その10 邪神覚醒
ダンジョンの最下層。”何もない部屋”で俺が見たのは20歳前の女子の姿だった。
俺は自分の目で見ているものが信じられなかった。
この女子は原初の神の本当の姿ではない。神が俺とコミュニケーションを取るために生み出したバーチャルなキャラクター、いわばアバターなのだ。
今までずっと幼女の姿をしていたのは、神の力が人間で言えばまだこの程度しか回復していないと、俺に対して視覚的に伝えるためのものだった。
今は女子高生か、女子大生くらいの見た目になっている。つまりは、神がそれだけかつての力を取り戻している、という事実を示している。
いや、そんな事はあり得ない。
神の力とはすなわち”認知の力”だ。
ザックリ言うと、知的生物が自分を認めれば認めるほど存在が増す=力が強くなるのだ。
俺は今までお金に宿った認知の力を使って、原初の神がかつての力を取り戻す手助けをしていた。
しかし俺は忙しさにかまけて、しばらくここを訪れていなかった。
あの時より神が力を取り戻している理由がない。
「教えてくれ。お前に一体何が起こったんだ」
見た目は成長しても、神の巫女は相変わらず無表情だった。
だが、俺の言葉が呼び水になったのか、隠し切れない喜びが再びエネルギーの奔流となって荒れ狂った。
「うっ! ぐっ! があああっ!」
俺はそのエネルギーの渦――情報の波を全身に浴びた。
耐えがたい激痛の中、俺は原初の神に何が起きたのかを知った。いや、突き付けられた。
それは俺にとっては皮肉以外の何物でもない。そして原初の神にとってはまさに瓢箪から駒の偶然の出来事だったのだ。
始まりは本当にただの偶然だった。
何ヶ月か前、いつものようにぼんやりとダンジョンを感じていた原初の神は、記憶にないエネルギーを感じた。
それは極小さなエネルギーだったが、神は何となく惹かれるものを感じてそのエネルギーを回収した。
そしてそれから数日が過ぎた。
一度気が付くと、そのエネルギーは薄く弱く、いくら回収してもいつもダンジョンのどこかに存在していた。
中でも拡張されたばかりの一階層で見つかる事が多かった。
もし俺が以前のように足しげくこの部屋に通っていれば、それが迷宮騎士の騒ぎが始まった時期と一致している事に気が付いたかもしれない。
この時点では神はエネルギーの正体を知らなかった。
だが、ある程度量が増えた事で、そのエネルギーが今まで俺が運ぶお金から得ていた”認知の力”によく似ているという事が分かった。
最初に惹かれたのも当然だ。今の神の力と同種のエネルギーなのだから。
それを知ってから神は、よりどん欲にこのエネルギーを集めるようになった。
次のきっかけは二ヶ月ほど前になる。
原初の神は今日は例のエネルギーがいつもより多く手に入る事に気が付いた。
そう。俺が迷宮騎士に扮して剣鬼を殺したあの日である。
神は俺達のやり取りを知り、このエネルギーを生み出している原因が迷宮騎士にあることを知った。
より正確に言うなら、ダンジョン夫共が迷宮騎士をダンジョンの怪人としてこのダンジョンに結び付けた事で、このダンジョンそのものでもある神にも”認知の力”が集まっていたのだ。
多くの人間が迷宮騎士を強く求めれば求める程、原初の神は力を得た。
最初はダンジョン夫だけだったが、じきにより多くの者達がより大きなエネルギーをもたらした。
この町に訪れた貴族の手下の賞金稼ぎ共である。
彼らのもたらすエネルギーは大きく、原初の神はみるみる力を回復していった。
階層が増えたのは丁度この時期の事である。
原初の神は根気強くこの現象を観察し、”彼ら”と”迷宮騎士”と”認知の力”の大まかな関連性を理解した。
そんな中、原初の神は大量の”認知の力”がこの町に近付いて来るのを感じた。
ここ以降は後で知った事を交えて話す。
その大量の”認知の力”とは、帝国王弟ブルート・デル・カレンベルク率いる八千の帝国貴族軍だった。
彼らの存在を知って神は歓喜に震えた。
みるみるうちに自分の力が取り戻されていくのを感じたからである。
それはそうだろう。八千の軍が迷宮騎士を狙っている(正確には軍のお偉方は迷宮騎士の背後に潜む原初の神の力を削ぐのが狙いだったらしいのだが)のだ。
彼らからもたらされるエネルギーは莫大なものだった。
ここで原初の神は考えた。
どうにかして今より更に”認知の力”を得る事は出来まいか、と。
そこで神はこの状況を作る原因となった、とある存在を利用する事を思いついたのである。
そう、迷宮騎士である。
原初の神は取り戻した力をフルに使い、大量の迷宮騎士を生み出した。
彼らに与えられた目的は一つ。人間を殺せ。である。
ただし、この命令には条件が付けられた。
それは階位の低い者は襲わないというものだ。
階位の低い者は、階位の高い同胞が無残に殺されるのを見て迷宮騎士に畏怖を感じた。
彼らの恐怖と怖れは町の人間に伝播して、更に大量の”認知の力”を生み出した。
神の狙い通りである。
今、町の外にはダンジョンを狙う八千の帝国軍が陣を敷いている。
原初の神は彼らのほとんどを殺すつもりでいた。
生き残った兵士達は帝都に戻って迷宮騎士の恐ろしさをふれ回るだろう。
こうして帝国全土が迷宮騎士を恐れ、畏怖するようになる。
彼らは迷宮騎士の名を耳にしただけで震えあがり、迷宮騎士の名を口にしない日は無くなるだろう。
そんな自分達の行為が原初の神に更なる力を与える事になるとも知らずに。
こうして疫病のように大陸全土に恐怖が蔓延したその時、原初の神はかつての力を取り戻し、大地のくびきから解き放たれるのだ。
自由を得た原初の神は、命を持つありとあらゆる存在を許さない。
なぜならそれらは、かつて原初の神を追い落とした別の神がこの世界に残した残滓、原初の神にとっての”穢れ”だからだ。
だから虫一匹、草木一本に至るまで、生きとし生けるもの全てを滅ぼし尽くすまでその破壊は止まらない。
人類は自分達の怖れで最悪の神を蘇らせてしまうのだ。
破壊の後に残るのは完全に死に絶えた死の惑星である。
そうなって初めて原初の神は満足するのだ。
「う・・・わ・・・あ・・・あああああああああああああああ!」
俺は原初の神の歓喜の奥底に潜む、暗い復讐心に恐怖の叫びを上げた。
それはあまりにどす黒く、邪悪で禍々しかった。
呼吸をすれば肺に、触れれば皮膚から染み込んで全身を侵すその狂気に、ちっぽけな人間でしかない俺は耐える事が出来なかった。
俺は喉が裂けて血が出る程叫び、恐怖に引きつった指は無意識に顔面の皮膚をかきむしった。
呼吸を忘れた肺は酸素を求めて焼けるように痛み、大きく見開いた目からは毛細血管が破れて血が流れた。
階位46の身体能力など、神の憎悪の前には何の役にも立たなかった。
迫りくる雪崩を手を前に突き出して押し返そうとするようなものだ。
俺の精神は黒い感情の波に押し流され、もみくしゃにされ、叩きつけられ、引き裂かれた。
俺の記憶はここまでだ。
未だに死んでいないという事は、どうにかして逃げ出したのだろう。
どこをどう歩いたのかは分からない。
大勢の兵隊の死体を見たような気もするし、そうでない気もする。
もしこの時、偽迷宮騎士が俺に襲い掛かって来ていたら、俺はどうなっていただろうか。
あっさり首を落とされていた気もするし、ひょっとしたら階位46の力で無意識に返り討ちにしていたかもしれない。
だがそんな仮定に意味はない。俺は偽迷宮騎士に出会わなかったからだ。
後で知った事だが、この時たまたま偽迷宮騎士共はダンジョンにいなかったのだ。
俺は幽鬼のようにダンジョンを彷徨い続け、三日後に地上にたどり着いた。
辛うじて階位46の身体能力で体を支えていた俺は、スキル:ローグダンジョンRPGの能力で階位が1に戻った途端、気を失って倒れた。
再び俺が意識を取り戻すのはそれから更に三日後の事である。
事態は原初の神が望んだ通りに進んでいた。
そう。最悪の展開に。
次回「スタウヴェンの戦い」