その1 地味な女ロッテ
家に戻った俺は自室に戻る前にリビングへと向かった。
俺の同居人、ウサギ獣人ティルシアが戻っているか確認するためだ。
戻っているなら晩飯の相談をしなくてはいけない。
とはいえ、作り置きの食事が無い今は、俺が作るか食べに出るかの二択なのだが。
ちなみにティルシアが作るという選択肢は無い。
この世界の料理は、基本的には俺のような日本人の舌には合わないのだが、ティルシアの作る料理はその中でも最たるモノだからだ。
俺は「女のくせに料理が出きないなんて」などと言うつもりはないが、ティルシアの場合はそういうレベルを超えている。本人の将来のためにも、もう少し料理を覚えるべきではないだろうか?
ティルシアは家にいる時はいつもそうしているように、リビングで自分の装備の手入れをしていた。
それは別に良い、それは良いんだが・・・
「あ、お帰りなさい。」
ティルシアの前に座っている女は何者なんだ?
まだ若い女だ。ティルシアより若い・・・と言うと混乱しそうだな。
ティルシアは19歳だが、見た目中学生くらいにしか見えないからな。
この女は高校生くらいには見える。
頭の上にフサフサとした耳が生えていることから、この女もティルシアと同じ獣人だ。
この耳の形は確かネコ科かイヌ科の獣人だったか。
というか人間の住む町で獣人といえばネコ科かイヌ科、というくらい最もポピュラーな獣人だ。
ネコ科の獣人は種族も多く、見た目だけでは同じネコ科の獣人同士でないと種族の判別が付かないと聞いた事がある。
「あ、あの・・・」
俺が訝しげな表情をしていたせいか、女が不安そうな表情になった。
「ティルシア、お前の関係者か?」
「違う。私が帰った時に家の前に立っていたのだ。ハルトに用事があると言うので家に入れたんだ。」
俺に?
ティルシアに言われて、俺は女の顔を見つめた。
気の弱そうな女だ。長い髪を町の主婦が良くするように二つに束ねている。
顔立ちは整っているが、ひと言で言えば地味な女だ。
俺の記憶には無い。孤児院時代の知り合いでもなさそうだ。
「どこかで会ったか?」
「い、いえ、初めてお会いします。あ、私ロッテと言います。商会からの斡旋を受けてここに来ました。」
女ーーロッテの説明によると、彼女は二日前に知り合いの伝手をたどって、このスタウヴェンの町に働きにやってきたそうだ。
その知り合いから紹介された商会が彼女にここを勧めたのだという。
「このヴィットダウフ荘なら仕事場からも近いから良いだろうって。」
「「ヴィットダウフ荘?」」
彼女の出した商会の名前は、確かに俺がこの建物を買い取った商会だった。
というかこの家はヴィットダウフ荘と言うのか。
「いや、何でハルトまで驚くんだ?」
「俺だって知らなかったんだよ。」
名前なんてどうでもいいからな。最初から俺はこの家で賃貸をして稼ぐつもりなんてなかったんだし。
しかし、どうやらそう考えていたのは俺だけだったようで、この家を売った商会は、俺が賃貸オーナーになるつもりだと思ったようだ。
まあ、賃貸物件を買ったんだ。そう思う方が普通なんだろうな。
なんで一軒家を買わなかったんだって? 丁度その時売りに出ている物件で条件に合うのがこの家だけだったんだよ。
あの時は、いい加減ダンジョン深層のアーティファクトが捌ききれなくなっていた所だったので、早急にそれらを隠せる場所を用意する必要があったのだ。
幸い、手頃なアーティファクトが良い値段で売れたので、頭金にする事が出来た。
あの時は色々と巡り合わせが良かったな。
「俺は自分の家にするつもりでこの建物を買ったんだ。今後も誰かに部屋を貸す予定はないし、そのつもりもない。」
「そ、そんなぁ。」
さっき言った通り、この家には俺がダンジョン深層から運び込んだアーティファクトが山ほど保管されている。
その一部はティルシアにも見せているが、本当にヤバい代物は厳重に隠してある。
いざという時のために手元に置いている品だが、多分、国の宝物庫に入っていてもおかしくない代物だ。
「で、でしたらせめて今日だけでも泊めて下さい。宿屋は今朝引き払ってしまっていますし、もうこんな時間だと女一人で安心して泊まれる宿も探せませんから。」
「気の毒だとは思うがそれはそちらの事情だ。俺がどうこうする問題じゃない。」
それこそ無責任にここを勧めた商会に文句でも言いに行けば良いんだ。
無関係な俺が世話してやるような事じゃない。
この時俺はふとイヤな予感がした。
「おい、ハルト。流石にそれは言い過ぎだろう。」
世の中イヤな予感ほど的中するようだ。
ティルシアは手にした装備を置くと俺の方を睨んだ。
「お前は人間の男だから分からないかもしれないが、人間の町では獣人の女は苦労するんだぞ。」
クソッ。やっぱりこうなったか。
俺は悪態をつきたい気持ちを飲み込んだ。
自分からこれ以上事態を悪くする必要は無いからだ。
ティルシアも俺の秘密を知っているだろうに。
どうやらティルシアは同じ獣人の女同士、ロッテの境遇に同情してしまったようだ。
「ならお前は俺にどうしろと言うんだ。」
「今夜一晩くらい泊めてやればいいだろう。お前がイヤなら私の部屋に泊めてもいい。」
ティルシアは元傭兵だけあって切り替えの早いヤツだし、人の命すらドライに割り切る事も出来るヤツだ。
だが、こうと決めたら絶対に折れない面倒な性格の持ち主でもある。
それにロッテの件に関しては、世間一般的に見た場合、俺の態度の方に非があるとされるだろう。実際に俺自身にもそういう自覚はある。
だから俺はどうしてもティルシアに強く出られなかった。
とはいうものの、俺としてはここで素直に引くのは面白くない。
後で思えばつまらない意地なのだが、いわゆる売り言葉に買い言葉というやつだ。
「お前に貸した部屋だ。自分の好きに使えばいいだろう。」
「なら決まりだ。よろしくなロッテ。」
「え? あ、ありがとうございます。」
この時の俺は、きっと苦虫を嚙み潰したような顔をしていたことだろう。
俺はため息をついて気持ちを切り替えた。
「話が終わったのなら食事に出ないか? 今から準備している時間も無いしな。」
これはちょっとした俺の仕返しだ。
ティルシアは俺の料理が大の好物で、機会があると料理をねだってくるからな。
俺の言葉にティルシアは少しだけ残念そうな表情を見せたが、ロッテの手前、変にごねたりはしなかった。
「よし、じゃあロッテも一緒に行こうか。」
「あ、じゃあ先に部屋に荷物を置かせて下さい。」
二人の背中を見送りながら俺もソファーから腰を上げた。
俺も部屋に戻って準備をしないといけない。
ちなみにロッテはネコ科の獣人なんだそうだ。
俺は廊下を歩きながら(そういえばネコ科の獣人も猫舌なんだろうか?)などと他愛もない事を考えていた。
俺の予想は外れ、ロッテは猫舌では無かった。
町の食堂で俺が軽く口を滑らせたその言葉に対してロッテがそう答えたのだ。
「そういう人もいますが、個人差がありますよ。」
との事だが、それって要は人間と変わらない、という事にならないか?
人間にだって猫舌のヤツがいるからな。
ティルシアはさっきから積極的にロッテの話を聞いている。
正直俺はそういうのが苦手なので、こういう時は彼女の社交的な性格に助けられている。
ロッテが知り合いの伝手でこのスタウヴェンの町に来たのは二日前。
昨日、仕立て屋で針子の仕事が決まった所なんだそうだ。
俺も知っている店だ。というかこの町の人間なら誰でも知っている大きな店だ。
店の前を通りかかると、いつも客が入っている感じなので、常時針子も募集しているのかもしれない。
そこでロッテは、この町で生活するならどこかに部屋を借りなければ、ということになり、今日、友人に勧められた商会から俺の家の事を聞かされたらしい。
その時俺は奇妙な引っかかりを覚えた。
(何だかこの話は出来過ぎてやしないか?)
それは勘ともいえない微妙な感覚。
無理に言葉にしようとすると、するりと抜け落ちる極わずかな違和感。
例えて言うなら、100枚のコインを投げて表裏の枚数が丁度50枚ずつになっているような。そんな整い過ぎている事が逆に作為的に見えてしまう不自然さ、とでもいえば良いのだろうか?
とにかく俺は彼女の話に胡散臭さを覚えたのだ。
しかし、それはあまりに小さな感覚だったので、俺自身、食事をしているうちにその事を忘れてしまった。
それにすぐそれどころじゃなくなってしまったからだ。
ロッテが席を外したその時、ティルシアが声を潜めて俺に話しかけてきたのだ。
「気が付いているかハルト。私達は監視されているぞ。」
それはトラブルの始まりを告げる言葉だった。




