐怖心によるものか。
俺は水筒の水を一口飲むと立ち上がった。
次回「若き商人マルティン・ボスマン」