その14 階位《レベル》52
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ここはダンジョンの袋小路。今ここは鉄さび臭い血の匂いと犠牲者の垂れた汚物の匂いが充満している。
吐き気を催す死の匂いだ。
袋小路の奥には身を寄せ合って震えているダンジョン夫達。
膝立ちで呆けている男。
血に染まった剣を手に背後を振り返るドレッドロックスの大男。
大男の足元には頭から血を流す死体と首の無い死体が転がっている。
そして死の現場にうっかり出くわしてしまった一人の不幸な青年。
ハルトである。
剣を持つ大男、ヘールツは訝しげにハルトの顔を見た。
ハルトとヘールツはダンジョン協会で二度ほど顔を合わせているのだが、ヘールツはハルトの顔を覚えていなかった。
(今まで感じた事のないほどヤバいモンスターの気配がしたと思って振り返っちまったが、なんでコイツしかいないんだ?)
ヘールツは、長年ダンジョンでモンスターと戦った者の持つ勘で背後に近づく危険を察知したのだ。
だが彼は自分の感じた気配がハルトのものだとは考えなかった。
ヘールツが戸惑っている間にハルトは踵を返すとダンジョンの奥へと逃げ出した。
ハルトの行動に我に返って慌てるヘールツ。
この殺人はあくまでも事故として処理されねばならない。
目撃者を見逃すわけにはいかないのだ。
背後のダンジョン夫達をチラリと見て一瞬悩んだヘールツだったが、結局、目撃者の処理を優先することに決めた。
幸いここは中層だ。目撃者の口封じを済ませてから後ろのダンジョン夫達を追いかけても、地上に出るまでに追いつくことが出来るだろう。
それほど彼らと自分の階位差は大きい。
逆にダンジョン夫達を皆殺しにしてから目撃者を追いかけたのでは時間がかかりすぎる。
ダンジョン夫一人の証言くらいデ・ベール商会にとってはどうということはないが、目撃者を逃がすことで今回の殺人がケーテル男爵の娘フロリーナの耳に入る危険性がある。
フロリーナにだけは知られてはいけない。彼女には今回の件が事故であると証言してもらわなければならないのだ。
ヘールツはそうデ・ベール商会の会長に厳命されていた。
ヘールツはハルトを追って走り出した。
先ずは目撃者を殺す。後ろのヤツらの始末はそれからだ。
だが、そんなヘールツの目論見は外れることになった。
いつまでたってもハルトに追いつけないのだ。
このままではあのダンジョン夫達まで逃がしてしまうことになる。
焦るヘールツ。
だが彼が走る速度を上げると、ハルトもそれに合わせたかのようにわずかに上回る速度で逃げて行く。
まるで自分をおびき寄せているように。
自分の考えにショックを受けて立ち止まるヘールツ。
するとハルトも少し離れた場所で立ち止まった。
間違いない! コイツ、俺を引き付けるためにわざと適当な距離を保って逃げていたんだ!
何のために? 決まっている。仲間を逃がすためだ。
階位5の俺を相手にどうやって?
ヘールツは荒い息を整えながらハルトの姿をもう一度よく観察した。
駆け出しダンジョン夫が着るような安物の防具だ。
武器も腰に差したナタしか持っていない。
体付きも平凡だ。どう見ても高階位者のようには見えない。
・・・だがどこかおかしい。何かが変だ。
「どうした? もう追いかけて来ないのか?」
その時ヘールツは自分の感じた違和感の正体に気が付いた。
この男は息を乱していない!
階位5の自分が息を荒くするほど全力疾走したというのに、この男の息は少しも乱れていないのだ。
これは少なくとも男の階位がヘールツの上、階位6以上であることを意味している。
こんな小さな町に階位6以上のダンジョン夫がいるなど信じられない事だ。
だがそれ以外に目の前の事実を説明することはできない。
ヘールツとて以前は軍に所属していたのだ。階位の差が絶対であることは骨身にしみて知っている。
そう気付いてからのヘールツの判断は早かった。
ヘールツはハルトから目を離さないようにジリジリと後退し始めた。
ヘールツの変化にハルトも気が付いたようだ。
「ああ、もうバレたのか。意外と勘が良いんだな」
その声はヘールツの後ろから聞こえた。
彼の前にいたハルトはいつの間にか彼の後ろに立っていたのだ。
驚愕に目を見開くヘールツ。
ヘールツが瞬きする間にハルトは彼の背後に高速で移動したのだ。
全くかなう気がしない。
ヘールツは粗暴で他人に暴力を振るうことを好む人間だが、それだけに力の差というものに敏感だった。
たったこれだけのことでヘールツの心は折れてしまった。
それほどハルトの動きは絶望的だったのだ。
かつて自分が新兵だったころでも上官にこれほどの差を感じた事はなかった。
「結構距離も稼いだし、ここなら誰にも見られずに済むかな」
ハルトは軽くそう言うと流れるような動きで腰のナタを抜いた。
おそらく瞬き一つする間に雑草でも刈るように自分の首はあのナタに切り落とされてしまうだろう。
「ま・・・待て! 待ってくれ!」「分かった」
ヘールツの必死の懇願に軽く応えるハルト。
思わぬ返事に、逆に言葉に詰まるヘールツ。
「お前が俺の質問に満足いく答えを返してくれるならその間だけ待とう」
ヘールツは必死に頭を働かせた。
この男は何が望みだ? そうだ。なぜ俺がコイツの仲間を殺そうとしたかを聞いてくるに違いない。
どこまで話すことが出来る? 全て話せば仮にこの場は逃れても商会に追手をかけられるのは間違いない。話す事の出来るボーダーラインを見極めなければならない。
「自分より弱い相手をいたぶるのは楽しいか?」
「え・・・?」
意外な言葉に、これがハルトからの質問であることが分からずにポカンとするヘールツ。
「だからいつもお前がやっているだろう? 弱い相手をいたぶることだよ。なあそれって楽しいのか?」
噛んで含めるような問いかけに、ようやくヘールツの頭が回り始めた。
「あ・・・ああ。最高だ」
「相手は弱ければ弱い方が良いのか?」
「そうだ。あまり強いといたぶっている感じがしない。弱いヤツをヒイヒイ言わせるのが良いんだ」
「強い相手の方がいじめ甲斐がありそうだけどな」
「駄目だ。絶対にかなわないということを思い知らせて相手が絶望するのが面白い。最高に笑えるんだ」
ハルトの言葉に答えながらも、何を言わされているのか分からなくなるヘールツ。
ハルトはヘールツの答えに「ゲームで初心者狩りをする奴らのようなものか」などと訳の分からない言葉を呟いた。
「お前は俺より弱い」
「・・・」
ハルトの言葉に流石にムッとするヘールツ。
だが言い返すことはしない。事実だからだ。
「絶望したか?」
「あ・・・ああ。うむ」
ハルトが何をやりたいのか分からずに、取り敢えず追従するヘールツ。
「お前は階位5なんだってな。俺は階位52だ」
訳の分からない自慢にヘールツはハルトの正気を疑った。
階位52? 何を言ってるんだ、子供かコイツは。
戸惑うヘールツの様子に首をかしげるハルト。
「ふぅむ。何が面白いのか分からん。ちょっと気になっただけだしもういいか」
そう言うとハルトはヒュンとナタを振った。
衝撃波が飛びヘールツの片手を切り飛ばす。
「へっ?」
「あっ」
あまりに鋭利な切り口だったためか、痛みと出血は少し遅れてやって来た。
突如腕を襲った焼け付くような痛みに絶叫するヘールツ。
困った顔で頭をかくハルト。
「スマンな。階位52の感覚に慣れていないんだ。まさかこんなことになるとは思ってもみなかった」
だらだらと血を流す手を押さえてうめくヘールツ。
傷口を押さえた手からも出血する。鋭利に切り裂かれたミスリルの籠手の切断面で、傷口を押さえた手まで切ってしまったのだ。
痛みに火がついたように熱くなった頭でヘールツは理解した。
信じられないことだが、ハルトは本当のことを言っているに違いない。
この世にミスリルの防具を衝撃波だけで切り裂く人間など存在するはずがない。
あるとすればこの世の理――階位の最高位である階位10を超えた存在しかありえない。
ヘールツは今一度ハルトを怯えた目で見上げて呟いた。
コイツは化け物だ――と。
次回「後日談」




