その4 女使用人ベスパ
ドアに鍵はかかっていなかった。あの女は家にいるようだ。
俺は小さく気合を入れるとドアを開けた。そんな俺の様子をマルティンが不思議そうに見ているが無視。
「今戻った」
ドアを開け放つと俺は大きな声で言った。
すぐに家の奥から使用人の女がやって来た。
「お帰りなさいませ。おや、お客様ですか? あら、これはボスマン様」
「やあベスパ。久しぶり」
女の挨拶にマルティンが愛想笑いを浮かべた。
女は四十歳前後。名前はベスパ。夫には戦で先立たれているため今は独り暮らしだ。
息子と娘は独り立ちして別の町で暮らしているらしい。
俺が雇ったこの家の使用人――ではない。
「すみません。お嬢様はダンジョンに出かけていまして」
そう。コイツはフロリーナの使用人なのだ。
貴族の家では戦で夫を亡くした未亡人に再婚先を紹介したり、食うに困らないように仕事を斡旋したりするそうだ。
それでこそ男達も安心して戦場に向かう事が出来るのだろう。
ただし今の話は貴族と貴族につながりのある富裕層に限る。
徴兵された農村の男達にはそんな制度は無いので、村の未亡人は村の責任で面倒を見るしかないのだ。
ベスパは再婚するにはこの世界では歳を取り過ぎの部類だし、本人もそれを望まなかったために、フロリーナの実家で使用人として働く事になったそうだ。
元々若い頃は屋敷の使用人だったため、元の職場に出戻りしたという事になる。
フロリーナが家を出る事になった時、彼女の世話役として母親がつけてくれたんだそうだ。
前々から、貴族のフロリーナは町でどうやって生活しているんだろう、と疑問に思っていたが、ちゃんと世話をしてくれる使用人がいたんだな。
「お嬢様方のお着替えはいかが致しましょうか?」
「着替えはいいから、後で体を拭くための湯を用意して欲しい」
「あの、アタシも」
「かしこまりました」
ベスパは俺の方へと目を向けた。
「・・・必要になったらその時に言う」
「さようでございますか。それではお茶のご用意をしてまいります」
ベスパが去ると俺は小さなため息をこぼした。
「彼女は気が利いて良い使用人だと聞いているけど?」
「まあそうなんだが・・・ あれこれ世話を焼かれるのに慣れていなくてな」
ベスパは俺達ダンジョン夫相手でも分け隔てなく相手をするし、気も利く。
何よりもティルシア達獣人に対して妙な偏見を持っていないのがありがたい。
しかし、この世界に来てから10年。俺は孤児院で年下の世話を焼いた事はあっても、誰かの世話になった事など一度も無い。
だからこうして他人に世話を焼かれると、身の置き場がなくて背中がむず痒くなるのだ。
ベスパがお茶の準備をしている間にこちらの用事を済ませておこう。
俺はマルティンを伴うと家の倉庫(にしている部屋)へと向かった。
鍵を開けて中に入ると、倉庫の中はすっかりガランとしている。
ほとんどの装備をマルティンに卸してしまったからだ。
「これは・・・プラス武器だね。こっちもそうか。いや、迷うなあ」
僅かに残された装備はティルシアの眼鏡にかなった物だけあって、どれも中々の逸品揃いのようだ。
マルティンは、ああでもない、こうでもないと、ブツブツ呟きながら装備を弄り回している。
俺はそんなマルティンを横目に、「せっかく部屋が片付いたんだから、この機会に掃除をするのもいいな」などと考えていた。
「決めた! この大盾を貰うよ」
「武器じゃなくてもいいのか?」
「それもいいけど、総ミスリルでこれ程の大きさの盾は珍しいからね。実用性はともかく今回は珍しさ重視でいこうと思う」
献上品は目立ってなんぼの所もあるし。とマルティンは盾を撫でた。
当たり前だが、実用性を考えるなら大型の盾は重くなる。金属製ならなおさらだ。
そう考えると、鉄よりも軽くて硬いミスリルで出来た盾は実用性も十分なのではないだろうか?
まあ、王家の人間が盾を使う事なんて無いとは思うが。
「値段はそうだね・・・ 一般的なミスリル製の盾がこのくらいだから、ざっと二倍って所かな?」
「いえ、このミスリルの純度ならその倍はするかと」
「うっ・・・確かに。閣下に献上する品をケチるのも体裁が悪いし。よし、じゃあこれくらいで」
マルティンはティルシアと値段交渉を始めた。
俺は門外漢なので、元傭兵で今はボスマン商会の護衛任務を務めているティルシアの装備に関する知識にはかなり助けられている。
隣で聞いているシャルロッテはどこか遠い目をしている。
彼女にとって二人の語る金額はインフレ過ぎて付いて行けないようだ。
「おい、ハルト。ちゃんと聞いているのか?」
「あ、ああ、済まない。ティルシアがその値段でいいなら俺に文句は無い」
俺の気の無い返事がティルシアには不満だったようだ。
ティルシアはちょっと口をへの字に曲げたが、すぐにマルティンに振り返ると「では馬車まで運びます」と盾を受け取った。
大盾は小柄なティルシアの体をすっぽりと覆い隠すほどだったが、階位5の身体能力は伊達じゃない。
ティルシアは難なく持ち上げるとそのまま部屋を出て行った。
「じゃあこれで。急いで贈答用の化粧箱を用意しないと」
マルティンはせわしなく立ち上がった。
俺はマルティンを馬車まで見送ると、金の入った袋を抱えたティルシアと共に家に戻るのだった。
夕食は豆の塩スープだった。
作ったのはベスパだ。この世界では割とメジャーな料理で、彼女も母親から教わったらしい。
特に美味いわけでもなく調理も雑なのだが、何となく悪くは無い。
何というか、いかにも「家庭料理」といった感じが、どことなくこの料理にマッチしている。
ティルシア達もそう思っているのか、黙って大人しく口に運んでいる。
玄関が大きな音を立てて開いたのはその時だった。
「ああ疲れた。まさかあんなことになってるなんて、一体この町はどうなっちゃうのかしらね」
女の声で大きな独り言が聞こえる。
リビングに近付いて来る声に、俺は口の中の豆がえぐみを増したような気がした。
俺はあのうるさい女を少々苦手にしているからだ。
「あら、もう食事の時間だったのね。ベスパ、私の分もお願いね」
「お嬢様。食卓につかれる前にお着替えをなさって下さい。その恰好では料理に埃が入ります」
部屋に入って来たのは赤毛のストレートヘアをワンレングスに切り揃えた年頃の女――フロリーナだった。
ベスパの注意は最もだ。日本と違って、この世界は舗装路が少なく土がむき出しなせいか、風で乾いた土が舞って埃っぽい。
外から家に帰った時など、マントをはたくと盛大に砂がこぼれる程だ。
フロリーナは気にせず座ると自分でカップに水を注いで一気に飲んだ。
「それより貴方達聞いている? ダンジョンに迷宮騎士が出たのよ」
フロリーナの言葉に俺達の食事の手が止まった。
彼女は気した様子もなく話を続けた。
「それも数えきれないほどの数が! この目で見たけど、今でも信じられないわ。この町のダンジョンに何が起こっているのかしらね?」
◇◇◇◇◇◇◇◇
フロリーナは『ダンジョン研究員』を自称している。
一応所属はボスマン商会となるのだが、客分扱いで好き勝手している印象だ。
なぜこんな自由が許されているのかと言えば、この女の父親がこの辺りを治める領主、ケーテル男爵だからだ。
とはいえマルティンが言うには「あれで意外と彼女は優秀な調査員なんだよ」との事だ。
こんなぼんやりした女のどこが調査員として優秀なのかと言えば、それは彼女の持つスキルによるものだ。
フロリーナのスキルは『観察眼』。
マルティンの『鑑定』と似たスキルだが、マルティンの『鑑定』は個別な物に対しては有用だが、ダンジョンのような大きな範囲をまとめて『鑑定』する事は出来ない。
その点フロリーナの『観察眼』はそういった全体像を捉える事に向いている。らしい。
剣鬼の一件でフロリーナを自由にしておくことの危険性を思い知らされた俺は、彼女に部屋を貸して目の届く所に置いておく事にした。
貴族の娘で、お喋りで、おまけに『観察眼』持ちという、俺の苦手要素を集めたような女だが、意外な事にティルシア達はすんなりと彼女を受け入れた。
おかげで俺だけが除け者のような気分になって、なおのこと彼女が苦手になっているのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
昼間、部屋でゴロゴロしていたフロリーナの所に、ボスマン商会から連絡員がやって来た。
ボスマン商会に雇われてデ・ベール商会のトンネル工事に参加していた者から気になる報告を受けたので、彼女に調べて来て欲しい、といった内容だった。
「ダンジョンに迷宮騎士が出たというのです」
連絡員の言葉にフロリーナは色めきだったが、報告者から連絡員に話が伝わって、更にフロリーナに伝わっている時点で随分前の話になる。
今からダンジョンに出かけた所で迷宮騎士の姿は影も形もないと思われた。
「それが、彼が言うには迷宮騎士は一体だけでは無かったそうなのです」
「どういう事かしら?」
報告によると、迷宮騎士はダンジョンに開いた大きな縦穴から次々と登って来ていたのだそうだ。
その数は数えきれない程だったと言う。
「数えきれないって・・・ それは流石に眉唾なんじゃないかしら」
「私もそう思いますが、本人は、自分の目で見たし仲間も一緒に見ているから絶対に見間違いじゃない、と言い張っていまして」
男の話に興味が湧いたフロリーナは、取る物も取り敢えず、大急ぎでダンジョンに向かう事にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
フロリーナはここで俺達を見回して言った。
「ダンジョンの外はまるで戦場みたいだったわ」
次回「惨劇の始まり」




