その18 暗殺者ロッテ 敗北そして
◇◇◇◇暗殺者ロッテの主観◇◇◇◇
アタシの目の前には腹を切り裂かれて息絶えたベックの死体が転がっている。
突然の仲間の死に、アタシは自分でも不思議なほど何の感情も動かなかった。
確かに獣人のアタシは常日頃からチームのメンバーからそれとない差別を受けていた。
しかしそれは、人間の町で獣人が受けるそれと比べるとどうってことはなかったし、アタシはそのことでチームのメンバーを恨んだ事は特に無かった。
いや、今思えばむしろベックは彼なりにアタシに気を使ってくれていたのかもしれない。
アタシが嫌がっているのを知って、ハルトを殺さないように取り計らってくれたし、今だってアタシのピンチに危険を承知で家の中に飛び込んで来たのだ。
彼としては、リーダーから与えられた任務を果たすために取った行動なだけかもしれないが、結果としてどちらもアタシのためになったのは違いなかった。
けど、そう思った所でアタシの気持ちは少しも動かなかった。
チームが自分達の利益のためにハルトの財産を狙う盗賊団になった時から、アタシがハルト達との生活に憧れを感じた時から、薄情なようだが、アタシの中でもうチームは仲間じゃなくなっていたのかもしれない。
いや、最初から同じチームとして仕事はしていても仲間では無かったのだろう。
「さあ、お前の雇い主を言うんだシャルロッテ。」
ティルシアの剣がアタシに突き付けられた。
咄嗟に払おうとしても軽く躱される、そしてコチラが変な動きをすれば即座に必殺の突きが届く。そんな絶妙な間合いだ。
ティルシアは立って剣を構えている。アタシは椅子に座っている上に丸腰だ。
なのにティルシアは毛ほども油断していない。
本来ならそれは死神のカマを首筋に当てられているのと同じ状況だ。しかしこの時のアタシは不思議とゾクゾクとした喜びを感じていた。
「アタシにチャンスを欲しい。」
「・・・ほう? 私と取引きしたいのか?」
違う。いや、そうか、まだ取引きするという手があったのか。
「そうだ。アタシにお前と戦うチャンスをくれ。」
「私のメリットは?」
ティルシアのメリット? 確実にアタシを殺せるという圧倒的に有利な状況から、五分で戦う状態まで譲歩するメリットなんてアタシに提示出来るのか?
「ならお前は私の質問に全て答えろ。それならチャンスをやってもいい。」
アタシが考え込むのを見てティルシアが自分から条件を提示して来た。
アタシはチラリとベックの死体を見た。
この提案を受けなければアタシもああなるだけだ。ならば返事は決まっているだろう。
「分かった。」
アタシ達は裏口から家の裏庭に出た。
夕日が半分沈んで辺りは夕焼けに真っ赤に染まっている。
美しい景色だ。
家の中でベックが殺られたことを察したのだろうか。この家を見張っているはずの仲間は誰も姿を見せない。
最も今の臨戦態勢のティルシアに仲間達が数人がかりで挑んだ所で勝てるとは思えないが。
敵わないなりにせめて囮にでもなってくれれば助かるのに。
アタシは身勝手にそう思った。
「武器はこれでいいだろう?」
アタシに続いて家を出たティルシアは手に持っていたナイフをこちらに放り投げた。
ベックの愛用していたミスリル製のナイフだ。
思っていたより上等な獲物を与えられた事にアタシは驚きに目を見張った。
アタシはナイフを拾うと素早く戦闘態勢を取った。
その途端アタシの体がメキメキと音を立てた。
「虎獣人は珍しいからな。私も戦うのはこれで二度目だ。さあ、本性を発揮して来るがいい。」
ティルシアの言葉にアタシは絶望が胸を占めるのを感じた。
メキメキと音を立ててアタシの手足が伸びる。筋肉が膨張してアタシの体は一回り大きくなる。体毛が伸びて全身を覆うとアタシの姿はまるで虎と人間を足して半分にしたような姿になった。
これがアタシの切り札。獣人の中でも虎獣人と狼獣人のみが持つスキル”獣化”である。
正確に言うとネコ科獣人とイヌ科獣人の中で、このスキル”獣化”が生えた者が虎獣人・狼獣人と呼ばれる存在になるのである。
その能力は自身の階位の壁を破り、階位1~2つ分は上の力を得ると言われている。
つまりこの姿のアタシの身体能力は階位4から5相当。階位5のティルシアに匹敵する能力となったのである。
半面デメリットとして、”獣化”は極めて短時間に限られる事。”獣化”後は大きな疲労にとらわれ、その疲れが完全に抜けきるまでは再び”獣化”は出来ない事。”獣化”中は理性が効き辛く、感情や本能に支配されやすい事。等が挙げられる。
要はアタシにとって”獣化”は『切り札』であり『最後の手段』でもあるのだ。
「グオオオオオオッ!」
アタシは力が解放された喜びに雄叫びを上げた。
全能感が心を占め、まるで自分がこの世で最強になったかのような感覚に溺れた。
もちろん錯覚だ。アタシの力は最大に見積もっても階位5。ティルシアと同じ土俵にやっと上がれただけに過ぎないのだから。
だが今のアタシは”獣化”中の興奮状態でそんな判断も出来ない。
アタシは目の前の小さなウサギ獣人を血祭りにあげようと襲い掛かった。
「むっ! 流石にすごい力だな!」
ティルシアはアタシの全力の攻撃を難なくいなすと、逆に剣を突き出して来た。
まさか自分の攻撃が躱されるとは思っていなかったアタシはその攻撃に浅く傷付けられてしまう。
「今のを避けるのか?! ”獣化”というのはスゴイな!」
驚きに目を見張るティルシア。
アタシはそんな彼女の余裕に怒りを掻き立てられてがむしゃらにナイフを振るう。
ティルシアは今のアタシの半分ほどの背丈しかないが、その力はアタシと同じ階位5だ。
大女の虎人間が全力で振るうナイフが、小さく華奢な少女に受け止められるという悪夢のような光景が何度も続いた。
何故だ?! 何故アタシの攻撃が入らない!
ティルシアは最初こそアタシの猛攻に戸惑っていたようだが、すぐにアタシの速さと力に対応し、今では危なげなく攻撃を受け切っている。
焦りに我を忘れるアタシ。
だが考えてみれば当然だ。同じ階位5の身体能力といっても、アタシはついさっき”獣化”で上乗せされた仮初の階位5。それに対してティルシアは本物の階位5なのだ。
アタシが階位5の力を持て余し気味なのに対し、ティルシアは日頃から階位5の力を使いこなすための鍛錬も行っている。
ましてや暗殺者は対人戦闘を行わない。暗殺者は戦士ではないのだ。対して元傭兵のティルシアは対人戦の技量も長けている。
ティルシアは、暗殺集団の一員だったアタシが正面切って戦える相手では無かったのだ。
だが”獣化”中のアタシはそんな当たり前の事を判断する理性すら失っていた。
アタシは混乱しながらも全力でナイフをティルシアに叩きつけた。
階位5相当のアタシの腕力に耐え兼ねてミスリル製のナイフがミシミシと異音を立てる。今にもバラバラになってしまいそうだ。
だが、ティルシアには届かない。
ついにミスリル製のナイフがアタシの手の中でバラバラに砕け散った。
正確に言うとミスリル製の刃の部分ではなく、握り手の部分がアタシの力に耐えられなかったのだ。
アタシは思わず驚いて手の中の残骸を目で見てしまった。戦闘中に目の前の敵から視線を逸らすなんて普段のアタシからは考えられない行動だ。
”獣化”の本能に体が逆らえなかったのだ。
そんなアタシの隙をティルシアが見逃すはずはなかった。
「こっちだ!」
ティルシアの声にハッと振り返るが時すでに遅し。
ティルシアはアタシの懐に飛び込むと剣の柄頭でアタシの鳩尾を強打した。
激しい痛みに呼吸が止まり、立っていられずに膝をつくアタシ。
腹を押さえて膝をついた事でアタシの頭は丁度ティルシアの頭と同じ高さにまで下がっていた。
マズイ!
と思う間もなくティルシアの剣の柄頭は今度はアタシのこめかみに叩き込まれた。
アタシは意識を失って前のめりに倒れた。
良くこれで死なかったものである。
意識が戻るとアタシは頭の痛みに眉間に皺を寄せた。
”獣化”の解けた体は元の大きさに戻っているらしく、激しい疲労感がアタシを襲った。
体を起こすとゴッソリ抜け落ちた毛が服の中に溜まっていて肌をチクチクと刺激した。
些細な事だが、”獣化”のデメリットとしてこの抜け毛もある。
ここは家のリビングルームだ。ティルシアが運んでくれたらしい。
アタシはソファーに寝かされていた。
疲労と抜け毛による痒みに堪えながら、アタシは目の前に座るティルシアを見つめた。
ティルシアはすでに剣を収めている。
アタシが抵抗を続けるとは思っていないようだ。もちろんアタシにもそのつもりは全くない。
この辺りの感覚は獣人同士じゃないと分かってもらえないかもしれない。
完全に格付けが済んだ相手には逆らえない。いや、逆らおうという気持ちが湧かないのだ。
「大丈夫か? 何せ”獣化”をした獣人の相手はこれで二度目だ。どのくらいの力で殴る必要があるのか、その加減が分からなかったからな。強く殴りすぎたかもしれない。」
「いや、少し痛むがこれくらい大丈夫だ。”獣化”の後は疲労感がすごいんだよ。元気がないように見えるのはそのせいだ。」
アタシ達はさっきまで剣を交えていたとは思えない程穏やかに会話を交わしている。
その事が不思議な気もするし、逆に当たり前のような気もする。
ひとつ言えるのは、ティルシアはもうアタシを敵と思っていないらしい、ということだ。
「アタシはハルトを襲ったヤツの仲間だぞ。憎くはないのか?」
「それを決めるのはハルトだ。実際にハルトを刺したヤツはさっき殺したからな。私の復讐は果たした。」
そういえば床からベックの死体が消えている。
ティルシアがどこかに片付けたのだろうか? 流石にまだ血の跡は残っているし、血に汚れたこの敷物は洗ってももう使えないだろう。勿体ない話だ。
「さあ、約束通りお前には色々と話してもらうぞ。」
「それは・・・済まない。勝手ばかり言うが、チームを裏切る事は出来ない。アタシを殺してくれ。」
アタシは覚悟を決めてティルシアに頭を下げた。
これはずっと考えていた事だ。虫の良い話だが、やっぱりアタシはチームを裏切れない。
ここでティルシアに話せばチームはボスマン商会に目を付けられてしまう。
祖国から逃れてきて何の後ろ盾も無い今のチームが、わずかな期間であのチーム”赤蜘蛛”をも壊滅させるほどの商会と敵対してはひとたまりもないだろう。
アタシはチームの事をもう仲間とは思っていないが、アタシがそう思うのとチームを売るのは別の話だ。
ティルシアはしばらくの間黙ってアタシの頭を見つめていたようだが、やがて「そうか」とだけ呟いた。
アタシはいつティルシアの剣が自分の体に突き立てられるかと息を殺して待った。
死ぬ事それ自体は非常に恐ろしかったが、心の中にはどこかさっぱりとした諦めもあった。
最後のあがきとしてやるべきことはやったし、もうこれ以上イヤな任務を続けなくても良くなった、そういう解放感もあったからだ。
だがいつまで待ってもアタシの上にティルシアの一撃は来なかった。
それどころかティルシアがアタシに言い放ったのは意外な言葉だった。
「お前の事はハルトに決めてもらう。さあ、立て。一緒にハルトの所に行くぞ。」
こうしてアタシの命はハルトに預けられる事になったのである。