その13 デ・ベール商会の最後
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スタウヴェンの町を長年に渡って牛耳って来たデ・ベール商会。
今、デ・ベール商会は思わぬ形で最後の時を迎えようとしてた。
「どけっ! 俺達は――ぐあっ!」
「や、やめろ――ギャアアッ!」
陣地から逃げて来た王弟軍の一部が、デ・ベール商会に身をひそめようとしたのだ。
商会の用心棒と揉めている彼らに、後を追う迷宮騎士が切り込み、商会の入り口は悲鳴と血の匂いに包まれた。
日頃は肩で風を切って歩いている高階位の用心棒達だったが、迷宮騎士の圧倒的な暴力の前にはあまりに無力だった。
彼らは何の抵抗も出来ずに、なすすべなく切り伏せられていった。
逃げて来た兵士ごと用心棒達を切り伏せ、血だまりの中で立ち尽くす迷宮騎士。
月明かりがミスリルの装備を白く輝かせ、どこか幻想的な趣を感じさせた。
商会の店員達は恐怖に痺れた頭で、美しい死神の剣が自分達の命を無慈悲に刈り取る光景を幻視していた。
しかし、迷宮騎士は、踵を返すと立ち去って行った。
残された店員達が、ひょっとして自分達は助かったのだろうか? と正気に返ったのは、その白銀の姿が通りの先に見えなくなってからしばらくしての事であった。
彼らはあずかり知らぬ事だが、迷宮騎士は、彼らを生み出した原初の神フォスから階位3以下の弱者は見逃すように命令されていたのだ。
数少ない強者を殺し、人類のほとんどを占める弱者に恐怖を植え付ける。
それがフォスの狙いだった。
だが、迷宮騎士は気付いていなかった。
自分達が追っていた兵士が一人少ない事に。
そしてデ・ベール商会の人間は、隠れていたその兵士から詳しい事情を聞き出した。
兵士の語る内容は驚くべきものだった。
王弟軍は迷宮騎士から奇襲を受けて壊滅状態なのだという。
彼らは急ぎ、デ・ベール商会の会長・レオボルトに連絡を取るのだった。
ここはデ・ベール商会の会長、レオボルトの屋敷。
商会の人間から連絡を受けたレオボルトは、しばらく神経質に部屋の中を歩き回っていたが、やがて大声を上げた。
「誰かいないか?!」
レオボルトの声に答えて、護衛達がドアを開けた。
「俺は一時的にこの町を離れる。金目の物を積めるだけ馬車に詰め込め」
護衛は驚いて顔を見合わせた。
「この町から逃げるんですか?」
「逃げる? 違う。この町から離れて時期を待つのだ。いいから黙って俺の指示に従え。急げ!」
雇い主に怒鳴られて慌てて駆け出す護衛達。
レオボルトは深い考えに沈んだ。
(ボスマン商会にだけブルート殿下からのお声がかりがあった時には最悪だと思ったが、今となれば好都合だ。おかげで俺は自由に動く事が出来る)
ボスマン商会のマルティンが王弟軍の準備を任されたと聞いて、レオボルトが受けた衝撃は並大抵のものではなかった。
帝国王弟・ブルートが、ひいては帝国王家が、このスタウヴェンの町を代表する商会はボスマン商会だ、とお墨付きを与えたにも等しかったからである。
商売で最も大切なのは取引相手からの信頼。商会としての格である。
今回の件で、デ・ベール商会はボスマン商会の下に立たされてしまった。
今後の商売で更なる苦戦を余儀なくされるのは間違いないだろう。
(だがある意味俺にとってはチャンスだ。早目に情報が手に入ったのは幸運だった。殿下の軍が被害を受け、スタウヴェンが混乱にあるこの状況。これを利用しない手はない)
おそらくボスマン商会は、町の混乱に巻き込まれて明日にも機能がマヒしてしまうだろう。
レオボルトは早目に町を離れる事で、それに巻き込まれる事無く、外で自由な活動が可能になる。
支援物資の確保に救援隊の手配、この機会に帝都に足を伸ばして有力商会とつなぎを付けるのもいいかもしれない。
彼の頭の中では、自分が上手く立ち回って華々しく町に凱旋する未来図が思い描かれていた。
もし、この場に彼の祖父、先代会長ルカス・デ・ベールがいたら、激しく孫をとがめた事だろう。
町の緊急事態にいの一番に逃げ出して、安全な外から援助するような商会を誰も信じるはずはないからである。
しかし、最近ルカスは床に伏せる事が多くなっていた。
病気ではない。老衰が原因である。
医者の見立てでは、もうあまり時間は残されていないとの事だ。
最近のレオボルトは、唯一自分を諫める事の出来る人間がいなくなり、商会を気分で振り回す身勝手な行動が目につくようになっていた。
ガチャリ
ノックも無しにドアが開いた。
考えを邪魔されて無礼な来訪者を睨み付けるレオボルト。
そこに立っているのは若い男だった。頬にキズのあるその男は、数か月前にダンジョン協会を辞めてデ・ベール商会に入ったカスペルだった。
カスペルは軽く部屋の中を見回した。
その不躾な態度にレオボルトの額に青筋が浮かんだ。
「おい、お前は一体――」
「会長。ヘールツ、ボルト、ミンク、カルバロ、この四人の名前をご存じですよね?」
レオボルトは自分の言葉を遮られた事より、なぜここでこの四人の名前が出て来たのか分からずにキョトンとしてしまった。
もちろん知らないはずは無い。ヘールツをリーダーとするこの四人は、商会の汚れ仕事担当だった男達だ。
レオボルトも彼らにダンジョン研究家を自称するフロリーナの護衛を任せた事がある――というのは表向きの理由で、本当はこの町のダンジョン夫を間引いてデ・ベール商会の息がかかった者達で占めさせるという作戦の実行犯だった者達だ。
この計画はボスマン商会のマルティンの護衛・ティルシアによって防がれている。
彼らは全員ティルシアによって返り討ちにされた。
ティルシアは直前にダンジョン協会に登録、ダンジョン夫になっていた事から、レオボルトはどこからか情報が洩れたに違いないと睨んでいた。
そうでもなければあまりにタイミングが良すぎる。
おそらくこちらの計画の情報を掴んだボスマン商会のマルティンが、ティルシアを前もって潜入させていたのだろう。
マルティンの苦労知らずの坊ちゃん顔を思い浮かべて、レオボルトは激しい憎しみと苛立ちを覚えた。
「ヘールツ。ボルト。ミ――」
「知っている! それがどうした?!」
返事が無かったためか、なおも繰り返そうとしたカスペルの言葉をレオボルトが遮った。
カスペルは懐から何かの書類を取り出した。
レオボルトの目が細められる。
「ここには彼らは町のダンジョン夫達を殺すように命じられていた、と書かれていますが、本当でしょうか?」
レオボルトはそんな書類を作った覚えはない。
そしてヘールツ達にも誰にも言うなと命じた。――はずである。
が、所詮はゴロツキに毛の生えたような男達である。
酒でも入ればどこで口を滑らせるか分かった物ではない。
レオボルトは彼らの事を信用していなかった。
「・・・そんなはずはない。何かの間違いだろう。分かった、後で調べておこう。その書類はこちらで預かる」
「分かりました」
この書類がどういう経緯で作られたものかは分からないが、外に出て良いものではない。
レオボルトはヘールツから渡された書類にざっと目を通すと――それは何の変哲もない店の出納帳であった。
「何だこれは――ぐっ!」
突然、レオボルトの胸に灼熱の痛みが走った。
レオボルトは信じられない思いで、目の前のカスペルを――彼が突き立てたナイフを見た。
「貴様・・・何を・・・」
「この数か月。俺はデ・ベール商会に入ってずっと調べていた。少し苦労したが、やがてヘールツ達の計画、いや、あんたの立てた計画を知る事が出来た」
あの日、ダンジョンでカスペルの弟、リュークはヘールツに殺された。
リュークの仇であるヘールツはティルシアに殺されたが、誰の目にもヘールツ達の裏にはデ・ベール商会の思惑があった事は明白だった。
カスペルはダンジョン協会の登録を解除して、デ・ベール商会に入った。
全てはヘールツ達を使って計画を企てた者を探るため。
リュークの復讐を果たすためであった。
そしてついに、ヘールツ達を裏で操っていたのが、デ・ベール商会の現会長レオボルトその人であると知ったのである。
レオボルトは痛みを堪えて背後に倒れるようにしてカスペルの剣から逃れた。
胸から溢れた血は彼の部屋着を濡らし、高級な絨毯に達した。
助けを呼ばねば!
気持ちは焦るものの、レオボルトの口から出るのはヒューヒューという荒い吐息だけだった。
「それからはひたすら待ち続けた。真面目に仕事を続け、酒も断ち、上司にも取り入り、金もばらまいた。そうやってようやく昨日、この屋敷の警備の仕事に就く事が出来たのだ」
デ・ベール商会の会長であるレオボルトには敵が多い。
彼は常に自分の安全に気を配っていた。
生半可な事では近付く事すらかなわない。
カスペルは慎重にレオボルトに近付くチャンスを窺った。
その甲斐あって、ようやくレオボルトの屋敷の下男になったのだが・・・
それがまさか仕事の初日にこんなチャンスが巡って来ようとは。
部屋の前の護衛が離れ、一時的にだがレオボルトがたった一人になったのだ。
カスペルは今まで一度も信じた事のない神に深く感謝した。
カスペルは適当な机から書類を持ち出してこの部屋を訪れた。
ハッタリに使うものなので、何の書類でも良かった。
そもそもカスペルは文字が読めなかった。
カスペルが最初にヘールツ達の名前を出したのはレオボルトの反応を窺うためである。
ここに来た時から殺すと決めてはいたが、最後に確認をしたかったのだ。
確認の結果は? 見ての通りである。
レオボルトは黒。カスペルはそう判断した。
カスペルは感情のこもらない目で、死の恐怖に怯えるレオボルトを見下ろした。
「リュークの仇だ」
カスペルは倒れたレオボルトの顔面を蹴りつけた。うつ伏せに倒れるレオボルト。
その背を踏みつけるとカスペルはレオボルトに深々とナイフを突き立てた。
くぐもったうめき声が上がると、ナイフはレオボルトの背後から心臓に達して彼の息の根を止めた。
あっけないものである。
カスペルは念のため数回ナイフを突き立てると、完全に動かない事を確認した上でようやくレオボルトの上から離れた。
リューク。見てくれたか? お前の仇は取ったぞ。
想像していたような達成感はまるで無かった。
これで全てが終わった、その思いだけが胸を満たしていた。
カスペルは、苦痛に歪んだレオボルトの死に顔を見て、少しだけ溜飲を下げた。
奇しくもこの時間、レオボルトの祖父で先代会長だったルカスが静かに息を引き取った。
こちらは老衰による大往生である。
長年に渡ってスタウヴェンの町を支配し、多くの人間に恨まれた男に相応しくない最後であった。
こうしてデ・ベール商会の直系の血族は途絶えたのである。
その時、護衛の男達が部屋に駆け込んで来た。
「会長! 一体何の音?! うっ!」
部屋の中は血臭が立ち込めている。
レオボルトは部屋着を地に染めて倒れていた。
その横に立つのは、血に染まった大ぶりなナイフを持った男。
男達がレオボルトに命じられて部屋を離れていた時間は僅か五分にも満たない。
正にあっという間の凶行であった。
「貴様! ボスマン商会の回し者か?!」
護衛の叫びにカスペルは、一瞬彼らが何の事を言っているのか分からなかった。
やがてその言葉が頭に染み込むと、彼は大きな声で笑った。
「俺がボスマン商会の人間だって?! コイツは傑作だ!」
カスペルの脳裏にはボスマン商会の護衛――ウサギ獣人のティルシアが思い浮かんだ。
弟のリュークよりも幼く見える少女と、自分のようなゴツイ大男。
そのあまりのギャップに笑いを抑えられなかったのだ。
急に笑い出したカスペルに男達は明らかに苛立っている。
カスペルはナイフを持ち直すと腰を落として身構えた。
「お前達もレオボルトに雇われたデ・ベール商会の一員だ。そう考えたら俺の復讐の対象になるよな」
その理屈だと俺自身も含まれちまうな。カスペルは自嘲の笑みが込み上げて来るのを覚えた。
カスペルはそんな気持ちを振り払って走り出した。
護衛は左手を犠牲にしてカスペルのナイフを受けた。
「ぐっ!」
「テメエ!」
カスペルの階位は4。一般の基準では十分に高階位だ。
だが、相手は階位5だった。
しかも二対一では最初からカスペルに勝ち目はなかった。
こうしてカスペルは死んだ。
しかし彼の死は、今日町を襲った数多くの死の中に埋もれ、誰からも顧みられる事は無かったのであった。
次回「折れた心」




