その3 カウンターの男の依頼
「なーなーハルト、私が悪かったから今後もご飯を作ってくれ。なっ? なっ?」
俺はしつこくまとわりつくティルシアを引きずりながらダンジョン協会の入り口をくぐった。
非常に重い。ティルシアの地獄の特訓メニューをこなしていなければとっくにギブアップしていただろう。
もちろん階位5のティルシアが本気で俺にまとわりつけば、俺はその場から一歩も動けなくなるだろう。
ティルシアはこれでも甘えているのだ。
・・・ひょっとして誘惑しているつもりなのかもしれない。
どう見ても父親におねだりをする子供にしか見えないだろうが。
昼過ぎという時間のせいか酒場には誰もいない。
・・・珍しいこともあったものだ。
大抵何人かはたむろしているものなんだが。
まあこちらとしてはちょうど良い。
俺はヒマそうにしているカウンターの男の前に立った。
「ちょっといいか? 昨日はあれからどうなったんだ?」
俺の質問に男は少し言い辛そうな表情になった。
「あー、あれな・・・。まあ気を悪くせずに聞いてくれ。」
俺がコイツら相手に気を悪くする? そんなのはいつものことだ。今更気にする事じゃない。
男の話をまとめると、どうやら昨日の四人組、ヘールツを中心としたゴロツキ共はあんな態度でもダンジョン協会に依頼を発注しに来たところだったんだそうだ。
どう見ても喧嘩を売りに来たようにしか見えなかったんだが・・・
依頼内容はダンジョンの調査の手伝い。範囲は中層。依頼人はデ・ベール商会。
デ・ベール商会の名前に、今まで関わり合いにならないように息をひそめていたダンジョン夫共は一気に色めき立ったと言う。
当然だ。誰だってこの町の支配者に取り入るチャンスを狙っているのだ。
まあ俺は頼まれても近付くつもりはないが。
ちなみにデ・ベール商会は金払いは良い。そういう意味でも依頼人としてはダントツの人気を誇る。
意外な気もするがデ・ベール商会はあくまでも商会だ。ケチな店、という噂が立つことは商会にとってかなりの痛手なのだろう。
裏で何をやっていようと表の看板にキズが付くようなヘマはしない。そういうしたたかさがあるからこそ、ここまで大きな店になっているのだ。
「そんなに雇ったのか?!」
「・・・ああ、おかげで依頼が滞っていて困っているんだ。」
男の言葉に俺は言葉を詰まらせた。
デ・ベール商会が雇った人数は、このダンジョン協会に所属するダンジョン夫のほぼ全員と言って良い人数だった。
なるほど男が最初に気まずそうにしたわけだ。
怪我や依頼で長期間拘束されている者を除けば、俺とティルシアは今回の依頼で唯一雇われなかった人間になるんだからな。
デ・ベール商会の依頼なんて最初から受ける気は無いが、この扱いには流石に俺も不愉快になる。
仕事場が中層である以上、俺に声がかからなかったのも当然なのだが。
「何だ、じゃあ私達は今日から仕事を選び放題じゃないか。」
隣から聞こえたティルシアの言葉にふと心が軽くなる。
そうだった。今まではこういう時はただ理不尽を堪えるだけだったが、今は仲間がいるのだ。
俺は自分が当たり前のようにティルシアを仲間と思っていたことに気が付いて自分で驚いた。
「そいつは助かる! 急ぎの仕事が溜まっているんだ!」
男は興奮気味に建物の奥にある依頼表に向かった。
ティルシアの気が変わらないうちに依頼を押し付けるつもりなのだろう。
ティルシアも男の後に続く。
俺は自分の心に混乱して立ち尽くしていた。
そんなふうに俺が自分を見失っているうちにいつの間にか二人の間で話が纏まったようだ。
「よし! ダンジョンに行くぞ、ハルト!」
ティルシアに背中を叩かれて俺はハッと我に返った。
「ダンジョン?! 今から行くのか?! もう昼を回っているぞ?」
「上層の依頼だからな、今からでも走って行けば十分間に合う!」
俺は男の方へと振り返った。
男は片手を上げて「スマン」というポーズを取っている。
ちなみにこの異世界でも他人に謝る時はこのポーズだ。
人間の根源的な意識を刺激する形なのかもしれない。
「お前、あの男にーー」「ほら、喋ってないで行くぞ!」
後ろに回ったティルシアに押されて俺はため息をついた。
こうなっては俺に彼女を止めることは出来ない。
俺は無駄な抵抗を諦めるとティルシアに従ってダンジョンへと走り出すのだった。
「流石に全部をこなすのはムリだったか。」
ティルシアが悔しそうに呟いた。
夕日に染まるスタウヴェンの町を、俺はダンジョンで採取した素材を担いでティルシアと歩いていた。
今回の依頼は上層の採取だけだったが、時間が無いこともあって二人で手分けして当たった。
彼女も初心者なりに頑張った方だがやはり経験不足は否めない。
結局受けた依頼の一部を残したまま時間切れとなった。
「大丈夫か? ハルト。」
「・・・これが大丈夫に見えるか?」
俺は重い脚を引きずるように歩きながらティルシアを睨んだ。
今日の依頼は俺にとって数日分の仕事量だ。
それをたった半日でほぼ一人で片付けたんだから疲労困憊するに決まっている。
しかも今回は時間が無いこともあってモンスターとの戦闘をしなかった。
おかげで俺は階位1の体力のままダンジョンを走り回る羽目になったのだ。
「お前と私となら大丈夫だとあの男が言ったんだ。」
「・・・お前絶対アイツに乗せられてるぞ。」
まあティルシアが取ってきた依頼は全て買い取り依頼、採れたらその分量に応じて報酬が払われるタイプの依頼だったので助かった。
これが契約依頼ーーいついつまでにこれだけの量を納品する、といった依頼だと違約金が発生していた所だ。
俺がそのことを注意するとティルシアは真剣な表情で頷いた。
やる気はあるヤツなんだよな、コイツ。
長年クズのようなダンジョン夫共しか見ていなかった俺は、そう思うだけでティルシアに強く当たれなくなった。
俺は複雑な気持ちを抱えたままダンジョン協会へと向かうのだった。
ダンジョン協会の入り口をくぐると中は人でごった返していた。
あまりの人いきれに息がつまりそうだ。
全員ダンジョン夫だ。
奴らはテンションも高く大声で笑い合いながら酒を酌み交わしている。
昼間とのあまりの違いにティルシアが驚いて目を丸くしている。
「よお、ダンジョンムシ、お前今更何しに来たんだよ。」
生意気そうなガキが覚束ない足取りで俺に近づいて来た。
ガキのくせに酒を飲んでいるようだ。
俺の隣にティルシアがいるのにも関わらず絡んでくるとはだいぶ出来上がっているな。
大方仲間に煽られてしこたま飲まされたんだろう。
俺はガキを無視してカウンターに向かおうとする。
「テメエ、シカトしてんじゃねえぞ!」
ガキがふらつきながら俺の肩を小突く。
階位1の俺はそれだけでよろけて壁に手をついた。
そんな俺を見てゲラゲラと笑うガキ。
その時俺は初めて気が付いた。コイツは以前カスペルと一緒にいたガキじゃないか。
カスペルは頬の大きな傷が特徴の男だ。昔は俺の仲間だったが、他のヤツらと同様に俺の階位が上がらないと知るや俺を見限った男だ。
「おい小僧、その辺にしておけ。私達は仕事の報告をしなくちゃいかんのだ。」
ティルシアが俺とガキの間に入った。
ガキは一瞬キョトンとした後にティルシアをジロジロと見た。
ガキの不躾な視線に剣呑な雰囲気を漂わせるティルシア。
だがガキはそんな事にはお構いなくティルシアに対して暴言を吐いた。
「なんでこんなところに獣人のガキがいるんだ? ここはお前なんかが来ていい場所じゃねえぞ!」
ティルシアの額に青筋が浮かぶ。
俺は思わず天を仰いだ。
「おい、リューク。テメエ何やってんだ。」
「カスペル兄貴!」
俺達が揉めているのを見て、頬に大きな傷のある男がやってきた。カスペルだ。
カスペルはそこで初めてティルシアに気が付いたようだ。
明らかにうろたえるカスペル。
コイツも御多分に漏れず、初日にティルシアに絡んでボコボコにされた口だからな。
相当に苦手意識を植え付けられたらしく、今ではティルシアの姿を見ると目を反らして逃げるようにまでなっていた。
だが今日のカスペルは違うようだ。
ティルシアの姿に一瞬身構えたものの、逃げることなく近付いてきた。
「俺の弟に何か用か?」
やはりこのガキはカスペルの弟だったようだ。まあどうでも良い情報だが。
ティルシアはカスペル弟をひと睨みするとカスペルに視線を向けた。
「絡んできたのはコイツの方だ。噛みつき癖のある犬には首輪とリードを付け忘れるな。」
弟を飼い犬扱いされた事でカスペルの眉が吊り上がった。
「おいティルシア。テメエいつまでもいい気になってんじゃねえぞ。俺達を敵に回すということはヘールツ達を敵に回すということになるんだぜ。」
ヘールツ? デ・ベール商会のゴロツキのことか?
そういえばコイツも今日はデ・ベール商会の依頼を受けていたんだろうな。
いや、今酒場で飲んでいるヤツらは全員そうか。
カスペルの言葉にティルシアの目が据わる。
次回「その4 酒場の揉め事」




