その3 謎の死体
ガタン
俺は箒のようなはたきのような謎の道具を手に家の掃除をしていたが、何かが動いたような音に顔を上げた。
「裏口のドアが開いたのか?」
俺は掃除中も手の届く所に置いていた愛用のナタを手に取った。
階位1の俺でも使える数少ない武器だ。
ティルシアが言うには、昨日から俺達は何者かに監視されているのだそうだ。
そのため今、ティルシアはボスマン商会の連絡員に情報の確認に行っている最中である。
俺はダンジョンの外では階位1のクソザコだ。
もしもこの場で襲撃があれば、どれほどの抵抗ができるか分からない。
緊張に俺の喉がゴクリと鳴る。
どうやら音は裏口の外、屋外に作られたトイレのあたりからしたようだ。
ちなみにこの世界のトイレは普通、家の外に作られる。
金持ちの家では家の中に作られる事もあるようだが、その場合はおまるのような便器に用を足して外に捨てるみたいだ。
日本もずっと昔はこうだったんだろうが、現代人の俺にはこのトイレ事情は中々慣れることが出来ない。一日も早く便利な日本に帰りたいものである。
おっと、こんな事を考えている場合じゃない。
俺が慎重に裏口のドアを開けると・・・
「ガウッ!」
トイレのそばには農作業用具や梯子などをしまうために、倉庫が備え付けられている。
その中に鼻面を突っ込んでいた野良犬が、俺の姿を見て驚いて逃げて行った。
俺は肩の力が抜けるのを感じた。
どうやらさっきの音は、野良犬が倉庫の中身を引っ掻き回した時の音だったようだ。
「全く、倉庫なんかに犬が喜ぶ物があるわけないだろうに。一体何を漁っていたんだ?」
俺は何気なく倉庫に向かって歩くと・・・漂う異臭に眉をひそめた。
この匂い。まさか。
俺は手にしたナタを構えると、逆の手で半開きになっていた倉庫のドアをゆっくりと開いた。
ドサリ
倒れたのは派手な恰好をした若い男ーーの死体。
そう、それは死後一日は経っていると思われる、町でよく見かけるチンピラにしか見えない男の死体だった。
俺は近所の家に駆けこむと町の衛兵を呼んで来てもらえるように頼んだ。
ナタを手に血相を変えて飛び込んできた俺の姿に、隣人は大いに驚いた様子だったが、流石にこの状況で武器を手放す気にはならなかったのだ。
すっかり近所の野次馬達に囲まれてしまった俺の家に、やがて衛兵が4人連れ立ってやってきた。
こんな世界でも殺人事件はただ事では済まされない。
まあ、それもあくまで町の中での話で、町の外では町からの距離に比例して治安も悪くなるようだが。
若手の衛兵二人が野次馬ににらみを利かせる。
その間に、年かさの衛兵が男の死体の見分を始めた。
そして、この中で一番立場が高いと思われる、ひと際立派な恰好をした偉そうな衛兵が俺の前に立った。
服装から見てもおそらくこの隊の隊長だろう。
「貴様がこの家の者か。」
「そうだ。死体を発見したのも俺だ。」
俺の言葉に隊長の片方の眉がピクリと動いた。
「そのナタは?」
隊長にそう言われ、俺はまだ手にナタを握ったままだった事に気が付いた。
俺は慌ててナタを腰紐に挿した。
「今日は家の掃除をしていたんだ。」
我ながら妙な言い訳をしてしまったものだが、どうやら隊長は俺がこのナタで庭の木の剪定でもしていたと思ったようだ。
俺の説明で納得したのか、ナタに関してはこれ以上追及される事は無かった。
「死体を見つけた時の様子を話せ。」
あくまでも偉そうな隊長の態度に不快感を覚えながらも俺は事情を説明した。
もちろん監視者の事は伏せている。
こんなヤツらに言った所でトラブルの元にしかならないからな。
俺の話が終わると隊長は俺を睨み付けてこう言った。
「貴様が殺して隠したんじゃないだろうな?」
おい。俺の話を聞いてなかったのか?
何をどうすればそんな結論にたどり着くんだ?
俺はこの居丈高な男の理不尽な言葉に困惑してしまった
そんな時、男の死体を調べていた年かさの衛兵が隊長に声をかけた。
「死体は背後から一突きされて殺されています。他に外傷はありません。死んでから一日はたっていますね。足に引きずられた跡があるので殺されたのはこの場所じゃない可能性があります。」
年かさの衛兵の言葉に俺は軽い驚きを感じた。こんなに遅れた異世界でこれほど具体的な調査結果を聞く事になるとは思ってもみなかったからだ。
しかし、考えてみれば治安の良いとは言えない世界だ。衛兵なんて仕事をやっていれば死体を見た事だって一度や二度じゃないだろう。戦争に駆り出された事だってあったかもしれない。
この年かさの衛兵は、多分そういった場所で知識や経験を積む機会があったんじゃないだろうか。
「コイツがやった可能性は?」
「さて。私の見立てでは死んだ男は階位3ですから・・・ おい、お前の階位はいくつだ?」
クソッ。ここでそれを聞くのか。
俺は諦めて渋々答えた。
「階位1だ。」
「階位1だぁ?! 貴様ふざけるんじゃないぞ!」
隊長はいきなり怒鳴ると俺の胸倉を掴んだ。
そう言われても実際に階位1なんだから他に答えようが無い。
いや、実際は無難に階位2や3と答えても良かったんだが、可能性が非常に低いとはいえ、もしもこの中にスキル:鑑定に準ずるスキルを持つ者がいた場合、後々俺の嘘が問題になる可能性がある。
もちろん、本当に万に一つの可能性なのだが・・・実際に知り合いにそのスキルを持つヤツがいる以上、ついその可能性を考えてしまうのだ。
「本当だ。俺はダンジョン協会に所属している。協会で聞けば誰でも知っていることだ。」
「貴様、まだ言うか!」
隊長はすっかり俺が嘘をついていると思い込んでいるようだ。
頭に血が上って死体そっちのけで俺に絡んでいる。
よくこんな近視眼的な人間が隊を率いるなんて出来るもんだな。
「これは何事だ? お前達はウチで何をしているんだ?」
その時驚いたような少女の声がした。
その声に振り返る俺達。
そこに立っているのは、頭にひょこりとウサ耳を立てた中学生くらいの年頃の少女。
ウサギ獣人のティルシアだった。
「獣人の女ごときが口を挟むな!」
ティルシアの姿を見た隊長は彼女に怒鳴り付けた。
多くの人間には根強い獣人差別の習慣が残っているのだ。
隊長の怒声にティルシアのウサ耳がピクリと反応する。
「お前、名前は何というんだ?」
「何?! ・・・獣人に言う必要は無い。」
ティルシアの態度に何を感じたのか、途端に慎重になる隊長。
「領主様のところの衛兵だろう? 私の方から代官様にお前の仕事ぶりを話してやる。さあ、名前を教えろ。」
獣人の少女が強気に出るという意外な展開に、野次馬の相手をしていた若い衛兵達も驚いて様子を伺っている。
なにやら不穏な空気を感じて益々腰の引ける隊長。しかしここで引いて己の面子を潰す事は出来ないのか、逆に居丈高に怒鳴り散らした。
「貴様! 代官様などと言ってそれで俺を脅しているつもりか! 貴様の方こそ名乗れ!」
「私か? 私はボスマン商会の者だが、本当に名乗っていいのか?」
「ボスマン商会の?!」
その瞬間、隊長の虚勢は空気を抜かれた風船のようにしぼんだ。
若い衛兵達は思わず「えっ?!」と声を漏らし、年かさの衛兵は驚きに目を見開いた。
さっきまでの威勢はどこへやら、自信を失い情けなくオロオロとうろたえる隊長。
「あ、いえ、本当にボスマン商会の方なら名乗る必要は無い。」
「本当も何も疑うのなら代官様に聞いてみるがいい。私の名前はーー。」
「あ、け、結構です! おい、貴様。俺に代わって現場の指揮を取れ! 私は別の仕事がある!」
年かさの衛兵に仕事を押し付けると慌てて逃げ出す隊長。
その後ろ姿にティルシアは大きな声をかけた。
「おおい! お前の名前を教えていけ!」
「うひええええっ!」
おいおい。なんだよあの男。とんだ見掛け倒しだな。
周囲の野次馬達も俺同様呆気に取られて隊長を見送るのだった。
先月、ボスマン商会の若き跡取り息子マルティンがこの町のダンジョンで行方不明になるという事件があった。
実はこの事件はマルティンを狙ったデ・ベール商会の陰謀だったのだが、その片棒を担がされたのがこの町の代官だったのだ。
代官がデ・ベール商会とべったりなのはこの町の人間なら誰しも知る事実だ。
デ・ベール商会の要請を受けた代官は計画通りにマルティンを罠にはめたのだが、色々あってマルティンは俺とティルシアによって無事助けられた。
この予想外の事態にデ・ベール商会は当然のごとくだんまりを決め込んだ。
こうなってくるとヤバいのは代官だ。
ボスマン商会はスタウヴェンの町の領主、つまり代官の上司にあたるケーテル男爵にも顔が利くのだ。
結局、代官はボスマン商会に生殺与奪を握られ、大幅な譲歩を余儀なくされることになった。
とはいうものの、マルティンは代官の顔を立てながら結構上手くやってる様子なので、結果としてここで勝ち馬に乗り換えられたのは代官としてもツイてたんじゃないだろうか。
そんな訳で、現在スタウヴェンの町の代官周りでは、ボスマン商会の名前は腫物を触るような扱いを受けているのだった。
「それでハルト、結局何があったんだ?」
ティルシアは振り返ると俺に尋ねた。
あ~、その話があったか。もう一度さっきと同じ話をしなければならない事に気が付いて俺は少しうんざりした。
そんな俺達に年かさの衛兵がおずおずと話しかけて来た。
「あの、先程隊長から私達で調査を続けるように命を受けましたが、私も何も事情を聞いておらんのです。一緒に話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
俺はため息を付くと天を仰いだ。




