その28 ハルトの決断
俺にだけ感じ取れたダンジョンの振動。
もし俺の予想が正しいなら、これはダンジョンの成長によるものだ。
まさかダンジョンの外で戦っている帝国軍が敗れたのか?
だとすればいずれ偽迷宮騎士共がダンジョンに戻って来るはずである。
そうなってしまえばお手上げだ。すぐにでも偽迷宮騎士がダンジョンを埋め尽くしてしまうに違いない。
「行ってくれハルト」
ティルシアの言葉に俺はハッとした。
「ここからなら私達だけで大丈夫だ」
「何を言っているんだ? 偽迷宮騎士が戻って来ると分かっていて、お前達だけに出来る訳がないだろうが」
俺の言葉にティルシアはかぶりを振った。
「この先はもう上層だ。急いで行けば町の外で戦っていた偽迷宮騎士がダンジョンに戻る前に外に出られるだろう。私達はそれでいいが、ハルト、お前はどうする。偽迷宮騎士の相手をして階位を上げるつもりか?」
ティルシアの指摘は・・・いや、確かにその通りだ。
ティルシアには例の黒い鍵を渡してある。だからダンジョンの出口で偽迷宮騎士と鉢合わせする可能性は低いだろう。
そして俺に残されている時間は少ない。
一度偽迷宮騎士に追いつかれたら、その数の力に押しつぶされてしまうに決まっている。
それでも階位差が十分にあれば逃げ切れるかもしれないが、今の俺の階位は17。
無数の偽迷宮騎士を相手にするには心許ない階位だ。
ましてや今の俺の装備はいつもの+99装備ではない。駆け出しダンジョン夫も着ないような最低ランクの装備だ。
全身ミスリル装備の偽迷宮騎士とは比べるべくもない。
ティルシアの意見は正しい。正しいが・・・
「しかし・・・もしもお前達が帰り道に偽迷宮騎士と鉢合わせでもしたら」
「その時はその時の事だ。覚悟を決めて戦うだけだ。迷っている時間はないぞ」
くそっ!
どうしてこの世界はどこまでも俺に優しく出来ていない!
俺は頭の芯が熱くなるほどの焦りを覚えた。
ティルシアはスッと手を伸ばすと俺の頬に触れた。
「私達は仲間だ。どっちかがどっちかに寄りかかっている訳じゃない。以前お前が私に言ってくれた言葉だぞ」
何だと? 俺はそんな事は・・・いや、確かに言った記憶がある。俺が暗殺者の刺客に腹を刺された時だ。
「私はあの時凄く嬉しかったよ。だからずっと覚えていた。あの時の言葉を今日はハルトに返そう。私が出来ない事はハルトに任せるが、私にしか出来ない事があるなら私を頼ってくれ」
・・・なんてズルい女だ。
そんなふうに言われたら俺はもう何も言い返せないじゃないか。
俺は手を伸ばすと彼女を抱きしめた。
ティルシアは少しだけ驚いた様子だったが、すぐに俺に体をあずけてくれた。
こうして少しの間、俺は彼女の体温と髪の匂いを感じていた。
「分かった。今はお前を頼らせてくれ」
「仲間だからな。当然だ」
こんなに小さくて華奢な体でなんて頼もしいヤツなんだお前は。
・・・いや、華奢ではないか。
こうして抱きしめていると溢れんばかりのエネルギーを感じる。
それはそうか。コイツはこんな見た目でも地球の一流アスリートを余裕で上回る身体能力の持ち主だしな。
小さな少女というよりも小型の爆弾と言った方がいいような・・・
「ハルト?」
「ゴホン。何でもない」
俺の余計な考えが伝わったのか、明らかにティルシアの声のトーンが不機嫌そうに下がった。
ここで彼女を怒らせるわけにはいかない。
俺は咳をして今の考えを頭から追い払った。
俺はティルシアから離れるとシャルロッテに向き直った。
「そういう事だが二人に任せて大丈夫か?」
「あ、うん。アタシ達だけで無事に地上にたどり着いてみせるよ」
シャルロッテは何か言いたそうにしていたが、ティルシアの手前遠慮しているようだ。
俺はさっきのキスを思い出して彼女の唇に視線が向きそうになるのを強引に堪えた。
・・・これが最後の別れになるかもしれないんだよな。
「ちょ・・・ちょっとハルト!」
俺はシャルロッテに歩み寄ると、黙って彼女を抱きしめた。
シャルロッテは俺の不意打ちに驚いて体を固くしている。まあいい、さっきのお返しだ。
俺は今、俺らしくない事をしている。
だがそれがどうした。
俺はティルシアのようにシャルロッテだって大事に思っている。
今まで自分の気持ちにすら気付いていなかったダメな俺だが、こうして自覚した以上は、最後の最後くらいは二人を抱きしめるくらいしたっていいじゃないか。
俺はまだ固くなっているシャルロッテを解放すると二人に向き直った。
「こんな時くらい気の利いた事が言えればいいんだがな。俺は口下手だからスマン」
本当に自分で自分が嫌になる。
だがこんな不器用な俺でもティルシア達は好きになってくれた。
だから俺はこの世界を滅ぼさせるわけにはいかない。
そう。例え俺の命に代えたとしても。
「じゃあ行ってくる」
「ああ。帰りを待っている」
「気を付けて」
二人の返事に、俺はポカポカと温かい何かが心に満たされたのを感じた。
俺は後ろ髪を引かれる気持ちを無理やり振り切り、ダンジョンの奥を目指して走り出した。
これが俺と彼女達の最後の別れになるかもしれない
そんな悲しい予感を感じながら。
俺は階層を駆けながら、目に入るモンスターを手当たり次第に狩っていった。
ダンジョンの振動はまだ続いている。
以前の最下層は六十階にあったはずだ。
なら今回は七十階層になるのだろうか?
「いや、ここまで振動が続くのは普通じゃない。最悪、百階層に到達しているかもしれない」
百階層の到達。それは原初の神がかつての力を取り戻した事を意味する。
そうなればこの世界の終わりだ。
全ては手遅れ。ゲームオーバー。俺は間に合わなかった。
俺はかぶりを振った。
自分の手の届かない事を心配していても仕方が無い。
全力を尽くしてダメだったのならまだいい。だが途中で諦めたせいで結果として間に合わないのでは最悪だ。
俺は今の俺にやれる事をやるだけだ。
二十階層に続く階段にたどり着いた時、俺の階位は丁度20に上がったところだった。
俺は階段に置いたままにしていた自分の荷物をひっくり返し、ヒヒイロカネの装備をぶちまけた。
「本当ならもう少し余裕を見たかったんだがな・・・」
やや階位に不安はあるが、どれだけの時間が残されているのか不明な以上、ここで階位を上げている時間は惜しい。
かといって階位も上げずに原初の神に対峙するというのは論外だ。
神の荒ぶるエネルギーに耐えるためにも階位は限界まで上げておきたい。
つまり、いつもやっているような低レベルモンスターを相手にちんたら経験値を稼ぐ方法ではなく、今の階位で狩れるギリギリのレベルのモンスターを相手にして、少ない戦闘数で最大限の経験値を得る方法しかない。
そのためには今付けているザコ装備では話にならない。
俺は慣れない装備に苦労しながら、どうにかヒヒイロカネの装備を身にまとう事に成功した。
「くっ・・・ やはり階位20でも魔力の消費がキツイか」
今の俺は全身赤色の鎧姿になっている。こういう派手な色合いは俺の好みではないのだが、ヒヒイロカネの地色がビビッドな赤色なんだから仕方が無い。
どうせここには俺の他にはモンスターしかいないので、気にしないことにする。
それよりも魔力消費量が思っていたよりも多い方が問題だ。
階位が上がれば、そのうち自然回復量が消費量を上回るだろう。
ザコ装備で戦うわけにはいかない以上、今は魔力の消費に目をつぶるしかない。
「よし。行くか」
最後にオリハルコン繊維のマントを羽織れば準備は全て完了した。
俺は保存食の入った荷物を背負うと二十階層へと足を進めた。
次回「死闘」




