その17 孤児院
家に戻った俺達はドアの前で立ち尽くしていた。
ドアは壊され、家の窓もあちこち破られていたからだ。
どうやら略奪の手はこんな辺鄙な町の一角にまで及んでいたらしい。
「こうしていても仕方が無い。家に入ろう」
俺は力無く呟くと玄関をくぐった。
ここに来るまで、焼け落ちた家を何件も見ていた。
そう考えれば荒らされただけで建物は無事なのだから、まだマシな部類だったと言えなくもないのかもしれない。
家の中は外の見た目以上に荒らされていた。
流石に倉庫は無事だ。アーティファクトの鍵を壊して中を物色する程気合の入った略奪者はいなかったらしい。
その時、奥の部屋に小さな影が駆け込んだ。
「誰だ?!」
シャルロッテは誰何の声を上げると駆け出した。
「うわあああっ!」
「やべえ! 帰って来た!」
子供の声?
シャルロッテに遅れて部屋に飛び込むと、そこはティルシアの部屋だった。
とはいえティルシアは部屋に何も置かない。
せいぜい着替えと装備と毛布くらいだが、装備と着替えはボスマン商会に持って行っているらしく、部屋には毛布くらいしか残っていなかった。
そんな部屋でシャルロッテが薄汚い子供を押さえ込んでいる。
窓の外には別の子供達が不安そうにこっちを見ている。
どいつもこいつも小汚い格好だ。というかコイツらは――
「シャルロッテ。もういい。離せ」
「でもハルト、子供だからって甘い顔をしていると――」
「コイツらの責任者は分かっている。ベル婆さんだ。コイツらは孤児院のガキ共だよ」
ベル婆さんの名前を聞いて、ガキ共は「マズい事になった」とばかりに青ざめた。
俺はガキ共を連れて孤児院に向かう事にした。
ガキ共はすっかり観念しているのか、大人しく俺について来ている。
シャルロッテはそんな彼らの殊勝な態度に不思議そうな表情を浮かべた。
「意外と素直なんだね」
「・・・他所の町は知らないが、この町はダンジョンのおかげで比較的裕福だからな。孤児院にいれば食うのには困らないんだ」
俺の言葉に何人かが不満そうな表情を浮かべたが、何も言い返す事は無かった。
大方、あの孤児院のどこが裕福なんだ、とでも思っているのだろう。
実際酷いボロ屋だからな。
だがこんな命の軽い世界だ。コイツらの馬鹿な頭でも、孤児院を追い出されれば子供だけでは生きていけない事くらいは分かっているのだろう。
「ベル婆さんは厳しいからな。言う事を聞かないガキは容赦なくぶん殴るし、それでも聞かなければ孤児院を追い出しちまう」
元の世界だと幼児虐待になるのかもしれないが、ここは人権もへったくれもない異世界だ。
言う事を聞かないガキは叩いて躾けるし、別に悪い事をしていなくても虫の居所が悪ければ殴って憂さを晴らす。
俺も昔はベル婆さんの暴力と理不尽に閉口したものだ。
「俺も孤児院にいた頃は婆さんに散々殴られたからな」
「ふうん、そうなんだ」
それだけ聞くと酷い話だが、実は俺にとって婆さんは「分かり易い大人」だった。
確かに理不尽で暴力的だったが、日本からこの町に転移して早々、騙されて身ぐるみをはがされたばかりの俺にとっては、婆さんの裏表のない性格は、むしろ付き合いやすい部類だったのである。
「そういう意味では少しだけティルシアに似ている所があるかもしれないな」
「へ・・・へえー。それにしてもハルトって孤児院で育ったんだね」
「言ってなかったか? まあそんなわけだから、コイツらがイタズラ目的で俺の家に入った事は分かっている。もし盗みがバレれば孤児院にいられなくなるからな。もっとも残っている食べ物くらいはくすねようとしていたのかもしれないが」
俺の指摘にガキ共が居心地が悪そうな表情になった。
そもそも孤児院は、行き場を失くしたガキが犯罪者にならないように、代官が予算を出して運営している施設だ。
だからもし犯罪がバレたら、普通の市民が受けるよりも何倍もの重い罰が課せられる。
俺がいた頃にも、どうしても悪い手癖の抜けないヤツが衛兵に捕まって腕を切り落とされていた。
その傷口からバイ菌でも入ったのか、そいつは高い熱を出してそのまま死んでしまった。
自業自得なので俺は特に何とも思わなかったが。
そもそも、俺はそいつに酷い目に会わされていた。
少し前にそいつが起こした犯罪に巻き込まれて、危うく命を落とす所だったのだ。
それでも反省せずに、バカな事を繰り返した挙げ句に命を落としたのだから、同情してやる価値はないだろう。
それは俺がマルティンと知り合うきっかけとなった、とある事件なのだが――
・・・まあ今はその話はいいだろう。
ここで言いたいのは、この町は孤児の犯罪には厳しい、という事だ。
「実際最近でも、孤児院を追い出されたガキが町の外で野垂れ死にしていた、って話を聞いたしな」
「へえ。そんな事があったんだ」
シャルロッテは他人事だが、ガキ共にとっては心当たりのある話だったのだろう。
顔を見合わせて青ざめている。
俺はガキ共に振り返った。
「そんな顔をしなくてもいい。俺はそこまでするつもりない」
「だったら何で孤児院に向かっているんだい?」
シャルロッテの素朴な疑問に俺は言葉を詰まらせてしまった。
「・・・俺も昔は散々ベル婆さんに殴られたからな。それはそれ。孤児院のガキに迷惑をかけられた以上、一言嫌味でも言ってやらないと気が済まないと思ったんだ」
いや、嘘だ。いくら今は町の治安が悪化しているといっても、こんな悪さをして、もし誰かに見付かりでもしたらただじゃ済まない。
今回は見付けたのが俺で良かったが、注意だけはしておくべきだろう。
そう思ったからわざわざ孤児院を訪ねる事にしたのだ。
「ふうん」
「何だ」
シャルロッテは俺の心を見透かしているのか、いかにも興味津々といった態度で俺の表情を窺っている。
「ハルトってさ。いつも口では悪ぶってるよね」
「・・・」
・・・俺だってらしくもない事をしているという自覚はある。
俺はこの世界の人間が嫌いだ。腕を切り落とされようが孤児院を追い出されて死のうが関係ない。この考えは今でもずっと変わらない。
だが、ベル婆さんには孤児院に拾われた恩がある。
その恩を忘れるようでは俺がこの世界で出会ったクズ共と同じ人間になってしまう。
だから今日はその恩を返す事にした。それだけだ。
「そうなの?」
「何が言いたい。俺は正直なだけだ。お前が俺を悪いと感じるなら多分俺は悪いヤツなんだろう」
「違う違う。アタシはハルトは”悪い”んじゃなくて”悪ぶっている”って言っているんだよ」
シャルロッテは大袈裟に両手を振って否定した。
俺は何だか背筋がムズムズして理不尽な苛立ちを感じた。俺の苦手な雰囲気だ。
「そんな話より孤児院が見えて来たぞ。あそこだ」
俺は少し乱暴にこの会話を打ち切った。
孤児院の建物は、俺の記憶より小さくみすぼらしく見えた。
「何だいあんた達は? こんなところに用がある人間には見えないがね」
ベル婆さんは、子供を連れて孤児院を訪ねて来た二人組のダンジョン夫に警戒している様子だ。
ダンジョン夫は荒くれ者共だからな。婆さんの気持ちも分かる。
そして俺の顔を覚えていないようだ。まあガキは毎年何人も出入りするからな。当然か。
だがそんな事よりも、俺は目の前の光景に――ベル婆さんの姿に、驚いて声が出なかった。
ベル婆さんは古びた車いすに座っていたのだ。
そのせいだろうか。婆さんにしては大柄な彼女の体が妙に小さくしぼんでいるように思えた。
「その足はどうしたんだ?」
俺は辛うじてそれだけを口にした。
ベル婆さんは「ああん?」と訝しげな表情を浮かべたが、特に気にする事も無く答えた。
「二~三年前に屋根の修理をしようとして梯子から落ちてね。腰を悪くしちまったんだよ。それ以来ずっとこうだよ」
流石にもう慣れたがね。婆さんはそう言って肩をすくめた。
「それよりあんた達は一体――」
「もういい。何でもない」
俺は逃げるようにその場を後にした。
「ちょっと、どうしちまったんだい?!」
「ハルト?」
婆さんの声が聞こえたが俺は振り返る事が出来なかった。
何が、婆さんに一言嫌味でも言ってやらないと気が済まない、だ。
俺は孤児院を出てから一度も顔を見せてすらいなかった。
俺は婆さんの衰えた姿を見て、今更ながらその事に気が付いたのである。
確かに最初の頃はダンジョン夫の仕事が忙しくてそんな時間は無かった。
そして原初の神に金を与えるために余分な貯えも無かった。
だがそれでも最近は時間にも金にも余裕が出来ていた。
同じ町の孤児院だ。行こうと思えば今日のようにすぐにでも行く事が出来たはずである。
これじゃ俺もこの町のクズ共と何も変わりはしない。
腰を悪くして不自由している婆さんの姿が、そして俺の記憶よりもボロボロの孤児院の建物が、俺には俺の薄情さを非難しているように感じられてならなかった。
俺は羞恥と後悔で、とにかく早くこの場を立ち去りたかったのだ。
次回「二人の日本人」




