その31 全てに決着を
俺は足の下で暴れる家ほどの大きさの巨大な虫にヒヒイロカネのナタを叩きつけた。
おぞましい巨大虫の断末魔の悲鳴がダンジョンに響き渡る。
ヤバイ!
俺は咄嗟に魔力を練って重力を操作。フワリと宙に浮かんだ。
その瞬間、ド派手な地響きをたてて巨大昆虫は腹を上に見せてひっくり返った。
巨大虫は無数の脚でしばらくガシャガシャと宙を掻いていたが、やがて脚を折りたたむと動かなくなった。
「死んだか。こんなにデカい虫でも普通の虫みたいな死に方をするんだな」
俺は変な所に感心をしながら、すっかり曲がってしまったヒヒイロカネのナタを見た。
元々はヒヒイロカネの剣だったが、この八十階層台での戦いで折れて、今はナタの形にして使っているのだ。
だがどうやらそれも限界のようだ。
「ダメだ。いくら魔力を流してももう形が戻らない。この武器は終わりだ」
八十階層台はこの巨大虫のように硬い装甲で覆われたモンスターが中心となっている。
そんな相手との連戦に、とうとうコイツも武器としての寿命が来てしまったようだ。
いくら魔力を流してもザルで水を掬うように何の手ごたえも感じない。
ヒヒイロカネの剣といえど、壊れてしまえば流石にその能力を発揮出来ないのだろう。
俺はヒヒイロカネのナタを放り捨てるといつものナタを手にした。
コイツも既にかなりガタが来ている。
+99の装備として使えるのは後何戦か・・・
今の俺は階位*。
そう。ついにカンストしてしまったのだ。
階位99の次に”*”マークになったので、実際は階位100なのだと思う。
”*”になってからは変化がないので、ここが階位の限界であるのは間違いない。
階位カンストの能力は、最早化け物そのものといっても過言ではない。
さっきの重力操作すら、俺は装備の力を借りずに行ったのだ。
どうやらこの世界では階位カンストで魔法の使用が解禁されるようだ。
正確にはさっきのは重力を操作したのではなく、ダンジョン内の大気に溢れる魔力を操作したのだが・・・まあ似たようなものだろう。
最初からこの力があれば、もっと楽にここまで来られたんだが・・・
正直言って今まで何度死にかけたか分からない。
最初の命の危険は剣鬼のミイラ達と戦った時だった。
あの時は本当に危なかった。
戦いの最中にオリハルコン繊維のマントを使いこなせなければ、俺はあそこでミイラ共の仲間入りをしていただろう。
それほど剣鬼の扱う剣技は俺を圧倒していた。
慣性をコントロールして意識外からの攻撃を浴びせる事で、辛うじてヤツの不意を突けたのだ。
あの時俺は、剣鬼の完成された剣技によって追い込まれた訳だが、逆にヤツが生前の記憶を持っているが故の、常識の死角を突く事で勝ちを拾えたのだ。
その後も激戦は続いた。
無数の王弟兵士もそうだったが、荒野の風のケヴィンがあれほど厄介な相手だとは思わなかった。
流石に長年に渡ってシュミーデルの町のトップに君臨していた腕前は伊達ではない。
あの手この手といやらしい攻めに俺はいいように翻弄された。
これも最後はオリハルコン繊維のマントの力に頼って不意を突く事に成功したのだが、まともにやればやられていたのは間違いなく俺の方だっただろう。
死ぬような目といえば、途中で保存食が尽きて、仕方なくダンジョンのモンスターの肉を食らった時にはまいった。
”死ぬほど不味い”という言葉を俺は初めて経験した。
あまりの不味さと情けなさに、俺は泣きながら肉に食らいついたものである。
そんな思いをしながら、俺はようやくここまでたどり着いた。
現在の階層は八十九階層。
もし、次の九十階層に最下層がなければ、次は百階層を目指さなければいけなくなる。
そして今、俺の目の前には九十階層に至る階段が口を開けている。
ゴクリ。
思わず俺の喉が鳴った。
俺は頭の芯が痺れるような緊張感を味わいながら階段に足を踏み入れた。
俺は階段を下りると扉の前に立った。
この場に似つかわしくない、流麗な装飾の入ったバカでかい扉だ。
そう。”何もない部屋”へと通じるあの扉である。
「良かった。間に合ったか」
俺は見慣れた扉に安堵の思いが胸を満たすのを感じた。
いや、見慣れた扉と言うには語弊があるだろう。
扉は明らかに今までよりも大きく豪奢になり、そして得も言われぬ神々しさを放っている。
神の復活はもう間近だ。
俺は現実の重みをヒシヒシと感じた。
安堵する? 冗談じゃない。今までの戦いはこれから始まる戦い――原初の神を説得すると言う難事――の前座に過ぎない。
俺はようやく戦いの場に到着しただけなのだ。
命がけの戦いはこれから始まるのだ。
思えば初めはただの偶然だった。
偶然たどり着いた最下層で、偶然原初の神に出会い、日本に帰してくれる約束を結び、神の復活に力を貸した。
現在、原初の神フォスは俺の手を離れて自分自身で元の力を取り戻そうとしている。
その目的は復讐。
フォスを別次元に封じ、彼女の世界を我が物顔で好き勝手にした別の世界の神々。
彼らが残した異世界フォスの命、その全てを払拭する事で、初めて原初の神は自身の矜持を取り戻すことが出来るのだ。
俺はそんな神に――とうとう復讐がなされるという暗い歓喜に打ち震える神に、「頼むから思いとどまってくれ」と懇願しなければならない。
これがどれほど成功率の低い絶望的な行為かわかるだろうか?
出来る事ならこの場から逃げ出したい。
だが、俺がそれをやれば世界の破滅が確定してしまう。
・・・
俺は最後にもう一度装備の点検をした。
ヒヒイロカネの剣はさっき捨てた。俺の手にあるのはもういつ壊れるかも分からない愛用のナタだけだ。
オリハルコン繊維のマントは階位がカンストした時に捨ててしまった。
どのみちもうボロボロだったし、今の俺は魔道具のサポート無しでも魔法が使えるからだ。
ヒヒイロカネの鎧はあちこちがはげ落ち、今は金属のシャツとパンツのようになっている。
見栄えが悪いこと甚だしいが、替えの鎧を持って来ていないので仕方がない。
裸よりはマシと思って諦めるしかないだろう。
行くか。
未練はある。
正直恐ろしいし行きたくはない。
だが俺は自分の気持ちを押し殺して扉に手を掛けた。
全てに決着を。
ただその思いを胸に。
そこにあったのは暗黒だった。
いつもの”何もない”ではない。
濃厚な悪意が質量を持つ暗黒として渦巻いていた。
あまりのおぞましさに俺は恐怖の悲鳴を上げた。
それも仕方がないだろう。ちっぽけな人間には耐えられない邪悪な闇だったのだ。
俺の悲鳴はいつまでも続いた。
精神的な苦痛に俺は自分の体のコントロールすら出来なくなった。
地面に倒れ、もがきのけぞった。
俺は呼吸を忘れ、窒息する寸前だった。
その時ゾロリと闇が蠢いた。
唐突に俺の目の前に現れた白い顔。
黒いドレスを身にまとった妙齢の美貌。
今や完全復活目前の、いや、あるいは既に完全復活を遂げている、原初の神フォスのアバターであった。
長かった最終章も今週中には終わる予定です。
最後までお付き合いよろしくお願いします。
次回「命乞い」




