その3 逢魔が時
マルティンの口から出た名前は驚く程の大物だった。
「そのお方は帝国王弟ブルート様。いずれは兄王の後を継いで皇帝陛下になると周囲に目されているお方さ」
「なっ?! 帝国王弟だって?!」
ブルート・デル・カレンベルク。
このカレンベルク帝国の皇帝の弟であり、次期皇帝と目されている人物――らしい。
この辺の詳しい事情は俺にはさっぱりだ。
俺達地方都市の平民にとっては皇帝なんぞは雲上人だし、そもそも俺はこの異世界フォスの貴族には全く興味がない。
貴族や皇帝の名前を知ったところで腹の足しにもなりはしないしな。
俺にとってはそんなものより、ダンジョンで稼ぐために必要な素材やそれらが採れる場所を覚える方が重要だったのだ。
「王弟って、帝位を継ぐのは皇帝の息子なんじゃないのか?」
「う~ん、この辺はちょっとややこしいけど、聞く?」
「・・・最低限の説明で頼む」
マルティンの説明によると、どうやらこの国ではいわゆる王位継承権というものが存在しないらしい。
とはいえ流石に王家以外の臣下がその座につくのは簒奪となる。
つまりはその時一番力を持つ王族が帝位を継いで皇帝になるというわけだ。
今回の場合、次の皇帝と目されているのは、現在の皇帝の次に権力を持っている王族――皇帝の弟になるのだそうだ。
「そんな訳だから皇帝が崩御した後は、毎回玉座を巡る熾烈な争いがあるみたいだね」
「迷惑な話だな」
周囲にとっては迷惑な話でも、強力な帝国を率いるためには、やはりそれ相応の力を内外に示す必要があるのだろう。
実力の伴わない継承権だけで皇帝になったようなボンボンでは、周辺諸国に食い物にされるだけなのかもしれない。
「話は分かった。確かに次期皇帝にそこらの数打ちの剣を渡す訳にもいかないだろうな」
「・・・そんなのを持って来るつもりだったのかい?」
マルティンはジト目で俺を睨んでいるが、今のはものの例えに決まっている。
幸い、現在倉庫に残っているのは、装備に関しては俺よりも目利きのティルシアが選んだ装備だ。
それなりの逸品であるのは間違いないだろう。
「どうする? 数は少ないし俺達が持って来ようか?」
「いや、今から馬車を出すよ。直ぐにでも観に行きたいからね」
お前が直接来るのか?
いや、まあそうかもしれない。
流石にこの国第二の権力者に、むき出しの装備を渡す訳にはいかないのだろう。
つまりは贈答用の箱なりなんなりと、それ相応の形式を整えなければならないというわけだ。
「そういうこと。職人に急ぎで作らせないとね」
また余分な出費が。とマルティンはため息をついた。
こんなに儲けているのにけち臭いヤツだ。
今だって一階の店には客が通りに溢れんばかりに詰めかけているだろうに。
「まあそうなんだけど、それでもこの店が軌道に乗るにはまだしばらくはかかりそうかな」
商売の事は分からないが、客が大勢来れば即、儲かってウハウハというわけにもいかないらしい。
マルティンは今はまだ投資の時期と考えているようだ。
そういう意味ではこの店は全然まだまだ。
マルティンの手を離れて、ようやく順調に回り出したと言えるのかもしれない
「それよりも急ごう。おい! 誰か馬車を用意してくれ!」
しばらくするとさっきの部下が部屋に入って来て、馬車の準備が整ったと告げた。
こうして俺達はマルティンの馬車で家に戻る事になったのだった。
マルティンの馬車は以前、俺達がシュミーデルの町に向かった時に乗ったのと同じ馬車だった。
いや、似ているだけで微妙に違うのか? 馬車なんて乗りなれていないので良く分からないな。
俺がその話をすると、マルティンは面白そうな表情を浮かべた。
「これもウチで作らせている馬車だからね。同じと言って間違いないよ」
どうやらこの馬車にもマルティンの入れ知恵が生かされているらしい。
「この世界の馬車は全て職人一人一人の手作りだからね。そのやり方を否定するわけじゃないけど、それだとどうしても品質にバラツキが出るだろう? ウチは商会であって美術商じゃないからね。欲しいのはその手の一品ものじゃなくてあくまでも商品だから」
どうやらこの世界では、職人が一台の馬車を最初から完成するまで作るらしい。
せいぜい家族が作業に関わるくらい。いわゆる一人親方というヤツだ。
当然完成するまでは付きっきり。その職人がケガや病気になればそこで作業はストップしてしまう。
それでは生産も安定しないし、職人の腕の差によって馬車の出来や作りにバラツキが出てしまう。
そのため『馬車鑑定士』なる目利きも存在するようだ。
マルティンはそういった職人から技術的なノウハウを買い取って、作業工程を分割。
それぞれを別々の職人に割り振る事で品質の均一化を図ったのだそうだ。
「要はト〇タ自動車みたいなものだよ。部品は市内の関連する町工場に発注して、本社では主に設計と組み立てをやるってアレ。僕の場合は組み立ても職人にやってもらって販売だけしてるんだけどさ。これはそうして完成した量産向けの馬車って事」
今回は馬車の話だが、マルティンは他にも数多くの生産・流通における改革を起こしている。
こうやってマルティンは元の世界の――日本人であった頃の知識を、積極的に今の商売に生かして来た。
いわゆる『知識チート』というヤツだ。
ちなみに俺は全くそういう事をするつもりはない。
せいぜい料理に生かすくらいだ。なにせこの世界の料理はマズメシだからな。
「量産と言えば、ちょっと気になる報告があったんだけど――」
マルティンは眉をひそめた。
「デ・ベール商会のトンネル作業員が、ダンジョンで迷宮騎士の集団に出会ったらしいんだ」
俺達がダンジョン協会で聞いたあの話か。
確かあの男は、数えきれないほどの迷宮騎士が穴から這い上がって来た、とか言っていたが・・・
ティルシアは聞かされていなかったのだろう。彼女の頭のウサギ耳がピクリと動いた。
「その話なら俺もダンジョン協会で聞いたな。ガセだと思ってあまり詳しくは聞いていなかったが」
「やっぱりハルトもそう思った? いくらなんでもちょっと信憑性に欠けるよね」
マルティンはそう言ったものの、疑いを完全には捨てられないようだ。
この国の人間にとって、ダンジョンは便利な存在の反面、その原理に関しては完全なブラックボックス。全く解明されていない未知の領域だ。
そんなあやふやな存在に資源や経済を依存している不安定さ。
自分が立っているのが何の上なのか分からない。そんな不安。
ひょっとしたら自分達が踏みしめているのは安全な大地などではなく、湖に張った氷なのかもしれない。
ある晴れた暖かい日。薄くなった氷は割れ、上に乗った人間全てを冷たく凍てつく水の中に飲み込んでしまうのではないだろうか。
そんな得体の知れない恐怖を、ダンジョンに感じているのかもしれない。
あるいは彼らは、魂の奥底に刻まれた根源的な何かで知っているのかもしれない。
自分達が余所者で、この世界の本当の主はダンジョンの奥底で力を蓄えている事を。
今はまだそれは本来の力を取り戻してはいない。
しかし、ひとたび力を得て大地を割って現れれば、その瞬間こそがこの世界の人間にとって最悪の始まりとなる事を。
俺は日本に戻りたいという望みのために、そんな存在の復活に力を貸し続けて来た。
反省しているわけでも後悔しているわけでもない。
もう一度同じ機会があれば、やはり俺は同じことをしただろう。
だが、今の俺はかつての俺ほどは自分の行動を割り切る事が出来なかった。
俺達はどちらからともなく口を閉ざした。
マルティンは不安とも呼べない曖昧な予感のために。
そして俺は自分のやって来た行為に対する、得も言われぬ感情のために。
やがて馬車が家に到着して、俺達は言葉も無く馬車を下りた。
いつの間にか外はすっかり夕焼けに染まり、薄暗くなっていた。
昔はこういう時間帯の事を『逢魔が時』と言ったらしい。
これから日が落ち、世界が闇に包まれる、光を失い衰退の始まる時間。
魑魅魍魎が蠢き始める不安と恐れの時間。
さっきあんな話をしたからだろうか。
俺は何となくこの景色が、今後この町を襲う運命を暗示しているように感じてならなかった。
次回「女使用人ベスパ」