その18 二人の日本人
孤児院から逃げ出した俺の足は、無意識のうちに通い慣れたダンジョン協会へと向いていた。
いつものダンジョン協会の建物が見えた時、俺はホッと安堵のため息をついた。
自分では分からなかったがよほど張り詰めていたのだろう。
周囲の建物は略奪に遭っていたが、流石にダンジョン協会を襲うような恐れ知らずはいなかったようだ。
俺はいつもと変わらないダンジョン協会のドアをくぐった。
建物の中も無事のようだ。
ただいつもと違って、ここには誰もいなかった。
酒場のダンジョン夫共の姿も無ければ、カウンターにも誰もいない。
そして依頼表には依頼が一枚も掛かっていなかった。
そう。ダンジョン協会の人間はとっくに逃げ出していたのだ。
この時俺の感じた感情をどう表現すればいいのだろうか?
失意? 無力感? 苛立ち? 喪失感?
そのどれもであって、どれでも無かった気もする。
ただ俺が自分でも意外なほどショックを受けたのは間違いない。
俺はフラフラと酒場に入ると、いつも使っているイスに座った。
そして一人になった俺は、さっきふと頭に浮かんだマルティンとの出会いを思い返すのだった。
あれは俺がこの異世界フォスに転移して来て最初の頃。
ほぼ着の身着のままの状態で転移して来た俺は、初日にその僅かな財産すら騙し取られ、寝床どころか食事すら取れない日々を過ごしていた。
あのままならいずれ餓死していたのは間違いない。
そんな俺を拾ってくれたのがベル婆さんだった。
こうして俺は孤児院でガキ共と生活するようになったのだ。
孤児院での生活は・・・まあ、楽しいものでは無かったよ。
ガキ共はどいつもこいつも、良く言えばしたたか、悪く言えば自分の事しか考えない利己的なヤツらばかりだった。
ベル婆さんはそんなガキ共にいつも暴力を振るっていたが、ある意味それも仕方が無い事だろう。
そもそも話して大人しく聞くようなヤツらじゃないのだ。
ただ全員、ここを追い出されれば命が無い、とは分かっていたため、文句を言うヤツも犯罪に手を染めるヤツもいなかった。
だが世の中には例外というものがある。
当時の孤児院にどうしようもなく手癖の悪い性根の曲がったガキがいた。
後に盗みの現行犯で衛兵に腕を切り落とされ、その傷が元で死んだガキだ。
詳しい話は省くが、そいつはとあるダンジョン夫共が路地裏にコッソリ隠していた荷物を盗み出した。
ダンジョン夫は一般人よりも階位が高い荒くれ者だ。中にはダンジョンで人を殺しているヤツだっている。
そんなヤツらが人目に付かないように隠した荷物をくすねたのだ。
これがどれだけヤバイ話か分かるだろう。
荷物の中身はダンジョンで採れるスクロールだった。
男達はダンジョン協会を介さずにスクロールを横流ししようとしていたのだ。
ダンジョンの利権は少々複雑だ。
ダンジョンは町の物だが、領主の物であり、国の所有物でもある。
町の人間なら入っても別に問題無いはずだが、危険なモンスターから住人を守るという名目で代官の駐留兵が見張っている。そのため実際には勝手に出入りする事は出来ない。
ダンジョン協会は例外で、ダンジョン内の資源を採取するために特別に代官から許可を受けている。
もっとも協会が年間で支払う税金は目玉が飛び出るほどの額になるのだが。
さて。俺達ダンジョン夫は、建前上はダンジョン協会から依頼を受けて、その依頼品をダンジョンに採りに入っている。という事になっている。
そのためダンジョン内で採れた物は全て協会に売らなければならない。
それはそうだ。どこにでも好き勝手に売って良い事になれば、誰もダンジョン協会に売るわけがない。
さっきも言ったがダンジョン協会は代官に多額の税金を納めている。ならば利益はどこから出ているのか? 言うまでもない。ダンジョン協会は俺達の採って来た素材を独占的に売る事で儲けを出しているのだ。
それで大きな建物まで建てて職員を何人も雇っているんだから、ダンジョン夫がどれだけ協会にピンハネされているか分かるというものだ。
まあこの辺りの仕組みはどんな仕事や会社でも似たようなものかもしれないが。
そんなダンジョン夫の仕事だが、実際は多少の素材を懐に入れるくらいはお目こぼしを受けている。
現実的に考えて、ダンジョン夫全員に見張りを付ける事は不可能だし、ダンジョンの出入りの度に全員の持ち物検査をするわけにもいかない。
それにダンジョン内は危険な仕事場だ。そのくらいの旨みがなければ成り手も見つからないのだろう。
かく言う俺も、家で使う用の香辛料やお茶なんかは普通に持ち帰っている。
要は自分で使う分には良くて、外で勝手に売ってはダメなのだ。
だが、もしもここに小さくてかさばらずに高額で売れる素材があったとしよう。
それを裏でコッソリ金に換える事の出来るルートがあればどうだろうか?
そんな素材があるのかって? 実はあるのだ。
そう。それがダンジョンでしか採れないアーティファクト。魔力を通すだけで誰でも魔法が使える便利な道具。スクロールだ。
スクロールは便利で保存が利く上に使い切りなため、常に需要が途切れる事の無い人気商品だ。
しかし、攻撃系の魔法は危険な武器となるため、勝手に売れば犯罪となる。
平和な日本から来た俺からすれば、剣を持ったダンジョン夫共が町をウロウロしている時点で十分に物騒なのだが、まあ、魔法は飛び道具――拳銃のようなものと思えば、確かに自由に取引させてはヤバいかもしれない。
事件の話に戻るが、間に色々とあったので詳しい話は端折るが、犯罪ダンジョン夫共の荷物をくすねて来た事はヤツらにすぐにバレてしまった。
それだけならまだしも、犯罪ダンジョン夫共の取引相手――裏社会の人間が動いてしまったのだ。
ヤツらとしてもこの一件が代官にバレればマズい事は分かっている。ヤツらの行動に躊躇は無かった。
後で知ったが、死人に口なし。俺達が寝静まったのを見計らって孤児院に火を付けようとしていたらしい。
そんな裏社会の男達に、俺はスクロールをくすねたガキだと勘違いされてしまった。
俺はヤツらに追い詰められた。
死を覚悟したその時、俺を助けてくれたのがたまたまこの町に来ていたボスマン商会の倅。マルティンだったのだ。
当時既に帝都で飛ぶ鳥を落とす勢いだったボスマン商会の事は、当然裏社会の人間も知っていた。
結論から言うと、俺達は絶対に秘密を漏らさないと約束することで無事に済んだのだ。
マルティンとヤツらの間にどんな取引がされたのかは分からない。
だが、普通に考えればただの口約束で裏社会の連中が引き下がるはずはない。多分マルティンはヤツらにとって致命的な弱みを握っていたのだ。
いや、今にして思えば、犯罪ダンジョン夫共の荷物の中にあったのは攻撃魔法のスクロールだけではなかった。
裏社会の組織とはいえ、所詮スタウヴェンのような田舎町を根城にしているようなヤツらだ。ヤツらがそんな多種多様なスクロールを金に換えられるとは思えない。
ヤツらはどこかでスクロールを換金出来る伝手があったのだ。
考えられる可能性はただ一つ。ヤツらはデ・ベール商会と繋がっていた――いや、デ・ベール商会こそがあの事件の黒幕だったのだ。
勿論これは俺の推測に過ぎない。だがもしそうだったとすれば、ヤツらがすんなり引き下がったのも分かる。
帝国の田舎町を支配するデ・ベール商会と、帝都で数々の大手商会と表裏問わずに散々やり合った上で、ここまでのし上がって来たボスマン商会。
そして失敗した役立たずを、あのデ・ベール商会が庇うはずもない。躊躇なく切り捨てるはずである。
ヤツらが自らの保身を考えれば、どちらに付くかなど考えるまでもないだろう。
俺は事件の元凶となった荷物をマルティンに渡した。
これで全てが終わった。そのはずだった。
しかしその時、運命のイタズラかちょっとした手違いが起こった。
俺は誤って、うっかりとあるスクロールを使ってしまったのだ。
そのスクロールは『識別』。
対象となった相手のステータスを読み取る魔法が込められたスクロールだ。
そして俺は衝撃の事実を知ってしまったのだ。
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名前:マルティン・ボスマン(転生前:鳥羽優斗)
種族:人族・男 年齢:15歳(転生前:28歳)
階位2
スキル:交渉術 鑑定
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どうして大手商会の息子が孤児院の俺なんかを助けたのか?
漠然と感じていた疑問がこれでハッキリとした。
マルティンは転生者。それも俺と同じ日本人の転生者だったのだ。
そしてスキル:鑑定で俺が日本人転移者だと知って、同郷のよしみで助けたのだ。
ふざけるな!
この時の俺の感情をどう説明すれば良いだろうか。ただ一言で言えば”怒り”だった。
それも目の前の景色が真っ赤になるほどの激しい憤怒だ。
俺は突然転移して右も左も分からない状態だった。
出会ったヤツらに次々と騙されて、遂には飢え死にまでしかけた。
それでも孤児院に拾われて何とかなったかと思えば、今度は馬鹿なガキがやらかした事件に巻き込まれて犯罪者共に殺されかけた。
俺が何度も死ぬような目に会っているというのに、同じ日本人のマルティンは大手商会の息子に転生して、何不自由なく裕福に暮らしている。
しかもだ。しかもそんなマルティンに、俺と孤児院のヤツらは命を救われたのだ。
同じ日本人なのに、この差は何だ?!
なぜ俺ばかりが地べたを這いずり回らなきゃいけないんだ?!
俺はこの世の理不尽に、いや、常に俺に対して理不尽を強いて来るこの異世界フォスに激しい怒りを覚えた。
俺は異世界フォスとそこに住む人間全てを憎んだ。そして日本人でありながらフォスの人間として生まれ育ったマルティンを憎んだ。
それは醜い嫉妬の感情だったのだろう。だが俺はまだ子供で、この世界にやって来てからは散々打ちのめされてばかりだった。
俺は自分の心を守るために、この世界の全てを否定するしかなかったのだ。
こうして俺はマルティンと別れた。
次に出会うのは十年後となる。
今度はあの時とは逆に、事件に巻き込まれたマルティンを俺が助ける番となった。
それは俺とティルシアの出会いにもなるのだが・・・ここで語る話ではないだろう。
「ハルト! やっぱりここにいたんだね! 捜したよ!」
俺が開けっ放しにしていた入り口から、ネコ科獣人の少女、シャルロッテが現れた。
シャルロッテは立ち止まると驚いた顔で建物の中を見回した。
「人っ子一人いないね。みんな逃げちゃったのかな」
「・・・だろうな。手間をかけてすまなかった。それよりも町がこんな状態だと外食も出来ない。早く帰ってメシを作ろう」
俺はイスから立ち上がると、シャルロッテを促して外に出た。
シャルロッテはメシという言葉に嬉しそうにしながら俺の後ろに続いた。
そう。ここにはもう誰もいない。
そしていずれこの世界から誰もいなくなる。
あの日、俺が怒りと共に望んだ通りに。
だが今の俺には何の喜びも満足感も無かった。
次回「本当の自分の気持ち」




