その1 階位《レベル》5の男
「あの女の名前はフロリーナ・フェルヘイ。デ・ベール商会のダンジョン研究家ということだ。」
ウサギ獣人少女ティルシアの言葉に俺は目の前が真っ暗になった。
よりにもよってデ・ベール商会とはな。
ーー最悪だ。
俺は一昨日の晩、ティルシアにダンジョンで出会った女の素性を調べるように頼んでいた。
翌日、ティルシアは朝からボスマン商会に連絡を取って情報を集めてくれた。
その調査結果が一夜明けた今朝になって届いたのだ。
デ・ベール商会の名前にティルシアの表情も硬い。
デ・ベール商会はこの町最大手の商会だ。だが控えめに言っても商会とは名ばかりのタチの悪いマフィアだ。
この町の代官ともズブズブの関係にある。
長年にわたってこのスタウヴェンの町を裏で牛耳ってきたこの町の癌だ。
若き商人マルティンのボスマン商会はこのデ・ベール商会と敵対する関係にある。
というか正確に言うとデ・ベール商会の後押しする商会とマルティンの商会が王都で敵対関係にある。
旗色はマルティンの商会が優勢だ。
実はマルティンは日本人の転生者だ。
彼はその知識チートで次々と新しい商品を生み出しただけではなく、流通やサービスにも革命を起こしている。
ボスマン商会は今、この帝国で飛ぶ鳥を落とす勢いの商会なのである。
そのボスマン商会がこのスタウヴェンの町に進出してくるという噂がある。
ちなみに俺はそれが噂ではなく事実であることを知っている。
今、デ・ベール商会はかつてないピンチを迎えている。
正直俺からしてみればいい気味だとしか言いようがない。
俺達はこれまで色々な形でデ・ベール商会に頭を押さえられ搾取され尽くしてきた。
今度はそっちが煮え湯を飲まされる番だ。
「フロリーナのスキルは分からなかったのか?」
「まだそこまでは分かっていないな。だがダンジョン研究家の肩書きを持っているんだ、ダンジョンの研究に役に立つスキルなんじゃないか?」
それでは何も分かっていないのと同じだ。
俺は椅子の上で頭を抱えた。
「なあハルト。そろそろ聞かせてくれてもいいんじゃないか? フロリーナの何がそんなに気になるんだ?」
俺はティルシアにまだ詳しい話をしていなかった。
そもそものきっかけは俺の直感のようなものだ。それに先入観を持って情報収集をして欲しく無かったという理由もある。
だがこれ以上下手に隠し立てするようなマネをして、万が一俺に対して不信感を持たれても厄介だ。
俺はあくまでも自分の直感であることを強調しておいてからティルシアに事情を話すことにした。
「それは・・・マズいな。」
「ああ、マズい。」
俺の説明にティルシアも事態の深刻さに気が付いたようだ。
俺はスキル・ローグダンジョンの力でダンジョンの中でなら誰にも負ける気がしないが、一生ダンジョンの中で原始人のような生活を送るつもりはない。
そしてこの町はデ・ベール商会の支配下にある。
もしデ・ベール商会が本気になれば、ダンジョン夫一人くらい手ごまにするのも社会的に抹殺するのも思いのままだ。
「もう一度ボスマン商会に行って来る。もう少し詳しい情報が手に入らないかケツにムチを入れてくる。」
「頼む。俺はダンジョン協会に行ってくるよ。」
結局昨日は報告に行っていなかった。流石に今日は行っとかないとマズいだろう。
「気を付けろよ。知らない人間の後ろにノコノコと付いて行ったりするなよ。」
ティルシアの忠告に俺は憮然とした。お前は俺を小学生とでも思っているのか。
昼前の時間とあってダンジョン協会の中は空いていた。
その何人かが俺を見て明らかに揶揄するような表情を浮かべる。
ああ、そういえばここはこういう不愉快な場所だったっけ。
最近はいつもティルシアと一緒だったのですっかり忘れていた。
俺はスキルの影響で町に戻ると階位が1にリセットされてしまう。
そんな階位1の俺に付けられた呼び名が”ダンジョンムシ”。
ずっと1階層をはい回る俺にお似合いの名前なんだそうだ。
ティルシアがいる時には大人しくしている癖に、俺一人だとデカいツラをするんだな。
俺は脳裏に浮かんだその考えに対して足元に唾を吐きたい気持ちになった。
その考えは、自分もティルシアの後ろに隠れてデカいツラをしているだけ、という事に気が付いたからだ。
俺はすぐにでも帰りたい気持ちを無理やり切り替えてカウンターの前に立った。
カウンターに立つのはいかつい男。
元はダンジョン夫だったが今は引退してダンジョン協会の職員をやっている男だ。
名前は・・・何だったか? 駆け出しのころは少し世話になったと思うが、俺がスキルの関係で階位が上がらないと分かると俺から離れて行った人間の一人だ。
特に迷惑をかけられた覚えもないので逆に印象に薄い。
少なくとも男がカウンターに立つようになってからの方が、同じダンジョン夫だった頃よりも会話を交わしているのは間違いない。
俺は一昨日の採取品の買取を依頼した。単純に半分に頭割りすると、俺が一人で1階層に入って稼ぐ金よりも少なくなってしまった。
まあ、今はティルシアの研修期間中なので仕方がない。
ティルシアに付いて行くという体を取れば、こうやって俺も中層で仕事をすることが出来る。
今後は今までよりもずっと楽に稼げるようになるだろう。
それにこれは俺とティルシアが組んで初めて稼いだ金だ。
これを元手に日頃食べられないような何か美味いものを二人で食べに行くのも良いかもしれない。
日本人の感覚としてはこの世界の食事は耐えがたいほどヒドイものだが、金のかかった食事はやはりそれなりに美味い。
ティルシアは結構な健啖家であの小さな体のどこに入るのかと驚くほどよく食べる。
この提案には一も二もなく食いついてくるだろう。
そんなことを考えながら俺がカウンターの上で相手にも見えるように金を数えていると(こうしないとこの世界の人間はすぐに金をちょろまかそうとするのだ)カウンターの男が何か言いたそうに俺を見ていることに気が付いた。
「何だ?」
「なあ、今後は中層に仕事場を移すのか?」
どうやら今回中層の素材を持ち込んだことで、今後は俺も仕事場を中層に移すつもりじゃないかと思ったようだ。
まあ実際にそのつもりなのだが。
「そうだな。」
女の尻にくっついて中層に下りておこぼれを狙おうとしている浅ましい男だとでも思ったのだろうか?
仮にそうであってもお前の知ったことじゃない。俺とティルシアの問題だ。
「もう1階層では仕事をしないのか・・・。」
男は残念そうにそう言った。
何が言いたいんだ? コイツは。
上層を仕事場にしている駆け出しなんて何人もいるのだ。俺一人いなくなったところでどうなるものでもないだろうに。
「んだァ、シケた酒場だなオイ!」
その時ドアを開けて入って来たのは4人の男達。
一目でそれと分かる上等な装備を身に着けている。
一瞬殺気だった店内のダンジョン夫達だったが、男達の装備を見て慌てて目を伏せた。
武器や防具には適正レベルというものがあり、階位の低い者がレアリティの高いモノを装備しても性能を生かしきれない。
むしろ適正なレベルのモノを装備した時よりも、能力が下がる事もあるのだ。
男達の装備から彼らはそれなりのレベルであることが分かる。
おそらく連中の階位は4。リーダー格の男はこれ見よがしにミスリルの籠手を着けていることから階位5であることは間違いない。純度の高いミスリルの適正レベルは5以上だからだ。
がっしりとした体付きの大男だ。肩まで伸ばした髪をドレッドロックスにしている。
この建物内でたむろしている階位3程度のダンジョン夫程度では、一斉にかかってもコイツ一人に苦も無くひねられるのは間違いない。
「お客さん、酒を飲みに来たんですか?」
「なわけねーだろうが、こんな女もいねえむさくるしい酒場で酒なんて飲めるかよ!」
男達はズカズカと建物の中に入ってくるとカウンターの前に立った。
俺は急いで金を袋に詰めると・・・
「んんっ?」
男の一人に袋ごと取り上げられた。
「何だ? シケた酒場は仕事の金もシケてやがるな。」
男は袋の中身を覗き込んでそう言うと、金の入った袋を階位5の大男に放り投げた。
大男は袋をキャッチすると少し片手でもてあそんでいたが、俺の顔を見るとニヤリと笑った。
何かろくでもないことを思いついたクズの顔だ。俺はイヤな予感に体が強張る。
男は金の入った袋を軽く上に投げると落下してくるところを・・・
バンッ!
両手を打ち合わせて叩き潰した。
男が手を開くとそこには叩き潰されて平らになった金の袋。
当然中の金も圧延機のローラーにかけられたみたいに平たくなっていることだろう。
階位5の力はかくもすさまじいものなのだ。
「ほらよ。これで見た目だけでも大金に見えるだろう?」
そう言うとリーダーの男は俺の足元に平たくなった袋を放り投げた。
床に落ちる袋。もちろん袋の中身は二度と金としては使えない。精々素材として板金屋に売るしか出来ないだろう。
何が可笑しいのかゲラゲラと笑う取り巻きの男達。
俺は男達を刺激しないようにゆっくりと袋を拾うと足早に建物を出た。
そんな俺の背中を男達の哄笑が叩く。
男達の声は何の特徴もない、よく聞くクズ共の声だった。しかし、リーダーの男の声に俺は聞き覚えがあった。
一昨日ダンジョン内でフロリーナを捜していた男達の中にいた声だ。間違いない。
だとすればあいつらはデ・ベール商会のひも付きだ。今ここで関わるわけにはいかない。
俺は町中を足早に家へと向かった。
「ハルト、どうしたんだそんなに急いで!」
不意に名前を呼ばれてドキリとしたが、相手は見た目中学生のウサ耳獣人。ティルシアだった。
俺は安堵の息を吐いた。
「歩きながら話そう。」
ここは人通りが多い。俺の緊張を察したティルシアも周囲を見渡して頷いた。
歩きながら俺はティルシアにダンジョン協会であったことを話した。
「なるほど。丁度仕入れてきた情報にそいつらのこともあったはずだ。詳しい話は帰ってから話そう。」
やはりあいつらはデ・ベール商会のごろつきだったか。
ダンジョン協会に何の用だったんだ?
俺はティルシアに折角稼いだ金をヤツらに使えなくされたことを謝った。
「ハルトが謝ることじゃないだろうに。それにくよくよするほどの金額じゃないだろう?」
ティルシアはボスマン商会の護衛として結構稼いでいる。俺も先日のマルティンの件で今は懐が暖かい。
確かに惜しいといえば惜しい金額だが、俺達にはどうということのない額とも言える。
「だが俺達の初仕事の金じゃないか。」
ポロリと俺の口からこぼれた言葉にティルシアが驚いて目を丸くした。
「ハルトでもそんな風に考えるんだな!」
ティルシアの言葉に俺はハッとした。そして自分の顔がカッと火照るのを感じた。
「いやいや、済まない! ただお前が私との仕事をそんなに大事に思ってくれているとは、私は想像もしていなかっただけだ。うん、私もお前との仕事は大事だと思っているぞ。」
俺は真っ赤になりながら早足で歩く。ティルシアはそんな俺の周りを笑顔でウロチョロする。
なんて目障りなウサギなんだ。
だがここはダンジョンではない。俺は階位1のザコだし彼女は階位5の小さなフィジカルモンスターだ。
俺の出来ることは羞恥に耐えながら家へと向かう歩みを早める事だけだった。
次回「スープカレー」