その10 ウサギ獣人ティルシア 疑惑
◇◇◇◇ウサギ獣人ティルシアの主観◇◇◇◇
家の中に入った私達は荷物を置くと取り合えずリビングへと向かった。
私は部屋は寝る時と着替える時にしか使わない。
家にいる時には大抵このリビングにいる。
そうするとハルトがやってきてお茶を淹れてくれたりするのだが・・・
私は胸を突く痛みに眉間に皺を寄せた。
ハルトを襲撃した犯人を、結局私は見つける事が出来なかった。
犯人は今頃もうこのスタウヴェンの町を逃げ出しているのではないだろうか。
私は自分のその考えに居ても立っても居られない気持ちになった。
(いや、おそらく犯人はまだ町に潜伏しているはずだ。)
犯人の目的が何であれ、ハルトを刺してそれで終わりという事は無いだろう。
普通に考えるのなら命を奪うのが目的となるが、だとすればまだ犯人の目的は果たせていない事になる。
仮にそうでないのなら、次に考えられるのは私の襲撃が目的か。
ハルトは何らかの理由でそれに巻き込まれただけ、とも考えられる。
リビングのテーブルに着いた私はロッテに声を掛けた。
「ハルトは・・・」
それは私の勘だった。
ロッテの様子が今朝と違う。
どこがどうとは言えないが、今朝までのどこか私を探るような雰囲気が影をひそめ、何か割り切ったような目で私を見ているような気がするーーと、あえて言葉にすればそんな気配をロッテから感じたのだ。
私は自分の勘に素直に従う事にした。
「ハルトは少し用事が出来てしばらく家に帰れそうにない。今後は外食が続くぞ。」
何故彼女にハルトが襲われた事を隠したのか、その理由は自分でも分からない。
ひょっとしたら意味のないただの勘違いかもしれない。
「そ、そうですか。分かりました。」
ロッテは私の言葉を疑っていない様子だった。
「ああ。それと私も遅くなるかもしれない。待たせてしまうが済まないな。」
私はそう言うと会話を終えた。
沈黙が部屋を包む。
ロッテが不安そうに私を見ていたが、今の私には彼女の相手をしてやれるだけの精神的余裕が無かった。
外食を終え、家に帰っても私達の間には必要最小限の会話しか無かった。
翌朝、少しは落ち着いて頭も働くようになった私は昨夜の自分の態度を反省した。
ロッテには随分気まずい思いをさせてしまった。ちゃんと謝らなければいけないな。
「ロッテ、昨日は不愛想な態度を取って済まなかったな。少し仕事先でトラブルがあって気が立っていたんだ。」
私の言葉にロッテはホッとした表情を浮かべた。
やはり気にしていたんだな。私はすっかり自分が恥ずかしくなってしまった。
頭のウサギ耳も元気なく倒れていることだろう。
「ロッテは今日も部屋探しか?」
「あ、ハイそうです。ティルシアさんはどうするんですか?」
私か? 私はどうするか。
先ずは衛兵の詰め所に行って新しい情報が入っていないか聞かないとな。何もないなら、昨日途中で切り上げた倉庫街の調査を続けるか。その後の事はその時になって考えればいいか。
いや、それより前にボスマン商会に寄らないと。
「先ずはハルトの見舞いかな。」
「ああ、それが良いですね。」
その後私はロッテと少し話し込んだ。
こんなことをしている時間が惜しい、と思わないではなかったが、私一人で出来る事は限られている。
全てを放り出してなりふり構わず動いて結果が出るならそうしている。
私はロッテとの関係を取り戻すと、ボスマン商会へと向かうのだった。
ハルトはまだ寝ているらしい。
現在のボスマン商会スタウヴェン支店の責任者、サンモが私を迎えてくれた。
「早朝少し目を覚ましていらっしゃいましたが、すぐに眠られてしまいました。様子を窺って来ましょうか?」
私は少し迷ったが、結局サンモの提案を断った。
ハルトは酷く痛みを堪えていた様子だったというし、せっかく寝付いた所を起こしてしまえば彼に悪いと思ったからだ。
「夕方にもまた寄るからその時には頼むかもしれない。」
「畏まりました。」
サンモは一見人が良さそうに見えてその実かなりのやり手だ。だてにマルティン様が敵地となるこの町に送り込んでいるわけじゃない。
この男ならハルトを危険な目に会わせるような事はないだろう。
二階に上がる廊下には衛兵が椅子に座って控えていた。
コイツらはサンモの依頼で代官が遣わしたハルトの護衛だ。
実際に護衛が必要なのも当然事実だが、こういった行動を繰り返す事で衛兵達にお前達のボスが誰であるのか理解させようとしているのだ。
衛兵の中でもデ・ベール商会に目を掛けられてうまい汁を吸っていた者達は、さぞ取り残された不安感を抱えている事だろう。
私は何か犯人に関する新情報が無いか手近な衛兵に問いかけた。
私の質問に対して衛兵は、困ったような顔をして「私はずっとここで見張りをしていましたので」と答えた。
それはそうだ。
これで衛兵の詰め所まで行く手間が省けた、と、内心喜んでいたが世の中そんなに上手くはいかないらしい。
私は衛兵に礼を言うと詰め所を目指して歩き出した。
結論から言うと今日の捜査も空振りだった。
情報は全く上がっていなかったし、倉庫街の調査も何の発見も無かった。
足を伸ばしてダンジョンの入り口まで行ったが、ダンジョン駐留兵もダンジョンに入った怪しい者は誰もいなかったとのことだった。
一日中歩き回った私の体には実際の疲労と、今日も無駄足を踏んだという精神的な疲労がずっしりとのしかかっていた。
「もう夕方か。」
そろそろボスマン商会に出向いてハルトの見舞いをするべきだろう。
そう考えた私はふと引っかかるものを感じて立ち止まった。
なんだろうかこの違和感は。
私は時間を遡るように自分の記憶を探った。
私が最初に見舞いの話をしたのはいつだ?
確か・・・
「今朝だ! 今朝私はロッテに何と言った?!」
ーー先ずはハルトの見舞いかな。ーー
ーーああ、それが良いですね。ーー
私は脳天に一発ガツンと食らった時のようなショックを受けた。
昨日私はロッテに何と言った? 「ハルトは少し用事が出来てしばらく家に帰れそうにない。今後は外食が続くぞ。」そう言ったはずだ。
ロッテはそれを聞いて「そ、そうですか。分かりました。」と言ったのだ。
つまりロッテはハルトは用事が出来たから帰れないとしか知らなかったのだ。
なのに私が見舞いに行くと聞いてなぜ変だと思わなかったんだ?
それはつまり、彼女は事前にハルトが負傷して帰れない事を知っていたからだ。
ハルトは街中で襲われたし、その現場を見た者も多い。そこから彼女の耳に入っていた可能性も無くは無い。
だが、だったらどうして私がその事を隠した時、何の反応も示さなかったんだ?
それはあまりに不自然だ。
ひょっとしてまさか・・・
「まさかロッテは例の襲撃者が送り込んだスパイなんじゃないんだろうか?」
その想像に私の心は冷たく凍り付いた。
「ハルト! 思ったより顔色が良いみたいでなによりだ!」
ハルトはベッドの上に体を起こしていた。
顔色も良くないが、辛そうな表情にも見えない。あまり痛みは無いんだろうか?
どうやら治療の経過は思ったよりも良好らしい。
「俺を刺した犯人を捜してくれているんだ。ありがたいと思う事があっても不満に思う事など何もないさ。」
何も出来なかった事を謝る私に、ハルトは力なく手を振った。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいで、まともにハルトの顔を見る事が出来なかった。
そんな私を見かねたのか、ハルトは別の話題を持ち出した。
「そうだ、言わなきゃいけないと思いつつタイミングを逃していた事があるんだ。」
それは襲撃の前夜。ハルトが深夜、家の廊下で見かけたという人影の話だった。
私の頭の中で、その話はついさっき浮かんだロッテへの疑惑と繋がった。
つい私は頭にカッと血が上った。
「どうしてそんな事を黙っていたんだ!」
「言うタイミングが無かったんだよ。あの日は朝からずっとロッテがいただろう?」
「そのロッテの事だが・・・」
ここで言うべきか? いや、何の証拠も無い今、急にこんなことを言ってもハルトの負担になるだけだろう。
「・・・いや、何でもない。」
「?」
結局私は何も言えなかった。
私自身まだ半信半疑だったという事もあるが、ハルトには余計な事は考えずにケガの治療に専念して欲しいという気持ちもあったからだ。
歯に物が詰まったような私の返事に、ハルトは訝し気な表情になったものの深く追求してくることは無かった。
その後は二言三言会話を交わし、ハルトの治療の様子を見て私は家に戻る事にした。
「ティルシア!」
ハルトに呼びかけられて私は立ち止まった。
「絶対に無理はするな。俺は明日にでも治る。だから必要なら俺を頼れ。」
ケガをして弱々しいハルトから掛けられるとは思ってもみなかったその言葉に、私はハッと胸を突かれた。
思わず言葉を失う私にハルトは続けて言った。
「ハッキリさせておくぞ。下手な遠慮は許さない。俺達は仲間だ。どっちかがどっちかに寄りかかっている訳じゃない。俺が出来ない事はお前に任せるが、俺にしか出来ない事があるならケガの事なんて気にするな、俺を頼れ。いいな?」
ハルトの言葉に私は何と返せば良いか分からなかった。
いつの間にか私は一人でハルトの負傷をしょい込んで、まるで彼を自分の保護対象のように思い込んでいたのだ。
何とおこがましい事を考えていたんだ私は。ハルトは私と出会う前はずっと一人でやってきたんだ。彼が必要としているのは保護者としての私じゃない、仲間としての私だ。
「分かっている」
私は無理に言葉を絞り出した。いや、私は分かっていなかった。
でも、今は分かっている。だからこの返事でいいんだ。
私はハルトに背を向けると部屋を出て行った。
ハルトはどんな表情で私を見送っているのだろう?
だが、前に進むと決めた私は振り返らなかった。
部屋のドアが閉まると私はサンモの方に振り向いた
「サンモ。用意して欲しい物がある。もし今ここに無いならいくら金がかかってもいい、最優先で手に入れて来て欲しい。」
私の厳しい表情に、サンモはいつもの人の良さそうな笑顔で答えるのだった。
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