その25 掛け違えたボタン
「階段が見えたぞ。もう少しだ」
ここはダンジョンの十九階層。俺達は二十階層へと通じる階段に到着すると荷物を降ろした。
「二人共、荷物はひとまずその辺に置いておいてくれ。後で俺が整理しておく。少し休憩したら引き返そう」
現在の俺の階位は16。
二十階層以降に挑むにはやや物足りない。しばらくは十九階層で階位上げをした方が良いだろう。
だが、ひとまずはティルシア達を地上に送り届けなければならない。
俺の言葉にティルシアは不満を隠せない様子だ。
「ハルトがヒヒイロカネの装備を自由に使える階位に達するまで、私達も一緒にいた方がいいんじゃないか?」
ティルシアは俺の説明に一度は納得したものの、今になって離れがたくなったようだ。
その気持ち自体は素直に嬉しいし、実は俺も彼女と同じ気持ちだ。
彼女には言っていないが、ここでの別れはかなりの確率で今生の別れになるだろう。
あるいは勘の良いティルシアは、俺の態度から薄々その事に気付いているのかもしれないが。
俺は最下層で原初の神フォスに対峙しなければならない。
あの日、俺は神の抑えきれない感情の高ぶりに翻弄されてボロボロにされてしまった。
もちろん今回は限界まで階位を上げて挑むつもりでいる。
だが多少の階位差など、神の圧倒的なエネルギーの前では僅かな誤差でしかないのも事実だ。
そしてフォスはあの時より更に力を取り戻しているのは間違いない。
これで生きて帰れると考えるヤツの方がどうかしているだろう。
あの日のあの恐怖を思い出すだけで、今でも俺は足がすくみそうになる。
神という純然たるエネルギー生命体というのは、肉体という物質に縛られた俺達のようなちっぽけな存在にとっては、それ程の怖れを感じるものなのだ。
ハッキリ言って俺は心底恐ろしい。
可能なら全てを投げ出して、今すぐにこの場から逃げ出してしまいたいほどだ。
だがそれをやれば、遠くない未来に間違いなくこの世界の命は滅ぶ。
ティルシアを殺させるわけにはいかない。
俺は自分の恐怖心を無理やり押し殺した。
「言っただろう。ダンジョンの外で戦っている偽迷宮騎士共はいつダンジョンに戻って来るか分からない。今のダンジョンは階段も安全地帯とは限らないんだって」
「だが・・・偽迷宮騎士が必ずしも階段を通るとは限らないじゃないか」
それは・・・ それは確かにそうだが、だからといって命を懸けてまでここに残る理由にはならないだろう。
彼女の言っている事はただの屁理屈だ。
今日のティルシアは珍しく聞き分けが悪い。
ティルシアは元傭兵なだけあって、いつもはもっと冷静にリスクを判断出来るんだが。
戦いの場でこれ程感情的になっている彼女を見るのは、ひょっとしたらコレが初めてかもしれない。
「いい加減にしろ! あの時お前も納得しただろうが。しばらく休んだら出発するからな。予定の変更は無しだ」
「・・・分かった」
ひとまずは折れたものの、未だに気持ちは収まっていないのだろう。
ティルシアは憮然とした態度で俺から離れると階段の隅に腰掛けた。
これで最後の別れになるかもしれないってのに、なんて事だ・・・
俺は彼女に気の利いた事も言ってやれない自分に気鬱になりながら、荷物から水筒を取り出して一口含んだ。
そんな俺達のやり取りを聞いていたシャルロッテがポツリと言った。
「ハルトとティルシア姉さんはやっぱりそういう関係になっちゃったんだね」
「ブッ! ゲホッ! ゲホッ! ――待て、シャルロッテ。ちょっとこっちに来い」
俺は水筒を放り出すとシャルロッテの手を引いて階段の奥に向かった。
そんな俺達を、ティルシアがチラリと見た。
しかし彼女は完全にへそを曲げているのか、特に何も言う事は無かった。
俺はティルシアから十分に距離を取るとシャルロッテに向き直った。
――向き直ったが、俺は彼女にどう言えばいいんだろうか?
言い訳する? それもおかしな話だ。
なら素直に認める? それも何だか違う気もする。
俺だって日本にいた頃は普通の中学生だった。話題の恋愛ドラマだって見ていたし、友達と恋愛の話題をしたことだってある。
だがこの異世界フォスに転移してからは、生きる事に精一杯でそんな話からすっかり縁遠くなっていたのだ。
俺はダンジョン夫の仕事には詳しくても、男女の関係に関しては日本の中学生レベルの知識と経験しかなかった。
シャルロッテは真っ赤になって言いよどむ俺を見て事情を察したのだろう。
酷く寂しそうな表情を浮かべた。
今の俺は、彼女も自分にとって大事な仲間だという事を良く理解している。
シャルロッテの悲しみに沈んだ顔を見て、俺は心に針を刺されたような鋭い痛みを覚えた。
「うん。分かった」
シャルロッテはそれだけ言うと、俺に背を向けて去ろうとした。
何か言わなければ!
何を? いや、とにかく何か言って彼女を引き留めないと!
「待てシャルロッテ。お前は勘違いしている」
「勘違い?」
俺の言葉にシャルロッテは振り返った。
俺が何を言いたいのか分からないのだろう。不思議そうな表情をしている。
本当に俺は何が言いたいんだろうな。
「俺は確かにティルシアに好きだと言った」
「だったら――」
「いや、違うんだ。俺はそう言ったが、彼女からはその返事を貰っていない」
確か返事は無かったはずだ。いきなり押し倒されてキスをされたが、言葉では返事を貰っていない。
――言葉以上の雄弁な返事のような気もするが、俺はウソはついていない。だから問題無いはずだ。多分。
「でも姉さんもハルトの事が・・・」
「それはいいんだ。だが俺にとってはシャルロッテ、お前も大事な存在なんだ」
「えっ?」
俺が何を言い出したのか理解出来ないのだろう。
シャルロッテはポカンと口を開けた。
――本当に俺は何を言いたいんだろうな? 誰か俺を助けてくれ。
俺は焦りに突き動かされるまま、とにかく話を続けた。
「俺はティルシアの事が好きだが、お前の事だって十分に大事だと思っている。ティルシアとお前、どっちが上でどっちが下とかそういうのはないんだ。俺にとってはお前もティルシアと同じくらい大事な仲間だという事を分かってくれ」
「それってアタシも好きって事?」
「えっ? あ、ああ、そうなるのかな。だから俺が――」
俺に言えたのはそこまでだった。
俺の口はシャルロッテの唇で塞がれてしまったからだ。
シャルロッテの唇は触れた時と同様に唐突に離れていった。
一秒も無かったんじゃないだろうか。
今のは何だったんだろうか?
まさかさっきの出来事は俺の見た白昼夢なのか?
だが彼女の唇の感触は余韻となって俺の唇に残っている。
実際に起こったことに間違いはない。
突然の展開に理解が追いつかずに真っ赤になって立ち尽くす俺を、シャルロッテは頬を染めながら見つめた。
「アタシもハルトの事が好きだよ」
そう言うとシャルロッテは俺を置いてティルシアの下へと去って行った。
俺はしばらく何も考えられないほど混乱していたが、やがてハッと気が付いた。
マズイ! マズイぞ! 今、二人を会わせてはマズイ!
何がマズイかは分からない。いや、ハッキリしている。シャルロッテは勘違いしているんだ。
確かに俺はシャルロッテの事が嫌いじゃない。むしろ好きと言ってもいい。
だが、それとは別にティルシアの事が好きなんだ。
俺は何を言っているんだ?
違う。そうじゃない。俺はシャルロッテよりもティルシアの方が好きで・・・いや、好きの感情に順位を付けるなんてどうだろうか? 俺にとってはティルシアは特別で、だったらシャルロッテは特別じゃないかといえばそうじゃなくて・・・
だから違うんだ。何が違うとはハッキリとは言えないが、とにかく違う。
どこかで俺はボタンを掛け違えてしまったんだ。
なんとかシャルロッテの誤解を解かなければ。
俺が慌てて二人のところにたどり着くと、二人は丁度帰り道の準備を終えたところだった。
誤解を解くなら早い方が良い。
だがどう説明する。どう言えば分かってもらえる。
「じゃあ行こうかハルト」
「あ、ああそうだな」
しまった・・・
うっかり返事を返した事で二人は階段を歩き始めてしまった。
今更どんな顔をしてさっきの話題をすればいいんだろうか。
俺が原初の神の説得に成功する可能性は極めて低い。
だが、もしその地獄のような高難度ミッションをこなして帰っても、そこには別の高難度ミッションが俺を待っている事が決まってしまった。
どうしてこうなった・・・
俺は腹に石を飲み込んだような重い気分で足を前に運んだ。
次回「第二次スタウヴェンの戦い」




