その11 スタウヴェンの戦い
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朝。マルティンは寝不足でぼんやりとした顔で外の景色を眺めていた。
「結局ハルトは間に合わなかったのか・・・」
今頃王弟軍は迷宮騎士との戦いに入ったはずである。
流石にボスマン商会からではその様子を窺い知ることは出来ない。
この二日間は大変だった。
約八千の王弟軍を町に受け入れるために、マルティンは代官と共にあらゆる人脈を駆使して調整した。
ほとんど一睡もせずに走り回ったマルティンは、仕分け作業がひと段落ついた途端に気を失うようにソファーに倒れ込んだのだった。
「けど、大変なのはこれからだろうな」
フロリーナから上がって来た報告書によると、迷宮騎士は階位にして10ないしはそれに近い能力だという。
数に勝る王弟軍とはいえ、そう易々と彼らを殲滅する事は出来ないだろう。
戦いが長引けば住人の不安や不満がどんな形で噴き出すか想像も出来ない。
更には、もしも殲滅に成功したとしても、次に待っているのはダンジョンの攻略である。
軍隊に荒らされたダンジョンが生産量を取り戻すのはいつになるかは分からない。あるいはもう二度と元のようには戻らないかもしれない。
邪神フォスからこの国を守るためにはやむを得ない犠牲とはいえ、この町にとってダンジョンは替えの効かない経済の中心だ。
今後、間違いなく大きな不況がこの町を襲う事になるだろう。
今、町の代官はこの領地を治めるケーテル男爵と協議して、住人の受け入れ先を調整している。
それが一時的なものになるか、恒久的なものになるのか、現段階ではハッキリとしない。
ただ、この町がかつての賑わいを取り戻す事だけはもうないと言える。
スタウヴェンの町の命数は尽きてしまったのである。
「この店にも愛着が湧いて来た所だったんだけどなあ」
マルティンは、部屋の中を見回してため息をついた。
やっと開店したばかりのボスマン商会だが、流石に経済の規模が縮小したスタウヴェンに支店を構えておくわけにはいかない。
仮に店を残す事になっても、その規模は大幅に縮小されるだろう。
そんな弱小支店にマルティンをいつまでも縛り付けておくわけにはいかない。
マルティンはボスマン商会にとって替えの効かないエースでありジョーカーだからだ。
マルティンは頭を掻くと体を起こした。
こうしていつまでも横になっていたいが、そういうわけにもいかない。
やらなければならない事はいくらでもある。
マルティンの長い一日は始まったばかりだった。
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物見の兵が陣地に戻って来た。
怯えるダンジョン夫をなだめすかして協力させ、ようやく偵察を終えた彼らは、ダンジョンの様子を参謀達に報告した。
「ヤツらはダンジョンの奥に下がっているだと?」
前日まではダンジョン一階層を無秩序に徘徊していた迷宮騎士達だったが、今日は二階層の階段の近くまで大きく後退しているという。
「我々をダンジョンの奥までおびき寄せるつもりか。・・・当初の作戦は使えんな」
王弟軍は、ダンジョン入り口とデ・ベール商会が開けたトンネルとの二方向から攻める作戦でいた。
今も工兵達がトンネルに階段を作る工事をしている最中である。
「階段を守るつもりなのかもしれませんな」
このスタウヴェンのダンジョンこそ初めてだが、帝国軍の将兵は何度もダンジョンで階位上げをしている。
ダンジョンの階段がモンスターの入り込まないセーフゾーンである事を知らない者などここにはいなかった。
当初の予定では、二方向からダンジョンに入った王弟軍は、最短距離を通って階段を確保。そこに陣地を作る予定だった。
そうしておいて、『ダンジョン入り口』、『トンネル入り口』、『階段入り口』の三か所から兵を進める事で迷宮騎士の包囲殲滅を図るつもりだったのである。
「こうなると正面から叩くしかないか。犠牲が増えそうだな」
ボスマン商会のマルティンから、迷宮騎士の強さは階位10に相当する恐れがあるとの情報があった。
町のダンジョン協会からも、迷宮騎士は階位6の騎士を袈裟懸けに一刀両断したとの報告を受けている。
「階位10は大袈裟にしても、鋼鉄製のゴーレムくらいの強さはあるでしょう」
「あれか・・・ あれには以前、部下を三人もやられた」
参謀はそう言って苦々しい表情を浮かべた。
シュミーデルのダンジョンの四十階層以降には鋼鉄製のゴーレムが無数に徘徊して、長年に渡り最下層を目指す者達を阻んでいる。
唯一20年前に町のダンジョン夫が最下層に到達したが、そのダンジョン夫も先日ダンジョンで命を落としたという。
「それでどうしましょう。階段工事を切り上げて全軍で入り口から突入しますか?」
参謀は部下の提案に少し考えてから答えた。
「いや。補給や撤退の際に使えるだろう。出入口は多いに越したことはない。予定通り工事が終わり次第進軍を開始する」
「「「はっ!」」」
結局工事が終わったのは太陽が真上に昇った頃だった。
既に突入の準備を終えて待ち構えていた各貴族家の部隊に連絡が入り、彼らは次々とダンジョンの中に進軍していった。
こうしてスタウヴェンの戦いが幕を開けたのである。
先行していた物見の兵が戻って来た。
「ヤツらはこの先の大きな通路で待ち構えています」
「そうか。大盾隊前へ! 魔法隊はその後ろに続け!」
部隊長の指示でタワーシールドと呼ばれる大型の盾を構えた部隊が前進した。
見るからに重そうな鉄の塊を掲げたまま、彼らは隊列を乱さない。
それもそのはず。彼らは騎士団の中でも選り抜きの高階位者で編成されているのである。
大盾を持って最前線を構築し、己の身を盾にして後方の仲間を守る大盾隊は、騎士団の中でも騎馬隊に次いで花形の部隊であった。
大盾の一団を発見したのだろう。迷宮騎士達が動き始めた。
「ファイヤーアロー! 始めぇ!」
魔法隊の兵士達がスクロールを広げると、彼らの目の前の空間から炎の矢が打ち出された。
スクロールは人間でも魔法が使えるようになる便利なアーティファクトだが、使いきりで一度魔法を発動させると呪文が抜けてただの紙になってしまう。
攻撃魔法の中でも一番コストの安いファイヤーアローは、一つのスクロールで複数回魔法を放つ事が出来る。
そのためこうして敵を面制圧したい場面で良く利用されていた。
大量の炎がダンジョンの壁を赤く染め、矢が乱れ飛ぶ羽音のような異音がダンジョンに響いた。
人間なら致命傷間違いなしの攻撃だったが、迷宮騎士は着弾の衝撃で立ち止まるだけで倒れた者すらいなかった。
「第二射用意! 始めぇ!」
先程と同じ炎の矢が迷宮騎士に襲い掛かる。
しかし、今回もやはり致命傷には程遠いようである。中にはミスリルの剣を振るって炎の矢をかき消す者すらいた。
「ミスリルの装備の敵がこれほど厄介とはな・・・」
部隊長は苦々しい表情を浮かべた。
ミスリルは他の金属に比べて魔法の伝達率が悪い。
これは言い換えれば敵の魔法攻撃に対して耐性を持っているという事にもなる。
軽く、強度が高く、魔法攻撃に耐性がある。
そんなミスリルの装備で身を固めた軍隊を作る事が出来れば、おそらく大陸最強の軍隊となるだろう。帝国の指揮官が一度は心に思い描く夢である。
まさかその夢がこうして悪夢となって、自分達に襲い掛かって来ようとは。
部隊長は悪い冗談に付き合わされているような気分になった。
「魔法隊下がれ! 抜剣! 敵の突撃に備えよ!」
狭いダンジョンの中では弓も槍も取り回しが悪すぎる。
魔法がダメなら次は剣での戦いとなる。
王弟軍は剣を抜いて構えた。
ドドドドドド
ガツーン!
「むおっ!」
迷宮騎士の突撃を大盾隊は良く耐えた。
しかしたった一度の突撃で大盾隊の隊列はバラバラに崩壊してしまった。
中には衝撃で腕を折ったのか、あらぬ方向に曲がった腕を抱えて跪く者もいる。
「くそっ! 化け物共め!」
仲間の負傷が彼らの血をたぎらせた。
兵士達は次々と迷宮騎士に飛びかかると剣を振り下ろしていく。
ガキーン! ガキーン!
しかしその攻撃は迷宮騎士のミスリルの装備に阻まれた。
迷宮騎士は意にも介していない様子だ。
それどころか、迷宮騎士が無造作に振るった剣で切り飛ばされる兵士が続出した。
「馬鹿な! ミスリルの装備といえど万能じゃないだろう?!」
「負傷した者は無理をせずに下がれ! 基本を忘れるな! 一体に対して複数人で当たれ! 敵を自由にさせるな!」
健闘も虚しく、みるみるうちに押し込まれる王弟軍。
前線の崩壊は、もはや時間の問題と思われた。
「部隊長!」
「分かっている! 引け! 一時後退する! 魔法隊は味方の援護! 判断は各自に任せる! 始めぇ!」
五月雨式に炎の矢が打ち出され、迷宮騎士に命中する。
味方に対する誤射を恐れたせいか、その命中精度はさっきよりも随分と劣っていたが、足止めの役には立ったようだ。
この隙に味方は前線を引き下げ、通路の奥に退却を始めた。
「いかん! 追って来るぞ! 走れ!」
「ま・・・待ってくれ足が・・・ギャアアア!」
「何?! ぐふっ」
「くそっ! 来るな!」
王弟軍の平均階位は4から5。ただし指揮官となる騎士達の中には階位6の強者もゴロゴロいる。
そんな強者揃いの精鋭達が、まるで麦の穂を刈り取るかのように蹴散らされていく。
恐ろしい悪夢に部隊長の口内はカラカラに乾いていた。
(馬鹿な! 帝国でも屈指の実力を誇るブルート閣下の部隊が手も足も出ないとは! 迷宮騎士とはどれほどの化け物なんだ!)
この戦いが始まる前。帝国王弟ブルートは指揮官達を集めてこう言った。
迷宮騎士は邪神軍の騎士団と思われる、と。
(ブルート閣下のおっしゃる通りだった! 迷宮騎士は邪神軍の精鋭に違いない! もしコイツらが兵を率いて帝都に向かったら・・・)
部隊長が考えられたのはそこまでだった。
激しい衝撃と共に胸を焼く痛みが走り、彼は意識を手放した。
最後に彼が見たのは自分の胸から生えたミスリルの剣先だった。
迷宮騎士は部隊長を貫いたままの剣を無造作に振った。その動きで完全装備の大の大人が宙を舞い、冷たいダンジョンの床に落下した。
こうして、この戦いの先陣を切った部隊はほとんどの者が帰らなかった。
次回「王弟の死」




