その20 外れる思惑
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ここは暗殺者集団の隠れ家。
今この建物の中には、ロッテの他には彼女を見張るメンバーの男が一人いるだけである。
ロッテは縛られてこそいないものの、実質軟禁状態にあった。
男は油断なくロッテの様子を伺っていた。
ガタン
どこかの部屋のドアが開けられた音がした。
ドアの近くにはドアが触れると倒れるように物が置いてあり、知らない者が不用意に開けると倒して音が出るようになっている。
つまりこの音は部外者がこの建物に入ってきているという合図なのだ。
男の体に緊張が走った。
男は音も無くドアの壁に身を潜めた。
ガチャリ
しばらくすると音を立ててドアが開いた。
「何だ、この部屋にいたのか。」
死角から振り下ろされた男の剣を無造作に避けて、襲撃者の胴体に自分の剣を突き立てたのは、小柄なウサ耳の少女。
ウサギ獣人ティルシアである。
だが、ティルシアは本来この場にいないはずだ。ハルトとダンジョンに入ったはずではなかったのだろうか?
ティルシアは倒れた男の背中に剣を突き立てて止めを刺すと、剣に付いた血を男の服で拭った。
ロッテはそんなティルシアを黙って見つめている。
「コイツだけか。他の奴らは全員ダンジョンに向かったのか?」
「・・・ああ。なあ、今からでもあんたが行った方がいいんじゃないか?」
眉間に皺を寄せて不安そうな顔になるロッテーーシャルロッテ。
「ハルトが大丈夫と言ったんだ。だったら任せておけばいい。」
「だがリーダーまで向かうとは思わなかったんだ! 黙っていて済まなかったが、リーダーは・・・くっ、リーダーは階位7なんだよ。」
思わぬ高階位にティルシアのウサ耳がピクリと跳ねた。
シャルロッテは申し訳無さそうに俯いている。
「なるほど・・・。それがお前がチームを裏切れなかった理由か。」
「・・・ああ。あんたも獣人だから分かるだろう? アタシ達は一度格付けが済んだ相手には頭が上がらない。強いヤツには逆らえないんだ。」
この世界には階位というものが存在する。
階位は1から始まり最終的には10まで上がるとされている。
現実には階位10の人間は確認されていないが、同様に階位の存在する魔法では階位9の次が階位*になり、それ以上が存在しないため、階位は10段階だとされている。
低いうちは簡単に上がる階位だが、上にいくにつれて上がり辛くなり、階位7や8ともなると国に何人といない状態になる。
「リーダーは年齢による衰えで強さのピークこそ過ぎているものの、まだ階位7を保っている化け物だ。あんただって正面から戦ったら絶対に敵わない。でも不意を打てばひょっとしたら何とかなるかもしれないだろ? なんならアタシが囮になってもいい。今からでもハルトを助けに行かないか?」
ティルシアは意外そうな表情でシャルロッテを見た。
「お前本当にハルトの事を心配しているのか?」
「・・・悪いか? 敵のアタシが人間の男を心配しちゃ。」
シャルロッテはハルトに命じられてチームをダンジョンにおびき寄せる役目を負わされていた。
とはいえ、ハルト達は実際に鍵を持ってダンジョンに向かったのだから、シャルロッテがリーダーに話した内容に全く嘘は無い。
『隙を見つけて逃げ出した』という部分が嘘だったくらいである。
ダンジョンに向かったはずのハルト達が、いつの間にかボスマン商会に戻って来ていた事にシャルロッテは驚いたものである。
「いや、私も驚いたさ。ハルトは平気な顔で人を驚かせるから困ってしまう。」
シャルロッテの事をまだ警戒しているティルシアは秘密を明かさなかったが、ハルト達は例の漆黒の鍵を使って密かにダンジョンから商会に戻って来たのだ。
その後ハルトはシャルロッテに、自分達がアーティファクトの鍵を持ってダンジョンに向かった、と報告しに戻れと命令するとどこかに姿を消した。
残ったティルシアによると、ハルトはチームを迎え撃つためにダンジョンにとんぼ返りをしたという。
解放されたシャルロッテは仕方なくチームの隠れ家に向かった。ティルシアは十分に距離をおいて彼女を尾行、まんまとこの建物にたどり着いたのである。
「いや、悪くは無い。ただ何となく面白くない気がしただけだ。」
「?」
ティルシアの言葉に不思議そうな顔をするシャルロッテ。
結局ティルシアは、事前に与えられた役割通り、逃げ帰って来る敵を迎え撃つためにこの場から動かず、シャルロッテはやきもきしながらハルトの無事を祈り続ける事しか出来なかった。
何かがおかしい。
リーダーはしくじった時特有の何とも言えないイヤな感覚に苛立ちを感じていた。
「クソッ! また地図にない通路だ! いい加減にしやがれ!」
小柄な男カルはダンジョンの壁を蹴って怒鳴り付けた。
「おい、カル。どういう事だ?」
「どういうもこういうも、デ・ベール商会の地図はまるで役に立たない出来損ないだったんだよ! あの若造め、何がデ・ベール商会の作った最新の地図だ! 1階層の地図ひとつまともに作れないくせに大口叩きやがって!」
カルの言う若造とはデ・ベール商会の現当主レオボルトの事である。
彼らがダンジョンに入ってすでに半時(一時間)は経っていた。
1階層のモンスターは彼らの敵ではなく、当初は順調に探索が進んでいたものの、直ぐに彼らはトラブルに直面する事となった。
地図に無い通路の存在である。
最初はそれらを地図に書き込みながら進んでいた彼らだったが、直ぐに通路の先は膨大な空間が広がっていたことに気が付いたのだ。
「どうやらデ・ベール商会は、余所者には全体の一部の地図しか渡さないみたいだな。」
「ナメたマネしやがってあの野郎。」
リーダーの推測に歯ぎしりをするカルだったが、実はこれはレオボルトの落ち度ではない。
彼の知らない所でダンジョンの構造が変わって、1階層だけで言えば面積が今までの何倍にもなっていたのだ。
「あっちだ! 追え!」
「くそっ! チョロチョロと逃げ回りやがって!」
また、たまにこうやってハルトが通路の奥に姿を見せて逃げ出すものだから、彼らは知らず知らずのうちにダンジョンの奥へと誘い込まれていた。
彼らはそんなハルトに腹立たしい思いをしていたのだが、ハルトの方も必死だ。
何せここは通路も何も知らない新しいダンジョンなのだから。
見知らぬ通路を走るハルトの前に黒い大きな猿が姿を現した。
「乱暴猿か! モンスターの生息域も変化しているのか?!」
乱暴猿は本来は2階層に現れるモンスターだ。非常に好戦的で人間を見付けると問答無用で襲い掛かってくる。
その高い攻撃力から初心者の壁と言われるモンスターである。
ズバッ!
ハルトのナタが乱暴猿を一刀のもとに切り伏せた。
「おっと、階位が上がったな。そろそろ2階層に下りてもいい頃合いか。」
ハルトは暗殺者集団から逃げ回りながら、その時々で遭遇したモンスターを倒して階位を上げるための経験値を稼いでいた。
「あまり地図に無い通路をうろついていると、俺の方まで迷ってしまいそうだからな。」
ハルトは長年1階層を仕事場にしていた関係で誰よりも1階層の構造に詳しい。その彼の経験と勘をフル動員して、捕まりそうで捕まらない距離を保ちながら懸命に逃げ回っているのだ。
その時通路の奥から男達の声が聞こえてきた。
「いた! こっちにいたぞ!」
「見つかったか。まあ丁度いい。さあお前ら、迷わずに俺に付いて来いよ。」
ハルトは再び適度な距離を保ちながらの必死の鬼ごっこを再開した。
ハルトによって散々引っ掻き回された暗殺者集団の者達は、ズルズルとダンジョンの奥へと引きずり込まれて、ついには中層にまで到達してしまった。
外ではそろそろ空が白みかける時間である。
彼らはおよそ一晩中、ダンジョンの中でハルトの後を追い回し続けたのである。
「中層か。ちとマズイな・・・。」
「どうしたカル。」
ここは上層から下りて来た階段。中層にあたる4階層の通路を眺めながらカルが呟いた言葉をリーダーが聞きとがめた。
「このダンジョンで働くダンジョン夫達は階位4を中層の目安にしていやがるんだ。」
カルの言葉にどよめくメンバー達。
階位はトレーニングでも上がるが、より早く上がるのはダンジョンでモンスターを倒した時である。
国にダンジョンを有する帝国とは異なり、ダンジョンを持たない国では階位3以上の者はほとんど存在しない。
ダンジョンで階位を上げた兵士を数多く抱えている事も、帝国がこれほどまでに大陸に版図を広げられた要因でもある。
ちなみにリーダーやカルは若い頃に帝国のダンジョンに入って階位を上げていた。
中層の目安が階位4と聞き、腰の引けるメンバー達。
ましてや慣れないダンジョンの中で一晩中ハルトを追い回していた事で、彼らの顔には疲労の色が濃くにじみ出ていた。
チームメンバーに広がる厭戦ムードにリーダーは焦りを感じた。
ハルトがダンジョンに入って何をしようとしているのかは分からない。だが、もし彼にしか分からない場所にアーティファクトの鍵を隠されでもすれば、仲間に隠れてお宝を手に入れるチャンスを失ってしまう。
そう、リーダーはシャルロッテの予想通り、ハルトの持つミスリル製の装備の独り占めを狙っていたのである。
「この町のダンジョン夫は全員階位4以上なのか?」
リーダーの言葉にカルは少し思い出して答えた。
「いや、多くのヤツが階位3だと言っていたな。」
「そうか。よし、お前ら三人ずつの組を作れ!」
リーダーの言葉に三人一組の六チームが作られた。
「ここからはこのチーム単位で動くんだ。絶対にばらけるんじゃねえぞ。行け!」
三人一組でおっかなびっくり歩き出す暗殺者達。
そんな彼らをハルトは十分に階位の上がった視力で遠くからジッと見詰めていた。