その4 酒場の揉め事
「おいティルシア。テメエいつまでもいい気になってんじゃねえぞ。俺達を敵に回すということはヘールツ達を敵に回すということになるんだぜ。」
頬にキズのある男、カスペルはティルシアにそう言って息巻いた。
ここは酒場兼ダンジョン協会。
カスペルの言うヘールツとは軍人崩れのゴロツキだ。今はこの町でデ・ベール商会に身を寄せている。
デ・ベール商会は今日、俺達を除くほとんどのダンジョン夫をダンジョンの中層の調査とやらに雇った。
デ・ベール商会は悪徳商会だが金払いは良い。
今酒場でいい気分で飲んでいるヤツらは全員間違いなくデ・ベール商会の依頼を受けたんだろう。
カスペルの言葉にティルシアの目が据わる。
自分で粋がっておきながらティルシアの視線に腰が引けるカスペル。
だがティルシアが見ているのはお前じゃないぞ。
酒場の男達をかき分けて4人の男が俺達の方へと近づいて来た。
中央にいるのは髪をドレッドロックスにした大男。
ヘールツとその仲間達である。
ティルシアが無意識に腰の剣を手で探ると腰を落とした。
その姿に俺は驚く。
ティルシアがこんなに警戒するところを初めて見たからだ。
「んだァ、揉め事かオイ!」
取り巻きの一人がカスペルに怒鳴った。
「あ、いえ、生意気な女にちょっと言ってやっていただけですよ。」
カスペルが取り巻きの男にヘラヘラと笑って下手に出た。
あまりの態度の変わりように俺はすっかり毒気を抜かれてしまう。
カスペル弟ーーさっき名前は何って言っていたっけ? まあいいか、ガキで。ガキはそんな兄貴の姿を見て学習しているようだ。兄貴に倣って愛想笑いを浮かべている。
手下を押しのけてヘールツが前に出た。
その巨体にカスペルの腰が引ける。
「揉め事は許さんと最初に言ったはずだ。俺の言葉を守れないなら明日からお前は雇わんぞ。」
「そ・・・そんな、勘弁して下さいよヘールツさん。ちょっと話し込んだだけですって。」
カスペルはもみ手をしながらヘールツにすり寄った。
あ、バカ、よせ! ヘールツの目が苛立ちに吊り上がった。
バキッ!
突然の打撃音に騒がしかった酒場が静まり返った。
彼らの視線の先にあるのはいきなりヘールツに顔面をぶん殴られてのけぞるカスペル。
本気の一撃ではなかったのだろう。カスペルは辛うじてその場に踏みとどまる。
誰かがゴクリと喉を鳴らした。
カスペルの鼻から血が一筋流れた。
ギャハハハハッ
何が可笑しいのかカスペルの顔を見て笑う取り巻き共。
カスペルは痛みを堪えながら愛想笑いを浮かべている。
「今日のトコロは今ので勘弁してやる。向こうで飲んで来い。」
カスペルは自分を殴った相手に感謝の言葉を告げて嬉しそうに去って行った。
俺はそんなカスペルを見ていられなくなって視線を逸らした。
ヘールツが俺達の方を見る。俺は僅かに緊張したが、ヘールツは俺の事を覚えていなかったようだ。
その視線はティルシアの方へと向いている。
「ガキがこんな所をウロチョロしているから絡まれるんだ。」
「そうだな。助かったよ。」
ティルシアが謙虚な態度で礼を言った。
ヘールツ達はそれだけ言うと俺達の前から去って行った。
どうやら本当に揉め事を収めに来ただけだったらしい。
ティルシアから聞いた話だと、むしろ揉め事を起こすのが仕事のようなヤツらのはずだが・・・
俺の最初の印象でも奴らはまごうことなくゴロツキだ。なのにそんなゴロツキ共がなぜ揉め事を嫌う?
俺はヘールツ達の思惑を計りかねた。
酒場に喧騒が戻る。
ティルシアが大きく息を吐くと強張っていた体から力を抜いた。
「ハルト、あの男には気を付けろ。」
ティルシアはそれでもヘールツ達から目を離さずに俺に囁いた。
「あの男は私より強い。」
それは自信の塊、ティルシアの口から出たとは思えない言葉だった。
「何を言う。私だって自分より強い相手がいることくらい分かっているさ。」
依頼を納品した帰り道、酒場でのヘールツ達との一件を話した俺にティルシアが呆れたように言った。
ちなみに依頼品の山にカウンターの男は目に涙を浮かべて俺達に感謝した。
なんとも大袈裟な奴だ。こんな感情的な男だとは知らなかった。
大袈裟に喜ぶ男の姿にティルシアは満足そうにウサ耳を揺らしていた。
俺か? 俺はそんな二人を呆れて見ていたに決まっているだろう。
「もちろん勝つか負けるかはやってみなければ分からんさ。だがそれでもアイツの方が私より強いという事実は動かない。」
ティルシアがこんなに相手のことを持ち上げる性格だとは思わなかった。
らしくないティルシアの態度に俺はもやもやとしたモノを覚えた。
「だがあの取り巻き共相手なら三人まとめて相手しても私の勝ちは揺るがんがな!」
いや、やはりいつものティルシアだった。
どうやら俺の勘違いだったようだ。俺は自分の気分が晴れるのを感じた。
「それよりも私はハルトの方が意外だったぞ。」
ティルシアの言葉に俺は首をひねった。俺はティルシアに意外に思われるようなことをやった覚えは無いが?
「さっきのキズの男が殴られた時だ。」
ティルシアが言うには、カスペルがヘールツに殴られた時、てっきり俺が「いい気味だざまあみろ。」といった顔をするんじゃないかと思っていたらしい。
「だがハルトは不愉快そうに眼を反らしただけだった。どうしてだ? 以前アイツのことを、いつも絡んでくる嫌な奴だ、と言っていたじゃないか。」
ティルシアの言葉に俺は少し考えた。
俺はダンジョン夫のヤツらが大嫌いだ。
モンスターに食われて死ねばいいと思っているヤツが何人もいる。
当然カスペルだってその一人だ。
だが、ティルシアにどうしてだ? と聞かれても、あの時はそういう気分じゃなかった、としか答えられない。
俺は自分の気持ちの答えを探して黙り込む。
そんな俺の姿にティルシアはどこか満足そうに頷いた。
「やはりお前はいい奴だな。その気持ちを忘れないことだ。」
ドヤ顔で知った風なことを言うウサギ女に俺はやり場のない奇妙な苛立ちを覚えた。
翌日も俺達はカウンターの男から依頼を受けてダンジョンに来ていた。
今日も俺達以外のダンジョン夫はヘールツ達、デ・ベール商会の依頼を受けているそうだ。
なんでも後数日は調査に必要なんだそうだ。
その間、ずっと俺はこんな重労働を強いられるのだろうか? マジで勘弁して欲しい。
俺はいつもの仕事を放り出して割の良い仕事に群がる無責任なダンジョン夫共と、大量に依頼を押し付けてくるカウンターの男に憤りを覚えながらダンジョンを歩いた。
ティルシアに対しては憤りを覚えないのかって?
そんな無駄なことをしてどうする。どうせコイツには何を言っても通じないのだ。
朝、家を出る時に雨が降っていても空に対して憤りを覚えるヤツはいないだろう。
ティルシアとはたかだか数日の付き合いだが、すでに俺はそんな境地に達していた。
「中層の採取依頼も受けたのか?」
「誰も依頼を受けないのだから仕方ないだろう。」
ティルシアの言うことは最もだが、今、中層は多くのダンジョン夫達がうろついている。
正直奴らと顔を合わせるのかと思えば気が重い。トラブルの予感しかしないからだ。
「嫌なら私一人で行こうか?」
正直そそられる提案だ。
だがしばらく考えて俺はしぶしぶその誘惑を振り払った。
「いや、やはり俺も行こう。まだティルシア一人では手際よく採取できないだろう。」
俺の言葉にティルシアが嬉しそうに頷き、彼女の頭のウサ耳が前後に大きく揺れた。
次回「ダンジョンの出会いは間違えているのだろうか?」




