その12 王弟の死
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意気揚々とダンジョンに乗り込んだ王弟軍は、全部隊が這う這うの体でダンジョンから逃げ帰って来た。
その後、負傷者の治療や部隊の再編制に思ったよりも時間が取られたせいで、すっかり日が傾いてしまった。
やむを得ず王弟軍は退却の角笛を鳴らした。
負傷した兵士達が次々に陣地に戻って行く。
彼らの表情は一様に暗く沈んでいる。
無理もない。圧倒的な戦力差で挑んだにも関わらず、迷宮騎士に容易くあしらわれてしまったのだ。
帝国軍精鋭のプライドはズタズタに引き裂かれていた。
一部の見張兵を残して全軍が陣地に引き上げた。
ダンジョンのモンスターはダンジョンの外には出て来ない。
外は大気中のマナ密度が低く、モンスターは長時間生きられないからだ。
やがて陣地のあちこちからかまどの煙が上がり始めた。
夕食の準備が始まったのである。
そんなダンジョン入り口から少しだけ離れた大きな屋敷。
今、この建物は王弟軍に接収され、帝国王弟ブルートの作戦本部が置かれていた。
本日の戦果報告に、ブルートは不満を隠そうともしなかった。
「完敗か」
端的な一言に、彼の抑えきれない怒りがにじみ出ていた。
集まった貴族達は王弟の怒りを恐れて、顔を伏せ背を丸めている。
「失礼します! 検分の用意が出来ました!」
連絡の騎士の声にブルートは無言で席を立った。
慌てて後に続く貴族達。
彼らは連れ立って屋敷のロビーに向かった。
ロビーに敷かれた布の上にはボロボロになったミスリルの装備が置かれていた。
討ち取られた迷宮騎士の死体である。
ブルート達が揃ったのを確認すると、騎士団の団長が説明を始めた。
「ご覧下さい。これは本日ダンジョンで打ち取られた迷宮騎士の死体です。中はこの通り――」
団長が胴体の部分を持ち上げて、その断面を見せた。
「何か黒い物体が詰め込まれているだけです。体のあちこちを解剖してみましたが、骨や臓器に当たるものはなく、どこも同じようにこの藁束のような黒い物質が詰まっているだけでした」
「なんと不気味な・・・」
貴族達はうなり声を上げた。
迷宮騎士の中身が生物としての体裁を取っていないのは、原初の神フォスの手抜きである。
フォスは迷宮騎士を使い捨ての兵器として生産したのだ。
迷宮騎士に命は無い。感情も無ければ、痛みも感じない。ただフォスの命令を忠実に実行するだけのロボットのような存在なのであった。
「それで? 対抗手段はあるのか?」
「この死体は隊でも力自慢の者が討ち取りました。ここをご覧下さい」
胴体の一部が大きく陥没してた。
何か固い鈍器のようなもので叩かれて損傷したのだろう。
純度が低いとはいえミスリルの装備を陥没させるとは、なるほど力自慢の兵というのはウソではないようだ。
「剣が曲がってしまったため、工兵が忘れたハンマーを用いて一撃を加えたのだそうです。ご存知の通りミスリルの装備は魔法に耐性があり、硬く軽い金属です。しかし、中に詰まっているこの物質は――」
「なるほど。つまりその黒い束は衝撃に弱いのだな」
「おそらくは」
「「「「「おおっ!」」」」」
ブルートの言葉にこの場の空気が軽くなった。
強敵迷宮騎士を攻略するための突破口が見つかったのである。
「ただいまボスマン商会にハンマーを調達するように指示を出しております。明日には部隊の編成が終わるかと」
団長の言葉にブルートは満足そうに頷いた。
「分かった。明日の攻撃は今日と同じく午後から始める事とする。それと明日は俺から兵に訓示を――」
「た、大変です!」
ブルートの言葉は駆け込んで来た騎士によって遮られた。
騎士の目は恐怖に血走り、額にはびっしりと汗の玉が浮かんでいる。
ただ事ではない様子にこの場にいる全員が息をのんだ。
「迷宮騎士です! 迷宮騎士が大挙して押し寄せて来ました!」
「なにっ?!」
その時、ようやくこの屋敷にも外の喧噪が伝わって来た。
それは王弟軍の上げる断末魔の悲鳴だった。
モンスターはダンジョンの外には出てこない。
これはこの世界の常識である。
そのため見張りの兵も、モンスターの襲撃を警戒するというよりも、もしもダンジョンに異変があった際、いち早くそれを発見するために配置されていた。
つまり、あくまでも何かあった時の用心に過ぎなかったのだ。
それほど彼らの常識は根強く強固だった。
だが今日、その常識が彼らの足を引っ張る事になる。
「何の音――ぐっ・・・」
「何が・・・ぐはっ」
突如ダンジョンから恐るべき速さで剣が投擲された。
見張りの兵はその剣に貫かれて次々に倒れていった。
ガシャッ。ガシャッ。ガシャッ・・・
やがてダンジョンの中から白銀の鎧をまとった騎士達が姿を現した。
迷宮騎士である。
先頭を歩く迷宮騎士は、倒れた兵から無造作に剣を引き抜いた。
この時初めてダンジョンに近い陣地の兵士が迷宮騎士の存在に気付いた。
「えっ? 何が起きているんだ?」
完全に油断していた兵士達は、自分達に迫った危険を理解出来なかった。
また運悪く今は食事の時間だった。
食事中の彼らは武器を手元に置いていなかった。
兵士のこぼしたマヌケな一言が引き金になったのだろうか。
迷宮騎士達はスラリと抜剣すると次々に走り出した。
「うわあああああっ!」
「何だ、どうした?!」
「なっ! 見張りは何をしていたんだ!」
陣地といっても、ただ縄張りをしてテントを立てているだけのものだ。
ここは町中だし、最初から野戦を想定していないのだ。手間をかけて柵や堀を作る訳もない。
何一つ遮る物のない陣地に迷宮騎士の集団が躍り込んだ。
王弟軍は昼間、ダンジョンで正面から戦って敗れている。
完全に隙を突かれたこの状況でかなうわけがなかった。
そこからは阿鼻叫喚の地獄絵図が展開された。
迷宮騎士は未だ混乱の中にいる兵士達を、まるで藪を払うように切り捨てていく。
逃げ惑う兵によってかがり火が蹴り倒され、火がテントに燃え移ると煌々と辺りを照らした。
倒れた仲間に躓いた兵士は別の仲間に踏みつけられ、逃げ遅れた兵士は迷宮騎士に止めを刺された。
中には剣を手に迷宮騎士に挑む勇敢な騎士もいた。
しかし、相手は階位10に相当すると言われている化け物だ。一対一でかなうわけがない。
その騎士は一合も打ちあう事も出来ずに一刀のもとに切り伏せられた。
彼は蛮勇の代償を己の命で払う事になったのである。
迷宮騎士達は王弟軍の陣地を縦横無尽に蹂躙した。
命は刈り取られ、踏みにじられ、悲鳴と炎が町の空を染めた。
多くの兵士達は散り散りに町の中に逃れた。
迷宮騎士の一部は彼らを追って町の中に入った。
今夜スタウヴェンの町が恐怖で埋め尽くされようとしていた。
王弟ブルートが本陣としている屋敷。
今そこに10人程の迷宮騎士が到着した。
先頭の迷宮騎士が玄関のドアに無造作に拳を叩きつけると、ドアはあっさりと内側に吹き飛んだ。
「うおおおおおっ!」
入り口の影に隠れていた騎士団団長が、大きなハンマーで先頭の迷宮騎士を殴打した。
流石に王弟軍の団長だけあって、かなりの高階位の持ち主だったようだ。
直撃を食らった迷宮騎士は、床に叩きつけられるとその動きを止めた。
どうやら打撃に弱いという推測は正しかったようだ。
しかし、彼の健闘もそこまでだった。
迷宮騎士は大振りの攻撃の隙を見逃さず、左右から団長の体に剣を突き立てた。
「ぐぶっ」
団長は血を吐きながら膝をついた。その頭部に迷宮騎士の剣が振り下ろされた。
彼は頭をキレイに断ち割られて息絶えた。
迷宮騎士は死体を蹴り飛ばすと、何事もなかったかのように倒れた仲間をまたいで次々と屋敷の中に入って行った。
やがて屋敷の中に男達の断末魔の悲鳴が響き渡った。
この日、帝国王弟ブルート・デル・カレンベルクが遠征先のスタウヴェンの町で戦死した。
彼の率いていた精鋭軍は壊滅。半数以上の兵士と、ほとんどの騎士達が討ち死にした。
同行していた貴族達は従者に至るまでほぼ全員死亡。彼らの治める領地は大きく混乱する事になる。
この報せは帝国を大きく揺るがした。
皇帝は急ぎ兵を集め、迷宮騎士討伐に乗り出す事を宣言した。
それこそが原初の神の狙いだとも知らずに――
次回「デ・ベール商会の最後」




