その17 暗殺者ロッテ 破綻
◇◇◇◇暗殺者ロッテの主観◇◇◇◇
「あ、お帰りなさい。」
ティルシアはいつもより遅い時間に家に帰って来た。
無表情を装っているが苛立ちと疲労を隠しきれていない。
仲間からの連絡で、襲撃を受けて負傷したハルトはボスマン商会の建物に運び込まれた事は分かっている。
それ以降、ボスマン商会の社員に特に目立った動きは無い事から、ハルトには無事に治療が施されたものと思われる。
「ハルトは少し用事が出来てしばらく家に帰れそうにない。今後は外食が続くぞ。」
家に入るとティルシアが何気ない風を装って話しかけて来た。
真実を知るアタシはズキリと胸の痛みを感じた。
「そ、そうですか。分かりました。」
アタシの声は上ずっていなかっただろうか?
「ああ。それと私も遅くなるかもしれない。待たせてしまうが済まないな。」
それっきりアタシ達の会話は止まってしまった。
ハルトといる時にはよくしゃべる印象のあったティルシアだが、どうやら一人の時にはそうでもないようだ。
ひょっとしたらティルシアなりに、人見知りするハルトの代わりに会話を盛り上げようとしていたのかもしれない。
アタシも今は、どんな顔をして話せば良いのか分らなかったので、この沈黙が助かったのは事実である。
翌朝、ティルシアは少し気を持ち直したのか、以前のように、とはいかないものの少しはアタシに話しかけてくるようになった。
そんなティルシアにアタシは何と答えたかよく覚えていない。
上手くやった・・・んじゃないだろうか。
少なくともティルシアはハルトの負傷とアタシを関連付けている様子は見えなかった。
これが罪悪感というヤツだろうか。
今更アタシの独断で止める事が出来ないとはいえ、この仕事を始めるようになって以来初めて感じるイヤな気持ちに、アタシはこの家に戻って来た事を後悔した。
アタシは町の中でティルシアと別れると直ぐに、ベックとの待ち合わせ場所へと向かった。
「ティルシアの様子はどうだ?」
「ハルトが負傷したことで精神的には大分まいっているみたいだね。けど自分のペースを乱すほどは取り乱しちゃいない。」
「そうか・・・流石だな。」
何が流石なのかは知らないが、付け入るスキが無いのは変わりない。
「デ・ベール商会に潜り込んだカルの仲間はどうなったんだい?」
「今日にはダンジョンから戻ってくるはずだ。アイツの状況次第だが、おそらくティルシアへの襲撃は明日以降だ。」
そうかい・・・。
アタシは無意識にこの三日程のティルシアとの生活を思い出していた。
考えてみればアタシが普通の生活をしたのはいつ以来だっただろう。
まあ床で毛布にくるまって寝る生活が普通かどうかは分からないが。
ハルトの命が助かったのがせめてもの救いか。
ティルシアの相手は同じ階位5のカルの仲間が中心になって行われるだろう。
そうなればアタシ達はここでお役御免かカルのサポートに回されるはずだ。
「じゃあアタシはもう戻らない方が良いね。」
「そうだな・・・いや、やはり戻れ。お前が帰らない事でティルシアの行動が変わる恐れがある。」
ティルシアの顔を見るのが辛くて思わずそう言ったものの、これは確かにベックの言う事が正しい。
アタシがいなくなったことで、ティルシアが犯人捜しを優先して町に居場所を移すかもしれない。
「襲撃が決まった以上、家の調査も控えろ。極力怪しまれるような行動は慎む事だ。」
「・・・言われなくたって分かってるよ。」
コイツはアタシがいちいち言われなきゃ何も出来ないとでも思っているのかね。今までだってずっと自分の判断で行動して来たんだよ。
アタシはベックの言葉に苛立ちを感じたが、それは思うに任せない自分の立場への苛立ちを、彼に八つ当たりしていただけだったのかもしれない。
夕方。ティルシアは今日も同じ時間に帰って来た。
一日中捜査で無駄足を踏んだせいか、どことなく思い詰めている様子も変わらない。
ティルシアは言葉少なくアタシを家に招き入れた。
これからまた一晩憂鬱な時間を過ごさなければならないかと思うと、アタシは気が滅入る思いがした。
アタシ達のせいで、ハルトとティルシアはこんな目に会っているっていうのに我ながら勝手な話だ。
いつもと同じように部屋に荷物を置いてリビングに向かうと、ティルシアは装備も解かずにアタシを待っていた。
アタシが警戒しているのに気が付いたのか、ティルシアは「これから用事があるんだ。」と説明した。
「その前に、ロッテにも協力して欲しい事がある。頼めないだろうか。」
「わ、私に出来る事なら協力しますけど・・・」
「なに、難しい事じゃない。そこに座ってくれ。」
そう言うとティルシアは自分から先にテーブルに着いた。
促されるままにアタシが座ると、ティルシアは腰のポーチから魔法のスクロールを取り出して広げた。
見慣れないスクロールだ。何の魔法だろうか?
ティルシアがスクロールに魔力を通すと、スクロールに描かれた魔法陣に魔力が流れ、不思議な幾何学模様が発光しながら浮かび上がる。
部屋は白い魔法の光に包まれた。
すぐに不思議な光は消え、部屋はまた夕方の薄暗さを取り戻した。
周囲には特に何の変化も無い。
ティルシアは少し驚いた顔をしている。ひょっとして魔法が失敗したのだろうか?
ティルシアは静かに席を立った。彼女の手が動くと腰に佩いた剣にかかった。
「ロッテ・・・いや、シャルロッテ。なぜ村娘のお前が階位3の力を持っているんだ?」
この瞬間。アタシは全てが破綻したのを悟ったのだった。
「このスクロールはボスマン商会に用意してもらった『識別』のスクロールだ。今の私にはお前がロッテではなくシャルロッテである事も分かっているし、階位3の虎の獣人である事も分かっている。」
『識別』のスクロール。聞いた事の無いスクロールだが、名前から察するに相手の情報を識別する魔法なんだろう。
さすがにアタシが暗殺集団に所属している事までは読み取る事が出来なかったようだが、ここまでティルシアに警戒されてしまえば全部バレているのと大差ない。
アタシはこの時「最悪だ!」という焦燥感と共に、何故か不思議な解放感を感じていた。
1対1ではアタシはティルシアに敵わない。ましてやティルシアは立って剣に手を掛けている。アタシは座った状態で、武器と言えば懐に隠し持った小さなナイフだけのほぼ丸腰同然の状態だ。
しかし、この時アタシは「もうこれでティルシア達を騙さずに済む」と知ってホッとしていたのだった。
「お前を送り込んだ相手とお前に与えられた命令を言うんだシャルロッテ。」
「アタシはシャルロッテじゃない。ロッテだ。その名前はもう捨てた。」
急にアタシの喋り方が変わった事でティルシアは少し面食らったようだ。こっちの方がアタシの地だ。ティルシアほどの相手に今までそれを悟らせなかった事にアタシは軽い自己満足を覚えた。
「いや、お前はシャルロッテだ。『識別』の魔法は誤魔化せない。”自分はロッテだと誤魔化している”のはお前の方だ。」
「なっ・・・」
ティルシアの思わぬ言葉にアタシは動揺してしまった。
その時、アタシの目の前で三つの出来事が立て続けに起こった。
一つ目は、突然ティルシアの背後に現れた影にアタシが目を見張った事。
部屋の魔法の光に緊急事態だと察したベックがこの家に忍び込んだのだ。
ベックはティルシアとアタシの会話から全てが露呈する事を恐れ、さらにティルシアがアタシに気を取られているという千載一遇チャンスをモノにするべく行動を起こしたのだ。
二つ目は、ベックが音も無くティルシアの背中に愛用のナイフを突き立てた事。
ティルシアは賢明にも装備を外していなかったが、無防備に背中を向ける彼女の防具の隙間にナイフを突き立てる事など、ベックにはどうということのない仕事だった。
そして最後の三つ目は、驚愕の表情を浮かべたベックの胴体をティルシアが振り向きざまに剣で横なぎにした事である。
ベックは辛うじて身を引いたようだが致命傷を避ける事は出来ず、腹から臓物をこぼしながら床に倒れ込んだ。
「ミスリル製のナイフか、危なかったな。警戒はしていたつもりだったが、よもやこうもあっさり背後を取られるとは思わなかった。さてはお前が先日ハルトを刺した男だな?」
「ば・・・馬鹿な・・・一体どう・・・して・・・」
虫の息で呟くベック。
確かにベックのナイフはティルシアの背中に突き立てられていた。
仮にティルシアが鎖帷子を着こんでいたとしても、ベック愛用のナイフはミスリル製だ。
ベックのナイフは鎖帷子の鋼を断ち切り、ティルシアの背中から彼女の体内の重要な臓器をえぐって致命傷を与えたはずである。
ティルシアが無言で装備の裾を捲ると薄暗い部屋の中に白い光が反射した。
「まさか、ミスリルの鎖帷子・・・」
「初めてハルトとダンジョンに潜った時にハルトから渡された物だ。今ではマルティン様がハルトから買い取って私の装備用に渡されている。」
ミスリル製のナイフとミスリル製の鎖帷子。素材が同じミスリルなら純度の高い方がより強固だ。
ティルシアの体から洩れる光はベックの持つナイフの光を凌駕していた。
いつの間にか床に倒れたベックの目からは光が消えている。
ティルシアの言葉を最後まで聞くこともかなわずに彼は事切れていたのだ。
「で? コイツがお前の雇い主、なんて事は無いよな?」
ティルシアは服を戻すとアタシの方に向き直った。
ベックの血で赤黒く染まった剣先は、油断なくアタシの喉元に向けられていた。