その20 もう一度最下層へ
翌朝。厨房で朝食の支度をする俺をジッと見つめる視線があった。
「・・・何だ? シャルロッテ」
「昨日の晩――やっぱり何でもない」
シャルロッテは何か言いたそうな顔をしていたが、俺の反応を見るとタオルを手に顔を洗いに行ってしまった。
俺は少し赤くなった顔をゴシゴシとこすって誤魔化した。
「二人共聞いてくれ」
朝食を終え、お茶を飲みながら俺は二人に言った。
ちなみに二人は俺の料理に満足して、まったりとした時間を過ごしている。
以前は腹がはち切れんばかりに貪り食っていたのに、今では落ち着いたものである。
いつも仕事にならずに困っていたが、落ち着かれるとそれはそれで少々寂しいと感じるのは俺のわがままだろうか?
「ハルト?」
「ああスマン。少し考え事をしていた」
自分から言い出しておいて、中々話を始めない俺にティルシアが不思議そうな顔をした。
それにしても昨夜あんな事があったせいか、どうにも俺はティルシアの顔をまともに見られない。
微妙な空気を漂わせている俺達を、シャルロッテが何か言いたそうに見ている。
俺はゴホンと咳をしてから話を切り出した。
「俺はもう一度最下層に向かうつもりでいる」
サッと場の空気が緊張をはらんだ。
これは昨夜一晩悩み抜いて出した結論だ。
もちろん一人だけ日本に帰るためじゃない。原初の神にこの世界の命を滅ぼすのを待ってもらうためである。
とはいえそのための手段は無い。
いや、漠然と考えている方法があるにはある。話し合いで何か代案を提案するという――要は行き当たりばったりだ。とてもじゃないがこんなものは作戦とは呼べない。
だが他に取れる方法が思いつかないのだから仕方が無い。
戦うという選択肢だけはあり得ない。
俺の階位の上限がどこにあるのかは分からない。そこまで上げた事が一度もないからだ。
だが、仮に限界いっぱいまで上げたところで、神の力の足元にも及ばないのは間違いない。
それほど神の持つエネルギーは俺達通常の生物を超越しているのだ。
ならばなぜ最下層を目指すのかと言えば、原初の神をなんとかしなければこの世界は終わってしまうからだ。
昨夜は酒の勢いで少しほだされてしまったが、一晩たって酔いが覚めると、やはり俺はこの異世界フォスのヤツらを好きにはなれない。
だが、それとは別に、今では俺は俺の周囲の世界――俺の世界とティルシアを守りたいと思っている。
酷いエゴのようだが、これは偽らざる俺の本心だ。
そのためにはこの世界に滅びてもらうわけにはいかない。
この世界で原初の神の下にたどり着けるのは、おそらく俺しかいない。
勝ち筋の全く見えない勝負なのは百も承知だが、この世界では俺以外には誰もチャレンジすら出来ないのだから、俺がやらなければ仕方が無い。
そもそもやらねば確実に人類が滅びてしまう。だからやらないわけにはいかないのだ。
「そうか。分かった。ハルトがそう決めたなら私も一緒に最下層に向かうよ」
「姉さん―― ア、アタシも行くよ!」
ティルシアが力強く頷くと、シャルロッテが慌てて追従した。
「私は世界最後の日にはハルトの横で共に戦って死にたいと思っていたんだ」
「ティルシアお前・・・」
ティルシアから真っ直ぐな気持ちをぶつけられて俺はグッと来てしまった。
彼女はダンジョンの中では俺に付いて来れないと知っているはずだ。
それでも共にありたいと思ってくれる。その気持ちに俺は打たれたのだ。
なんて心の真っ直ぐなヤツだ。ひねくれ者の俺にはお前は眩し過ぎるよ。
ティルシアのためにも世界を滅ぼさせるわけにはいかない。
やはりもう一度原初の神の前に立たねば、と、俺は決意を新たにした。
「もちろん二人も一緒にダンジョンには入ってもらう。だが、最下層は俺一人で目指す。心配するな。今まで二人には見せていなかったが、俺には秘密兵器があるんだ」
「「秘密兵器?」」
他人を巻き込むには重い秘密だが、どうせ世界が滅びるかどうかの瀬戸際だ。
この際二人とは一蓮托生。俺と秘密を共有してもらう事にしよう。
俺は二人を連れて倉庫にしている部屋に入った。
ミスリルの装備を保管しているあの部屋だ。
「ティルシア。すまないがこの棚を動かしてくれ」
「――これって!」
この一言だけでシャルロッテが何かに気が付いたようだ。流石は元暗殺者。目ざといな。
ティルシアが棚を動かすと、その下から床に埋め込まれた金属の板が姿を現した。
いや、これは板じゃない。これ全体がアーティファクト製の扉なのだ。
「コイツが扉? 取っ手も鍵穴も無いじゃないか」
「まあ見てろ」
俺は床にしゃがみ込むと、扉の一部、極わずかにくぼんだ場所の埃を払うと手を当てた。
「パスワード、青木晴斗」
「えっ?!」
「何だこれは!」
音声認識でアーティファクトが起動。
くぼみが光り、俺の指紋を読み取ると共に、チクリと手のひらに僅かな痛みが走った。
扉のシステムが俺の細胞を一部採取して本人確認をしているのだ。
やがて扉の奥で鍵が外れる重い音がした。
俺は慌てて扉の上から離れた。
スーッと音もなく自動的に扉が開くのを見てティルシア達は絶句している。
まあ彼女達の気持ちも分かる。
アーティファクトはデタラメだと知ってはいるが、中でもコイツはとびきりのデタラメだからな。
「デタラメと言うか、何でお前はこんな不思議な機能を使いこなしているんだ。・・・はあ、もういい。それで、この中には何が入っているんだ?」
扉の下は丁度床下収納のようになっている。
ティルシアに促されて俺はそこから装備を一式取り出した。
「コイツが俺のとっておき。ダンジョンの奥で手に入れた、今まで誰にも見せた事の無い秘密兵器だ」
「ミスリル製――じゃない。見た事もない赤い金属だ」
「これは・・・見事な作りだ。まるで鏡のように滑らかで僅かなゆがみも無い。だがこれは鎧と言ってもいいのか? こんなのを着たら身動きが取れないだろう」
二人は俺の取り出した装備をためすがめつ眺めている。
ふむ。ティルシアの感想は最もだ。この装備は俺にでも分かるほど作りとしては見事だが、着る人間の事を考えているとは思えないデザインをしている。
なにせ関節の部分が完全に鎧と一体化しているからな。
ちなみにこの装備は今はこうして分割されているが、着こんだ状態だと分割部分がスライドしてガッチリとロックされる作りになっている。
そうなれば中の人間は金属で出来た全身スーツに閉じ込められたも同然だ。
指一本動かせなくなり、自分で装備を脱ぐ事も出来なくなってしまう。
「何だそれは! そんなのは装備とは言えないぞ!」
「まあそうだよな。でもコイツはわざとそうなるように作られているんだ」
ここで重要になってくるのはこの装備の材質だ。
さっきシャルロッテが見た事もない金属だと言っていたが、この未知なる金属の性質こそがキモとなるのだ。
「俺はこの金属を”ヒヒイロカネ”と呼んでいる。コイツは高純度のミスリルより若干落ちる程度の強度しかない」
「ミスリルを基準に若干落ちる程度って言われても・・・」
俺の説明にシャルロッテが呆れ顔になった。
そうは言うが、ミスリルの装備なら以前はこの倉庫にゴロゴロ転がっていたし、お前もそれは見ているだろうに。
まあいい、話を続けよう。
「ヒヒイロカネは面白い特製を持つ金属でな、通常はただの金属だが、大量に魔力を流す事で伸縮自在となるんだ」
ヒヒイロカネは装備を着こんだ者が内部から循環するように魔力を流す事で、まるで布か皮で出来た服のようにその形を変える。
それだけだと単なる面白金属でしかないが、コイツの優れものな点は、魔力が流れている状態だとミスリルの数倍の強度になるという所だ。
どういう事かと言うと、魔力を流した内部からの力は自らを柔らかく変形する事で受け取め、逆に外から受ける衝撃に対しては強固に反発するというものだ。
要は着こんでいる人間は自由に動けるのに、防具としての強度はミスリルを超えるのだ。
コイツが装備としてどれだけ優秀な金属か分かるだろう。
何せヒヒイロカネの装備には関節部分が無い――装甲のつなぎ目が無いのだ。
どんな装備にも絶対に存在する最大の弱点が存在しないのである。
正にチート装備と言っても過言ではない。
その代償としてコイツは大量の魔力を常時ドカ食いする。
まともな階位では、すぐに魔力切れで動けなくなってしまうだろう。
つまりコイツは魔力の燃費を犠牲にする事で最大の防御力を持つ装備なのだ。
適正階位はおそらく10程度だが、まともに使おうと思えば20以上は覚悟しておいた方が良いだろう。
俺の説明を受けても信じられないのか、二人は目を丸くして驚いている。
「いや、信じられないというよりは、ハルトはもう何でもありだなと・・・」
「アタシは驚いているんじゃなくて呆れているんだけど・・・」
次回「秘密兵器」




