その15 後日談
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ダンジョン協会に一人の少女が入って来た。
頭に揺れる一対のウサ耳。
ウサギ獣人の少女ティルシアである。
ティルシアの姿に酒場でたむろしているダンジョン夫達の喧騒が静まった。
中には軽く会釈する者もいる。
彼らの多くはあの日ティルシアに命を救われたのだ。当然の反応と言えるだろう。
ティルシアは彼らに見向きも向きもせずに奥のカウンターへと向かった。
「今日はハルトと一緒じゃないんだな」
「商店に直接素材を下ろしに行っている。ほら今日の依頼分だ」
名指しで採取依頼を受けた場合など、ダンジョン夫は直接依頼人に素材を届けることがある。
一度ダンジョン協会を通すと、他のダンジョン夫の素材と混合されることがあるからだ。
ハルトの採取した素材は品質が良いので人気がある。
これも実入りの少ない上層で僅かでも稼ごうと長年努力を続けてきた成果である。
「ハルトは――」「なあ、ヤコーブスよ」
ティルシアに何か話しかけようとした男だが、彼女の声に遮られてしまった。
「ヤコーブスよ、お前はいつも私にハルトのことを聞いてくるが、直接自分で聞けば良いじゃないか?」
ティルシアの最もな意見に言葉を失くすカウンターの男――改めヤコーブス。
ヤコーブスは言いづらそうにティルシアに言い訳をした。
「そうだな・・・アンタの言う通りだ。けど今更話しかけるのもつい気が引けちまってよ」
「昔ハルトと何かあったのか?」
ティルシアの目つきが鋭くなった。
この男はダンジョン協会の職員だが、ハルトに不利益をもたらす者であれば対応を改めなければならない。
ヤコーブスはティルシアの問いかけに少し目を泳がせていたが、やがて覚悟を決めたのかポツポツと語り始めた。
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ハルトがまだ駆け出しだったころの話だ。俺は仲間の中でもすでに引退を考えるような年齢だった。
だからアイツを仲間に入れて俺が面倒を見る代わりに、キツイ仕事はアイツにやらせて報酬は俺が頂くことにしたんだ。
おっと、そんな目で見ないでくれ。誰でもやってることだし、駆け出しのころはみんなそうやって仕事を覚えていくもんなんだよ。
俺だってそうだったし、ハルトと一緒に仲間に入った駆け出しも、他のヤツに同じ目に合っていたしな。持ちつ持たれつ、ってヤツだ。
ああ、もちろん最初からアンタくらいの実力があれば別なんだろうが。
まあそんなわけで、俺は引退前にハルトにひと稼ぎさせてもらったってわけだ。
だがそんな時、ハルトのヤツは生えたスキルのせいで階位が1から上がらないことが分かった。
階位3はなければ危険な中層には連れていけねえ。
いつまでも上層を仕事場にしていても稼ぎは頭打ちだ。
つまりハルトはダンジョン夫として仲間に入れる旨味が無くなっちまったんだよ。
仲間はあっさりとアイツを追い出しちまった。
俺もあの時はアイツを見限っていたからな。特に反対はしなかったよ。
ハルトはそれでも一人で1階層を仕事場にしてダンジョンに下り続けた。
仲間はそんなアイツを笑い者にしていたよ。
正直に言うと俺もそうだった。そんなのは駆け出しの仕事場だ。いつまでそんな場所でやってるのかってね。
それからしばらくして俺は現役を引退した。運良く空きができたっていうんでダンジョン協会の職員に入れて貰えた。
慣れない事務仕事は大変だったが、それもどうにかこうにかこなせるようになってきたよ。
だがよ、そうすると次第に分かってきたんだ。
実は事務員としては、ハルトのようなダンジョン夫の方がありがたいということが。
俺が現役のころ、このカウンターには長いこと爺さんが座っていたんだが、爺さんはいつもハルトに何かと気を配っていたんだ。
その時の俺達は、爺さんは耄碌してハルトが孫にでも見えるんだろう、ってからかったもんだが、今の俺なら爺さんの気持ちが良く分かるね。
上層の素材は魔道具の燃料になる魔石や、紙や調味料の素材になる植物だったりと、大体が生活に必要な消耗品なんだよ。
危険の少ない階層だし駆け出しでも採って来れるってんでどうしても安い値段しかつけられないが、重要度で言えば中層の素材より上とも言える物なんだ。
ハルトはそんな上層の素材を毎日採ってくる。
ダンジョン夫はバカだから仲間内で粋がってはケガをして仕事を休むヤツが出る。だが仲間のいないハルトは当然そんなバカもしない。
もちろんハルトとしては、毎日こなさなければ生活が出来ないからやっているだけなんだろうさ。買い取り金額の安い素材なんだからな。
それでもこっちとしては、消耗品が安定して供給されるってことが何より有難いもんなんだよ。
それにアイツの仕事は丁寧だ。駆け出しのダンジョン夫が持ってくる採取品と違って、素材の傷みも無ければ数や種類も誤魔化さない。
少なくともダンジョン協会の職員でハルトを悪く言うヤツは一人もいないさ。
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ティルシアはヤコーブスの話を黙って聞き終えた。
「それをハルトに言ってやればいいじゃないか」
ヤコーブスは少しバツが悪そうにした。
「そうもいかんのだ。ダンジョン夫はあれでプライドが高いからな。自分達がバカにしているハルトの方が協会で評価されていると知ればヘソを曲げかねない」
一斉にボイコットなんてされた日には協会が潰れちまう。ヤコーブスはお手上げといった感じでもろ手を上げた。
デ・ベール商会のゴロツキ、ヘールツ達には軽くあしらわれたダンジョン夫達だが、階位4は民間ではかなりの強者だ。
ダンジョン協会もそんな連中の不興を買いたくはないらしい。
「ならばせめてハルトと会話をする努力くらいはするべきだ。お前、ハルトに何て言われているか知っているのか?」
ティルシアの問いかけにゴクリと喉を鳴らすヤコーブス。その表情は不安に揺れている。
「”カウンターの男”だ。お前ハルトに名前すら覚えてもらえていないぞ」
ガックリと肩を落とすヤコーブス。
まずはそこからかー。ヤコーブスはため息を漏らした。
カウンターから離れて外に出ようとしたティルシアの前に男が立ちふさがった。
頬に大きな傷のある男、カスペルだ。
以前ここで会った時と違い、ティルシアを侮る表情はない。
それどころかどこか暗く思い詰めたような顔をしている。
カスペルは立ち止まったティルシアに向かって頭を下げた。
「あの時は助かった。感謝している」
ティルシアは怪訝な表情を浮かべた。
「お前達を助けたのはハルトだ」
「それは知っている」
あの日、弟のリュークを殺されて呆然としていたカスペルの前に現れたのはハルトである。
ヘールツがハルトを追いかけているスキを突いて、彼らはダンジョンから逃げ出したのだ。
カスペルも仲間に担がれるようにして逃げ延びていた。
そして彼らはダンジョンから出た後、駐留兵にヘールツ達が仲間を殺したと――
誰も訴えなかった。
ヘールツ達はデ・ベール商会の雇われである。
このスタウヴェンの町ではデ・ベール商会に逆らって生きて行くことはできない。
彼らは我が身可愛いさに泣き寝入りを選んだのである。
もちろん彼らの中に仲間を殺された恨みや憎しみは残っている。
だがそれが噴き出すのはまだ先のことである。
「だが、ヘールツの仲間達を倒したのはアンタだと聞いた」
ティルシアはヘールツの仲間に襲われたダンジョン夫達を助けて回った。
当然多くの者達に目撃されている。
どうやらカスペルはヘールツもティルシアが倒したと考えているようだ。
「弟の仇をうってくれて感謝している」
ハルトは多くのダンジョン夫の命を救った。しかしカスペルの弟、リュークを救うことは出来なかった。
ハルトが後ほんの1分ほど早く到着するか、カスペルがヘールツに襲い掛からなければリュークは死なずに済んだかもしれない。
だがそれは考えても意味の無い話である。
「俺に出来る事があれば何でも言ってくれ」
「ならば二度と私に話しかけないでくれ」
バッサリと切り捨てられて鼻白むカスペル。
「お前は日頃からハルトをバカにしているからな。私だって日頃から私をバカにしているヤツとハルトが話していたら気も悪くする」
カスペルはティルシアの言葉に何も言い返せなかった。
彼は辛うじて「分かった」とだけ呟いた。
ティルシアは満足そうにウサ耳を揺らすと、これ以上カスペルには目も向けずに立ち去った。
カスペルは俯いたままその場に立ち尽くすのだった。
ティルシアはダンジョン協会を一歩出た途端、さっきの会話を頭の隅においやった。
長年人の生き死にに関わる傭兵をしていた彼女は人間関係の割り切りが早い。
それに今日は度重なるおねだり攻勢がようやく実を結び、ハルトに晩御飯を作ってもらえることになったのだ。
今頃ハルトは食材を買って家に帰っているころだろう。
ティルシアは足取りも軽く通りを歩いて行くのだった。
次回「エピローグ マルティンからの手紙」




