その19 本当の自分の気持ち
今回少し長目です。
夕食が終わって部屋で休んでいるとノックの音がした。
「ハ、ハルト! え~と、元気にしていたか?!」
部屋に入って来たのはウサギ耳の少女、ティルシアだ。
ティルシアは何を緊張しているのか、良く分からない事を言っている。
元気にしていたかも何も、お前とは今朝もボスマン商会で会っているだろうが。
ちなみにここはいつもの俺の部屋じゃない。
俺の部屋は略奪者共に荒らされていて、とてもじゃないが今夜は使える状態じゃなかったからだ。
幸い俺もティルシア程ではないもののあまり物を溜め込む方ではない。
大事な書類や金は見つからないように床下に隠しているしな。
そのため被害自体はさほどでもなかった。
しかし、シャルロッテは私物を色々と盗まれたらしくショックを受けていた。
落ち込む姿があまりにも気の毒だったので、夕食は彼女の好物のスープカレーを作ってやった。
それで少しは気持ちが持ち直したのか、今は部屋の片づけをしている。
そんなものは明日にしろと言ったのだが、何かしていないと落ち込んでしまうらしい。
俺は逆に何もする気になれなかった。
昼間に見た町の光景が、孤児院のベル婆さんの姿が、今も俺の心に重くのしかかっていたのだ。
「というかお前、家に帰って来るならそう言っとけよ。もう飯は済んでしまったぞ?」
ティルシアはボスマン商会で夕食は食べて帰ったそうだ。
今夜はスープカレーだったと知ってちょっと悔しそうにしている。
「そ、それよりもだ! 今日はお前と酒を飲もうと思ってな!」
「・・・酒か。あまり好きじゃないんだがな」
そもそも今は酒を飲むような気分じゃない。
だがそんな俺にティルシアは何を焦ったのか、急に血相を変えて怒り始めた。
「何を言っているんだ! ボスマン商会で売っている一番高い酒なんだぞ!」
「いや、分かったから。飲まないとは言っていないだろう」
こうなった時のティルシアに逆らっても無駄だ。
俺はスキル:ローグダンジョンRPGの能力で、ダンジョンの外では階位1のクソザコだ。
階位5の小さな暴君には逆立ちしたってかなわない。
どうせ最後には従わざるを得ないのなら最初から抵抗するだけ無駄だ。
「そ、そうか。ならいいんだ。あ! カップが無い! 今取って来るからハルトはそこを動くなよ!」
ティルシアは俺を指差すと、バタバタと慌ただしく部屋を出て行った。
言われなくてももう夜だ。俺はどこにも行くつもりはないが。
というか今日のティルシアは一体どうしたんだ? 今まで一度だって彼女のこんな姿は見たことが無いんだが・・・
どの道こうなればティルシアの気が済むまで付き合うより他はない。
どうやら俺はゆっくりと落ち込む事すら許されないようだ。
俺は恨みがましい気持ちで、ティルシアの置いていった酒の壺を見つめるのだった。
「! 美味い!」
「だろだろ! 一番高い酒だからな! 当然一番美味いんだよ!」
意外な事にティルシアの持って来た酒は普通に美味かった。
俺の反応に大喜びするティルシア。
まあ確かにこの美味さなら、コイツが挙動不審になるのも分かるか。
飲んだ事の無い酒だが、これはワインなんだろうか?
渋みの中に甘みがあって、濃厚な味わいなのにスッキリとしたあと口だ。
最初にティルシアが俺のカップになみなみと注いだ時は、なんてことをするんだこの野郎、と腹が立ったものだが、これならいくらでもいけそうだ。
思わぬ幸運に俺は少しだけ心が軽くなった。
ちなみに俺の知っている酒は、もっと酸っぱくて雑味の多い「マズい水にアルコールが入っている」といった代物だ。
酒飲み共はそれを浴びるようにかっ食らう。
おそらくいち早く酩酊して舌を麻痺させる事で、クソ不味い酒の味を誤魔化そうとしているのだろう。
どう考えても体に悪そうな酔い方だし、そこまでしてまで酒を飲みたいとも思わないので、俺は酒を苦手にしていた。
マズメシの異世界フォスでこんなに美味い酒があるのなら、日本にはどれだけ美味い酒があったのだろうか?
俺はこの世界に渡って来た時には中学生だったので、飲酒の経験は無かった。
だがこんな事になるのなら、違法になるとはいえ少しくらいは飲んでおけば良かった。
良い感じに酒の酔いが回って来たのか、俺はそんな益体も無い事を考えていた。
ふと気が付くとティルシアが酒をがぶ飲みしている。
「おい、よせ。いくらお前が買って来たものだからって、そんな飲み方はこの酒に失礼だ」
「いや、私は酔いたいんだ。マルティン様からそう教わったんだ」
マルティンが? あの馬鹿ティルシアに何を吹き込んだんだ?
とにかくこのままだと、せっかくの美味い酒がうわばみウサギに全部飲まれてしまう。
俺は慌てて酒をカップに注ぎ、自分の分をキープするのだった。
ティルシアの勢いに煽られたのだろうか。俺はハイペースで杯を傾けた。
「それで奥方様はマルティン様の求婚を受け入れたのだ」
「・・・アイツ何やってんだ」
俺は呆れてため息をついた。
ティルシアの話によると、マルティンは今の奥さんに一目惚れだったんだそうだ。
彼女はボスマン商会の従業員募集に応募して来た新人だった。
とはいえ、片や商会の跡取り息子。片や仕事を探して帝都にやって来た田舎者の娘。
周囲はまともに取り合わなかったそうだ。
だがマルティンは真剣だった。
マルティンは彼女と結婚まで考えていたのだ。
とはいえマルティンはどうしてもあと一歩が踏み出せなかった。
まあこの辺の事情は分かるつもりだ。
なぜならマルティンは転生者。転生前の年齢は確か28歳だったか。
話によると、当時のマルティンの年齢は17歳。相手の年齢は15歳。
この世界でならお似合いの二人でも、マルティンの中では「転生前は成人男性だった自分が、中学に通っているような女の子に求婚するのはちょっと」とでも思ったのだろう。
しかしマルティンはどうしても彼女の事が諦めきれなかった。
そこでマルティンは浴びるほど酒を飲んだ。泥酔して理性をかなぐり捨てる事で、ようやく彼女に求婚する事が出来たのだ。
・・・いや、いくらなんでもそれはどうだろうか、マルティンよ。
そんなので相手も良く受け入れてくれたものである。
後に奥さんになった彼女に尋ねたら、どうやら薄々マルティンの気持ちには気が付いていたらしい。
そして彼女の方もマルティンにほのかな憧れを抱いていた。
とはいえ身分違いの恋になる事は分かっていたので、彼女はどうしたものかと悩んでいたようだ。
そんな時、なりふり構わないマルティンの行為で逆に彼女の心は吹っ切れたんだそうだ。
「男女の事は分からんものだなあ」
「奥様は出来たお人なんだよ」
ティルシアはこの話にいたく感銘を受けたそうだ。
それはそれでどうなんだろうな。
「ハルトは・・・好きな人はいないのか?」
ティルシアがおずおずと聞いて来た。
俺か? 俺は――
「俺はこの世界の人間は大嫌いだ。全員死ねば良いと思っている」
酔いが回っていたのだろう。俺は今までずっと心に秘めて、誰にも言った事のなかった本音を口に出してしまった。
それまで和やかだった部屋の空気が瞬時に凍り付いた。
しんと静まり返った部屋の中、ティルシアのウサギ耳がパタリと倒れた音がした。
息をするのもはばかられるような重い空気の中、だが、酒の入った俺の口は止まらなかった。
「俺はこの世界――この町に来た途端、クズ共に良いように騙されて死にかけた。そんなヤツらに騙された俺も悪い? 冗談じゃない! 騙したヤツが悪いに決まっているだろうが!」
あの時の俺は、突然見ず知らずの世界にやって来た事で心に余裕が無かった。
焦りと不安で自分を見失って、他人の弱みに付け込んで来るようなゲスの魂胆に気付けなかったのだ。
「ダンジョン夫になってもそうだ。俺がスキルの作用で階位が上がらないと知るや、クズを見るような目で俺を見やがる。お前達の方がよっぽどクズだ! 俺がどれだけそう言ってやりたかったか!」
もちろんそんな事は言えない。仮にスキル:ローグダンジョンRPGの力でダンジョンの中でヤツらに思い知らせても、町に戻れば俺は階位1のクソザコに戻ってしまう。
そうなればヤツらの報復を受けるに決まっているからだ。
「ずっと俺はこの世界の底辺をはい回っていた。ヤツらが俺につけた”ダンジョンムシ”というあだ名そのものにな。全く、ふざけたあだ名を付けてくれたもんだぜ」
ティルシアの視線を痛い程感じる。
戸惑っている? あるいは同情している?
こんな話を彼女にしても仕方が無い。ここで止めるべきだ。俺の頭の冷静な一部が警鐘を鳴らしている。
だが今の俺は、初めてと言って良いほど本格的に酔いが回っていた。
俺は自分で自分の感情を抑える事が出来ずにいた。
ティルシアがいつもの彼女らしからぬ気弱な表情で俺に尋ねた。
「・・・それがハルトの本当の気持ちなのか?」
「そうだ! 正真正銘、ウソ偽りのない俺の本心だ!」
俺の言葉に打ちのめされたのだろうか。ティルシアは動きを止めた。
その目が潤み、みるみるうちに涙が溜まる。
「だが、勘違いするな。俺の心にあるのはそれだけじゃない」
「は?」
ティルシアは口を半開きにしてキョトンとした。
俺が何を言おうとしているのか分からなかったのだろう。
それはそうだ。俺にだって自分が何を言い出したのか分かっていなかったのだ。
「俺はお前達を仲間だと思っている。まあフロリーナは・・・若干苦手だが、だが別に嫌いというほどじゃない」
俺は何を言っているんだろうな。
だが俺は自分の考えを思いつくままに口にしながら、次第に大事な何かに手が届きそうな、そんな予感を覚えていた。
「マルティンのヤツも昔はともかく今は嫌いじゃない。いや、これだけ迷惑をかけられても付き合っているんだから、今更か。アイツとはもう腐れ縁だな。ダンジョン協会の・・・ええと、誰だったか、カウンターのヤツ。アイツも、依頼を受けてやると上機嫌になるから付き合い易いな。ティルシアの知り合いの協会の女、ええと、ヨハンナだ。彼女は協会職員としては全く頼りにならないが性格は別に嫌いじゃない」
俺の言葉はとめどなく続いた。俺に指名で依頼を発注する乾物屋や小道具屋の店主。ティルシアを連れて行くと肉をおまけしてくれる肉屋の奥さん。俺はこうして口にしながら驚くほど多くの町の人間の顔を思い出していた。
そもそもあれほど嫌っていたダンジョン夫共ですら、デ・ベール商会のダンジョン夫やダンジョン調査隊のクズっぷりを見たせいか、まだマシな部類の方なんじゃないかとすら思えた程だ。
「俺はこの世界の人間が嫌いだ。だが、それは俺の――俺は一体何を話しているんだろうな?」
「構わない。続けてくれ」
ティルシアに促されて俺は話を続けた。
考えずに、思い付くままに。
そう、それが自分の気持ちに素直になるという事だと俺は気が付いた。
「今日、俺は人のいないこの町を見て喪失感を感じた。彼らを惜しんでいる自分に気が付いたんだ。俺はこの世界の人間が嫌いだ。だが矛盾しているようだが、俺は俺の周囲の人間を嫌っていない。いや違う。そうじゃないんだ。俺は思い込んでいた―― いや、気が付かなかった」
酔いの力もあったのだろうか。
ずっと抱え込んでいたモヤモヤとした感情が、こうして口にする事で少しずつ整理されていった。
そして俺は唐突に気が付いた。
その途端、俺はずっと目の前を覆っていた霧が晴れたような思いがした。
俺はどうしてこんな単純な事に今まで気が付かなかったんだろう。
言葉にしてしまえばなんてことのない一言。
一度見えてしまえば、どうして今までずっと見えていなかったのが不思議になるような、そんな一言。
「俺はこの世界でずっと一人だと思っていた。いや、思い込んでいた。・・・だが、そうじゃなかったんだ」
そう。それが今まで俺の心をずっと縛り付けて来た呪い。その正体。
俺はこの世界で酷い目に会いすぎて、いつしか「この世界は俺を嫌っている。俺はこの世界に一人だ」と思い込んでいたのだ。
俺は特別なんかじゃない。そもそも、良いにしろ悪いにしろ選ばれた人間なんて、ゲームや物語の世界じゃあるまいし、現実には存在しない。
俺だって少し変わった経歴を持っているだけの、世界に無数にいる極ありふれた人間の一人に過ぎないのだ。
俺にとってはこの世界の全てが敵だった。騙されないように、財産を奪われないように、ずっと壁を作っていた。心の距離をあけていた。
だから見えなかった。いや、見えていたのに気が付かなかった。
俺は既にこの世界に自分の居場所を作っていた事に。
いつしかこのくそったれな異世界フォスで、以前ほどは肩ひじを張らずに生きていけるようになっていた事に。
俺は目の前のウサギ耳の少女を、いや、不安そうにこちらを見つめる小柄な女性を見た。
いずれは俺も自分で今の気持ちに気が付いていたかもしれない。
しかし、ティルシアの存在によってその流れは加速し、俺の心は大きくこの世界に傾いていたのだ。
俺は自分の素直な心に突き動かされるままに囁いた。
「ティルシア。俺はお前が好きだ」
その瞬間、俺は階位5のフィジカルモンスターに瞬時に抱き付かれて唇を奪われたのだった。
次回「もう一度最下層へ」




