エピローグ マルティンからの手紙
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ここはデ・ベール商会の本社。その奥にある執務室。
一人の青年が部下から報告を受けていた。
青年はスラリとした長身、切れ長の目をした落ち着いた雰囲気、例えるならやり手の青年実業家といったところだろうか。
「ダンジョン協会からは何も言って来ないか。こちらに貸しをつくるチャンスなのにな。それとも単に事件を把握していないのか・・・」
青年は部下を下がらせると独り言ちた。
いや、この部屋にはもう一人いた。
部屋の奥のソファーに座った置物のようなしわくちゃな老人。
デ・ベール商会を一代でここまで育てた巨人、ルカス・デ・ベールその人である。
「レオ、ダンジョン協会と敵対するようなまねだけはするなと言っただろう。」
意外としっかりした声でルカス・デ・ベールは青年を諌めた。
レオと呼ばれた青年、レオボルトは偉大な祖父の言葉に眉をひそめた。
今やデ・ベール商会の当主となった彼に苦言を呈することが出来るのはこの老人だけである。
「リスクを冒さなければ、いずれやってくるボスマン商会と戦うことは出来ませんよ。」
孫の言葉にルカスは内心でため息を漏らした。
レオボルトはボスマン商会は戦って良い相手ではないことが分かっていないのだ。
確かに、単に商会の大きさで言えばボスマン商会は大手商会の一角に過ぎない。
だがそれはあくまで現在の話に過ぎないのだ。
おそらく今の当主が引退するころには、国で並ぶものの無い商会にまで成長しているだろう。
デ・ベール商会がベール商会だったころから育て上げたルカスにはその未来がだれよりもハッキリと見えていた。
ルカスは可能であればデ・ベール商会の権利を一部譲歩することでスタウヴェンの町を共同経営、いや、条件次第では傘下に入っても良いとまで考えていた。
だがそれは彼の孫、レオボルトには理解できない考えなのだ。
レオボルトが生まれた時からスタウヴェンの町はデ・ベール商会が支配していた。
彼は将来の王、王子として育ったのだ。
彼にとってボスマン商会は自らの領土を侵す侵略者。戦って倒す相手であって共同統治者となることは考えられない。ましてやその傘下に入って生き長らえるなど想像すら出来ないのだ。
育て方を間違えた、いや、ボスマン商会という龍に目を付けられることさえなければ今のままでも良かったのかもしれない。
ルカスは益体の無い考えに耽った。
最大の過ちは王都でボスマン商会に敵対するデ・ブラバンデル商会に肩入れしてしまったことにある。
デ・ブラバンデル商会と近づくこと自体は利益のある、十分にメリットのある行為だった。
だがその結果、ボスマン商会と敵対する勢力に入ってしまうことになったのが失敗だったのだ。
今や王都でデ・ブラバンデル商会は見る影もなく衰退している。
ボスマン商会の次の目的はデ・ブラバンデル商会に協力した商会の撲滅なのは間違いない。
協力組織を潰すことでデ・ブラバンデル商会に止めを刺すつもりなのだ。
我々は敗戦国の同盟国だ。だが味方の商会はここまで来てもまだボスマン商会を侮っている。
他の商会はどこも昔から町に根付いている大きな商会だ。
現当主は自分の商会より小さな商会しか相手にしたことがない、つまり勝利の確定した勝ち戦しかしたことがないのだ。
だが、一介の商会から町を支配するほどの商会に育て上げたルカスは、これまでに数多くの鉄火場をくぐり抜けてきた。
だから分かるのである。この戦いは負けると。
敵は強い。それなのに味方は数と規模だけはそれなりの弱兵にすぎない。
負けないためには「戦わない」という選択肢しか残されていないと。
「いくら王都で近年のし上がってきた商会とはいえ、このスタウヴェンの町を支配しているのは我々の方です。返り討ちにしてやりますよ。」
レオボルトの言葉に沈黙で返すルカス。
そのことに不快感を覚えるレオボルトだが、寛大な心を意識することで無理やり祖父の態度を水に流すのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺はティルシアから渡されたスクロールを広げた。
いや、これはスクロールではない。広げた紙に書かれているのは魔法陣ではなく文字だ。
そう、これは俺宛に届いた手紙である。
魔法の込められたスクロールは一度開くと効果が無くなる使い捨てのアーティファクトだ。
だがゲームのようにスクロール自体が消えてなくなるわけではない。
描かれている魔法陣が消えるのだ。
残ったスクロール・・・スクロール用紙? は、こうやって高級便箋代わりに利用されている。
「本当にこんな文字が読めるんだな。」
ティルシアが横から手紙を覗き込んで俺に言った。
もちろんティルシアは文字が読めるーーというか文字が読めないのは俺の方だ。
だがこの手紙に限っては別だ。
なぜならこの手紙はマルティンが俺に向けて書いたもの。
つまり日本語で書かれているのだ。
「マルティンはまだしばらく王都から動けないようだな。」
まずは残念な知らせというところか。
あんな事件があったんだ。マルティンのボスマン商会にはできるだけ早くこの町に来て欲しかったのだが・・・。
ちなみにマルティンには今回の件はすでに報告済みだ。
もちろん俺が日本語で手紙にした。
あんなヤバい内容、もし誰かに知られたらどこで誰の首が飛ぶか分かったもんじゃない。
もちろん俺がこの世界の奴らの命を心配してやる義理はないが、どうせ巡り巡って結局こっちに飛び火することは分かっている。
無用なトラブルは避けるのに越したことはない。
あの日、俺達は殺されそうになったダンジョン夫達を助けて回った。
と言っても俺が相手をしたのはリーダーのヘールツだけなんだが。
正直、ダンジョン夫達を助けるという行為に思うところはあった。
だが、死んだ奴らの代わりにデ・ベール商会の手下が入ってくるとなれば話は別だ。
いくら嫌いな奴らとはいえ、デ・ベール商会の手下と働くことになるよりはまだましだ。
俺はイヤイヤ奴らを助けてやることにしたのである。
とは言うものの実際に殺人現場を目にした時には頭に血が上ってしまったようだ。
この世界の人間とはいえ人間は人間。
人を殺して笑っているようなヤツを前に冷静でいられる人間はいないだろう。
だからだろうか? 何だか色々と意味不明な質問をしてしまった気もするが、まあ最後はきっちり殺しておいたので問題は無いだろう。
階位5の肉体がどの程度のダメージまで耐えられるか実験も出来たしな。
とりあえず階位52は生身の人間相手にはオーバーキル過ぎるという事は分かった。
それにここまで身体能力が高いと流石に使い辛い。
今後はどうしても必要な時以外に階位50まで上げることは無いだろう。
正直一番悩んだのはこの事件をどう処理するかだ。
俺としては最低でもマルティンが来るまでデ・ベール商会と事を構えたくは無い。
ダンジョン夫共を見殺しにしてもだ。
だが、ダンジョン夫共は泣き寝入りを選んだようである。
自分の命が狙われたのに情けない奴らだ、と思わないでもなかったが、俺にとっては非常に都合が良かった事も事実だ。
命を救ったことを恩に着せてこの件を忘れてもらえないか、等と本気で考えていたところだったのだ。
さらにこの件でダンジョン夫共はデ・ベール商会と敵対はしなくても、今後は今回のようにすり寄ることは無くなったと見て良いだろう。
誰だって自分の命を狙うような相手と積極的に関わり合いたいとは思わないはずだ。いくらダンジョン夫共とはいえそこまでバカだとは思いたくない。
つまりマルティンのボスマン商会が来た時に、彼らはデ・ベール商会よりボスマン商会を選ぶ目が出てきたということだ。
今回デ・ベール商会も狙ったように、やはりこの町ではダンジョンが経済の基盤だ。
そこで働く人間の心がデ・ベール商会から離れたことはデカい。
そこはマルティンも考えたようだ。この手紙にもティルシアにダンジョン夫共の取り込みを任せたいと書いてある。
ティルシアに助けられたダンジョン夫共だ。少なくとも恩を仇で返すようなことはしないだろう。
十分に期待ができると思う。
「げっ! 何でそうなったんだ?!」
「な・・・どうした?!」
俺の大声にびっくりするティルシア。
マルティンの手紙を読み進めていた俺は無視できない内容に思わず絶句していた。
「フロリーナがボスマン商会の社員になったと書いてある。」
「はあっ?」
フロリーナはダンジョン研究員を自称する領主のお嬢様だ。
今回の件ではいろいろと振り回されることになった。
意外な展開にティルシアもポカンとしている。
俺は急いで手紙を読み進めた。
「どうやらフロリーナの父親、ケーテル男爵から打診があったようだ。」
フロリーナは今回の件を知らない。俺もあえて彼女には教えなかった。
彼女の口から父親に事件が伝われば怒った領主がデ・ベール商会を叩き潰すかもしれない、という考えは非常に魅力的だった。
だが結局俺はその方法を選ばなかった。
今デ・ベール商会を取り除いても権力の空白地帯が出来てしまう。それは結果として他の勢力に食い物にされる可能性が高い。
虎を追いやって獅子を招き入れることになっては意味が無いのだ。
デ・ベール商会を潰すならマルティンのボスマン商会がこの町に根付いてからの方が良い。
いずれこちらが有利になるのが分かっている以上、今はまだ動くべき時ではないのだ。
「フロリーナは今、マルティンのところで研修を受けているところだそうだ。」
「ああ、あれな。私も受けさせられたな。」
ティルシアが遠い目をする。
日本人転生者のマルティンはこの異世界フォスで日本のシステムを数多く導入している。
新入社員研修もその一つだ。
期間は約二ヶ月。これはボスマン商会に入った人間全てが受けなければならない。
たかが二ヵ月と言うなかれ。この世界では二ヵ月もただ飯を食わせてやる商会なんてどこにも無いんだ。
内容は仕入れから販売員、事務に雑用からなんと開発まで、ボスマン商会のほぼ全ての業務に渡る。
もちろん開発と言っても重要度の低い部署だろうが。
ティルシアが護衛の割に妙にボスマン商会に詳しいのはこの研修の賜物でもある。
フロリーナは研修期間終了後には新しい部署を任されるらしい。
その名も「ダンジョン部署」実質彼女のためだけの部署だ。
勤務地はここ、スタウヴェンの町。この町のダンジョンを調査・研究するのが仕事だそうだ。
・・・マジか。
俺は一気に気が重くなった。
実はこのダンジョンには大きな秘密がある。
俺が日本に帰るためにも絶対に誰にもバレてはならない秘密だ。
フロリーナのスキルは観察眼。もしかしたら何かに勘付くかもしれない・・・
いや、それはないか。
彼女のスキルにそれほど力が無いことはすでに確かめてある。
この町のダンジョンは全部で9階層。そういう常識が存在している限り特に何の問題も無いだろう。
それよりもまたあのマシンガントークを聞かされる方が憂鬱だ。
ふと気が付くとティルシアが微妙な表情で俺の方を見ていた。
なんだ、ティルシアもフロリーナが苦手だったのか?
意外と話が合うようにも見えたが。
「いや、何でもない。それよりお茶にしよう。」
その意見には賛成だ。まだ来てもいない相手のことで今から頭を抱えていても仕方がない。
俺は手紙を置くと湯を沸かしに炊事場へと向かうのだった。
ここまでで第二章が終わりとなります。
多くの作品の中からこの作品を読んで頂き、ありがとうございました。




