その6 焦りと不安
「迷宮騎士の装備は低品質のミスリル装備。人数は良く分からなかったわ。本当は登って来たという縦穴にも行ってみたかったんだけど、流石にそっちには数が多かったので諦めたの」
フロリーナの話は終わった。
俺は驚きのあまり声も出せなかった。
この女、なんて無茶をするんだ。
もしフロリーナの話を信じるなら、偽迷宮騎士は階位10相当。
階位2か3のフロリーナなどひとたまりもない。
もしも目を付けられれば、抵抗するどころか逃げる事すら不可能だ。
俺と同じことを思ったのだろう。フロリーナの使用人のベスパが血相を変えて主に詰め寄った。
「お嬢様! いくらお仕事とはいえ、女性の身でそんな危険な場所に行くなんて! もし何かあったらどうするんですか!」
「大丈夫よ。私には便利なスキルがあるんだから。危険な目になんて会うわけないの。あなたも知っているでしょ?」
フロリーナはベスパの手から夕食のスープを受け取ると、涼しい顔で受け流した。
彼女はスキル:観察眼を持っている。
確かに、危険を察知するにはこれ以上ないスキルなんだろうが、だからといって自分から危険に近付く神経は理解出来ない。
分かっていても避けようのない危険だってあるだろうに。
使用人の諫言などどこ吹く風。
何食わぬ顔でスープを口にしたフロリーナだったが、スプーンを咥えたまま眉間に皺を寄せた。
「あら。ハルトの作ったスープじゃないのね」
「今日は私がお作り致しました」
フロリーナはつまらなさそうに次のスープを口に運んだ。
彼女の様子にティルシア達が訳知り顔で頷いている。
俺は家庭料理らしい素朴さでこれはこれで良いと思ったスープだが、彼女達にとってはそうでもなかったらしい。
どうやらすっかり「スープといえば俺が作るスープ」という感覚らしく、期待した味と実際の味とのギャップにガッカリしたようだ。
せっかくベスパが作ってくれたのに失礼なヤツらだな。
しかし、偽迷宮騎士の騒動は俺達が考えていたより大事だったらしい。
一体何がダンジョンに起こっているんだ・・・
俺は言い知れぬ不安に考えに沈み込んでいった。
そんな俺をフロリーナが興味深く見てる事に気づいてはいたが、今の俺はそれを気にする余裕を失くしていた。
俺は部屋を出た所でティルシア達を呼び止めた。
「これからダンジョンの様子を見に行って来ようと思う」
多分こういう話になると思っていたのだろう。二人の顔に驚きは無かった。
「そうか。私達はどうする?」
「それなんだが、一緒にボスマン商会へ行ってくれないか。俺は例の鍵を使ってそこからダンジョンに入る。お前達はそのままボスマン商会で待機しておいてもらいたい。あそこには今後次々と最新情報が集まって来るはずだからな」
「なるほど。アタシとティルシア姉さんは情報収集に当たるって訳だね」
そういう事だ。
昼間、俺達が行った時には四方山話の扱いだったが、これ程の騒ぎになっているんだ。今ではマルティンも情報を集めているだろう。
この町の代官すら顎で使えるマルティンだ。そんなヤツの所にはどこよりも早く大量に最新情報が集まって来るに違いない。
ティルシアはうんうんと頷いた。
彼女の頭の動きに合わせて頭のウサギ耳が大きく揺れる。
「確かに。それにフロリーナの話を信じるなら、迷宮騎士の相手が出来るのはハルトだけだ。私達ではハルトの足を引っ張るだけだろう」
相変わらずティルシアの俺に対する信頼感はどうなんだろうな。
まあ偽迷宮騎士が階位10相当だと言うのなら、40階層以降のモンスターに比べれば何の問題も無い訳なんだが。
ティルシアは俺が偽迷宮騎士の問題を調べに行くと思っている。
確かに偽迷宮騎士は気にはなる。
だが、俺が本当に気になるのは偽迷宮騎士じゃない。偽迷宮騎士を生んだと思われる存在だ。
そう、ダンジョンの最下層、50階層にいる原初の神。
この騒動の背後には原初の神が関わっているのは間違いない。
ダンジョンは原初の神の管理下におかれている。
そのダンジョンでかつてない異変が起こっている以上、原初の神に何かあったと考えるのが妥当だろう。
原初の神に何があったか。
まさか俺以外の誰かが神に接触したのだろうか?
現在、ダンジョンの中には帝都から来た腕自慢の猛者共がウロウロしている。
その多くは迷宮騎士目当てに主に上層を嗅ぎまわっているが、中にはダンジョン最下層を目指したヤツがいたのかもしれない。
俺はかつてシュミーデルの町で出会った、クラン荒野の風のケヴィンを思い出した。
ヤツはダンジョンの最下層を踏破した事で『原初の神の一部』に触れ、ダンジョンマスターを自称するに至った。
ケヴィンは手に入れた知識でダンジョンの機能を使い、自分の娘のゴーレムすら生み出していた。
この町のダンジョンの最下層にいるのは『原初の神の一部』ではなく『原初の神そのもの』なので、同じことが出来る者がいるとは俺にはちょっと考え辛い。
だが、この世界にはスキルというものがある。
ひょっとしたら俺の知らないぶっ壊れスキルが存在する可能性は否定できない。
そして誰かがそのスキルで、ダンジョンを自分の意のままにコントロールしているとしたら・・・
(ここのところ忙しさにかまけて様子を見に行かなかったのは失敗だった)
俺は後悔と焦りに臍を噛んだ。
だがこうして考え込んでいても仕方が無い。
俺は原初の神の様子を見に行く事に決めた。
「少し――いや、あっちの様子次第では明日いっぱいかかるかもしれない。明後日には戻ると思うので、その時までよろしく頼む」
「分かった」「任せて」
俺は部屋で装備を整えると二人と合流。ベスパに「ちょっとマルティンからさっきの話を聞いて来る」と言い残して家を出るのだった。
ボスマン商会で二人と別れた俺は、早速例の黒い鍵でダンジョンに入った。
偽迷宮騎士が出て来たという縦穴は、デ・ベール商会のトンネル工事現場のすぐ近く、町の郊外だと聞いている。
そのせいだろうか。俺はすっかり油断していたのだ。
「なっ?!」
ダンジョンに入った途端、俺はミスリルの装備の怪人と鉢合わせしてしまった。
偽迷宮騎士だ。
その圧倒的な存在感に、俺は痺れたように動けなくなってしまった。
フロリーナの話を信じるなら偽迷宮騎士は階位10相当の力を持っている。
いくら俺がスキル:ローグダンジョンRPGを持っているとはいえ、今はまだダンジョンに入ったばかり――階位1のクソザコだ。
これ以上ない最悪のタイミングだ。
偽迷宮騎士は立ち止まってじっと俺の方を見ている。
俺の背中にイヤな汗が噴き出した。
逃げなければ。そう思うのだが、足は地面に根を下ろしたかのように動かない。
偽迷宮騎士の装備がダンジョンの明かりを反射して白く光る。
ミスリル特有の輝きだ。
こんな時に思う事ではないが、俺は「確かに俺が扮した迷宮騎士より、純度の劣るミスリルの装備のようだ」などと考えていた。
それなりの数を揃えるとなると、一人当たりの質を落とすしかなかったのかもしれない。
長い時間が過ぎた――ように感じられたが、実際はほんの数秒に過ぎなかったのかもしれない。
偽迷宮騎士は俺から目を反らすと、何事も無かったかのように通路の先に去って行ってしまった。
俺はヤツの姿が完全に消えてからようやく大きく息をはいた。
どうやらあまりの恐怖と緊張に、俺は息をするのも忘れていたようだ。
今のはヤバかった。完全に殺されたと思った。
しかし、なぜ偽迷宮騎士は襲い掛かって来なかったのだろうか?
こっちをじっと見ていた以上、俺の存在に気付いていたのは間違いない。
ならば見逃した理由が分からない。
・・・ダメだ。情報が少なすぎる。
今は考えた所で意味が無い。
何にしろ、さっきのような幸運が続くとは思えない。
今後はより慎重に行動するべきだろう。
俺はボスマン商会で用意してもらった、保存食がたっぷり詰め込まれたカバンを背負い直すと、かつてないほど厄介で危険な調査へとおもむくのだった。
次回「予想外の光景」
 




