その8 帝国王弟ブルート
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スタウヴェンの町に朝日が昇る。
ボスマン商会の二階の一室で仮眠を取っていたマルティンは、社員に揺り動かされて目を覚ました。
「マルティン様。朝になりました」
「・・・ああ。分かった」
昨夜はほぼ一晩中、迷宮騎士の一件の対応に追われていた。
ようやく僅かばかりの時間を見つけて仮眠に入ったのはついさっきの事である。
マルティンは愚痴をこぼしたい気持ちを堪えて、無理やり体を起こした。
これからこの帝国第二の実力者と面会しなければならない。
身だしなみを整える時間もろくに残っていないはずである。
その前に何かを口に入れておかねば、体力が持たないだろう。
「軽い食事を頼む」
しかし、結局マルティンは飲み物とフルーツをひと欠片口にしただけであった。
それ以上は胃が受け付けなかったのである。
こうしてマルティンは用意されていた献上品のミスリルの盾を持って、町の外、帝国王弟ブルート・デル・カレンベルクの天幕へと向かったのだった。
帝国の、いや、この大陸二番目の権力者でもある帝国王弟の移動ともなれば、使用人だけを連れた気ままな旅とはならない。
町の外にはまるでこれから戦場に向かうかのような大兵団が陣を敷いていた。
十重二十重にはためく旗は、それぞれが王弟ブルートの傘下にある一流貴族家のものである。
それは見る者に、王城がこの場に現れたのでは、と錯覚を起こさせる程の壮大な景色であった。
マルティンを乗せた馬車は陣地に入ると、待ち構えていた案内人に導かれて大天幕の前に進んだ。
馬車が停まると、親衛隊が一糸乱れぬ動きで槍を交差させた。
「マルティン・デ・ボスマンが到着しました!」
案内人の宣言で親衛隊は槍を引いた。
マルティンは密かに眉をひそめた。
家名の前に入る”デ”の称号は準貴族家に与えられる称号である。
もちろんボスマン商会はデの称号を持っていない。
しかし、案内人が来客の素性を間違える事などあるのだろうか?
とはいえ、この場で問いただして相手の面子を潰すのもためらわれた。
マルティンは何も聞かなかった事にして足を前に運んだ。
大天幕の中は中央に長机が置かれ、その左右に10人程の貴族が座っていた。
各自のマントの家紋を見る限り、いずれも日頃はマルティンでは面会もかなわない一流貴族を代表する者達と思われた。
そして天幕の一番奥。ひじ掛けについた手に顎を乗せた、見るものを圧倒する圧力を湛えた30代後半の目付きの鋭い男。
彼こそが帝国王弟ブルート・デル・カレンベルクであった。
「お前が帝都で噂のボスマン商会の鬼子か」
「――マルティン・ボスマンでございます」
マルティンは言葉少なく首を垂れた。
王弟ブルートは少し表情を動かした。かたわらに控えた側近が、王弟の疑問に答えた。
「まだ本人に連絡が来ていないものと思われます」
「ああ、そういえば昨日帝都に連絡したんだったな」
ブルートはそう言うとマルティンに向き直った。
「今日の献上品をもって、お前の商会に準貴族の称号を与える事にした。今頃帝都ではそのための手続きをしている事だろう」
「はっ。ありがとうございます」
これでさっき案内人がボスマン商会に”デ”の称号を付けた理由が分かった。
しかし、まさか献上品が届く前に称号の先渡しをするなんて・・・
もし献上品の準備が出来ていなかったらと思うと、マルティンは背中にイヤな汗が噴き出すのを感じた。
密かに寿命を縮めているマルティンの背後から、献上品の箱を抱えた騎士が天幕に入って来た。
おそらく外で中身の確認をしていたのだろう。
騎士はブルートの前に跪くと、「こちらが献上品となります」と箱を開いた。
その瞬間、薄暗い天幕に白い光が反射した。
「ほう・・・」
「これは――」
「まさかこれ程の盾が総ミスリルとは」
ミスリルの大盾の輝きを前に、周囲の貴族達から感嘆の声が上がった。
「見事な品だ。俺のコレクションに加えよう」
「これ以上ない喜びにございます」
箱が閉じられると大盾は恭しく献上された。
これでマルティンの仕事は終わったはずである。
――が、もちろんこれだけのために、王弟ともあろう男が一介の商会の倅に面会を許すわけはなかったのだ。
王弟ブルートは配下の貴族達を見回した。
「お前達。後は任せた」
「「「「「はっ!」」」」」
意味が分からず、マルティンは思わず彼らに振り返った。
ブルートはマルティンの疑問に答えた。
「お前はこやつらに協力せよ。狙いは迷宮騎士の首だ」
マルティンは頭を殴られたような衝撃を受けた。
確かに今回、王弟ブルートが王都からこんな地方都市に出向いた理由は謎であった。
現在スタウヴェンの町には、迷宮騎士を屠った英雄という名誉と、その名声に付随する金を求めて、貴族が差し向けた数多くの騎士や剣士が訪れている。
しかし、よもや王弟ともあろう者が、そんな賞金稼ぎのようなまねをするとは思わなかったのだ。
マルティンの考えが顔に出ていたのだろう。
ブルートは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「何を考えているのか想像は付くが、俺は迷宮騎士などに興味はないぞ」
「あの、でしたらなぜ?」
不敬も忘れて、思わずマルティンは問いかけた。
「――ふむ。お前はダンジョンというのがどういう物か知っているか?」
急に話が予想外の方向に向いた事で、マルティンは一瞬戸惑った。
しかしブルートは別に論点をずらしている訳では無い。
これは彼の目的を語る上で必要な質問だった。
その証拠に周囲の貴族達から、「たかが商人に本当にそれを話すのか?」といったどよめきが上がった。
マルティンは自分のスキル:交渉術が働き始めたのを感じながら、慎重に言葉を返した。
「無尽蔵にモンスターが生まれ、資材や剣などの完成品がどこからともなく発生する不思議な洞窟。アーティファクトと呼ばれる一部の品々は我々では再現できない高度な技術で作られていて、誰がどうやって作ったのかは謎でございます。一説には古代に滅びた高度な文明の遺産ではないかと言われているとか」
「過去の文明か」
ブルートは、ハンッと鼻を鳴らした。
「あれがそんな可愛いものか。ダンジョンを作っているのは邪神だ。いや、ダンジョンの正体こそが邪神フォスなのだ」
邪神フォス。
その名に大天幕の中の気温が1~2度下がったような気がした。
マルティンはそんな邪神の名前は聞いた事が無かった。
ただ、以前ハルトがこの世界の事を、異世界フォスと言っていた覚えがある。
邪神フォスと異世界フォス。
その時は特に疑問も感じずに聞き流したのだが、ひょっとしてハルトは何か知っていたのだろうか?
「人類の成り立ちの話は知っているだろう」
「・・・はい」
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この世界には大昔一柱の神がいました。
神は何も生み出さず、ただそこに佇んでいるだけの石のような存在でした。
そこに海を渡って第二の神々がやってきました。
第二の神々はこの世界に大地を作り出すとその下に最初の神を閉じ込めてしまいました。
さらに第二の神々はこの世界に太陽と月を作ります。これがこの世界の一日の始まりです。
次に第三の神々がやってきます。第三の神々に敗れた第二の神々は海の彼方へと去っていきます。
第三の神々はこの世界に草木を生やすと、次に動物を創り大地に解き放ちます。
やがて世界が我々の良く知る世界へ姿を変えると、第三の神々は自分達の元いた世界から我々の祖先を連れて来ます。
第三の神々は我々の祖先にこの地を支配するように告げると、自らは元いた世界へと帰って行きました。
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この世界に住む者なら子供でも知っている神話である。
マルティンも幼い頃に母親から聞かされて育った。
――かつて神が大地に封印した原初の神――
大昔にこの世界に一柱だけ存在していたという第一の神。
そして神話では、第二の神々が大地の下に最初の神を閉じ込めた、とも言っている。
まさか、邪神とは、そしてダンジョンとは――
ブルートは小さく頷いた。
「そう。その第一の神こそがかつて大地に封印された原初の邪神。ダンジョンはその邪神の穢れた体内そのものなのだ。我々は邪神の口から手を入れて腹の中の物を盗んでいるのだよ」
ブルートの言葉に、マルティンは常識という名の足元の大地が音を立てて崩れていくのを感じた。
次回「最下層到着」




