プロローグ ダンジョンの穴より出づる者達
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男達はツルハシを振るい、穴の中を下へ下へと岩盤を掘り進めていた。
直径10m程の穴の中は作業中の男達の人いきれでムッとしている。
彼らによって掘り出された土は中央の籠に集められ、滑車を使って地上へ運ばれていく。
彼らの目的地はダンジョン。
ここはデ・ベール商会によるダンジョン掘削現場であった。
長く中止されていた工事が再開されたのは、つい先日の事である。
ここまで再開が遅れたのは、町の住人による工事反対の声が大きかったためである。
突然ダンジョンの階層が広がった事による住民感情の悪化は、デ・ベール商会の予想を遥かに上回っていた。
少し前ならば考えられない事態である。
なぜならこのスタウヴェンの町に住む者は、長きに渡ってデ・ベール商会の顔色を窺って生活を送るのが当たり前となっていたからである。
時代の変化は当事者達が気付かないうちにひっそりと忍び寄る。
あるいは、デ・ベール商会の長年に渡る支配の終焉が近付いているのかもしれない。
しかしデ・ベール商会の若き会長レオボルトは諦めていなかった。
いや、町の支配者の一族として生まれ、挫折を知らずに育った彼は、商会の威光に陰りが見えている事に気が付かなかったのだ。
そんな中、ついに先日、ボスマン商会の支店が開店した。
代表はボスマン商会躍進の立役者、次期商会長マルティン・ボスマン。
この点だけでも、ボスマン商会がどれほど本気でデ・ベール商会を潰しにかかっているかが分かるというものだ。
これを受けて、レオボルトは強引にトンネル工事を再開した。
トンネルさえ開通すれば、中層の素材を自分達で独占、ボスマン商会を圧迫する事が出来る。
逆に言えば、このチャンスを逃せば、資本力に劣るデ・ベール商会は今後じりじりと追い詰められる事になる。
今やこの工事は、デ・ベール商会の浮沈をかけた、決して失敗の許されない事業と化していた。
こうして、再開されたばかりの工事は、急ピッチで進められていた。
そして正に今、彼らの堀ったトンネルはダンジョンの天井に達しようとしていた。
そこに待ち受けているのは人類の終末である事を、この世界の者達は誰も知らない。
作業員の振るったピッケルが抵抗なく岩盤に吸い込まれた。
ぽっかりと開いた穴に男は驚いて目を見張った。
「待て! みんな待て! この下に空洞がある!」
男の声に作業員達が一斉に作業の手を止めた。
「ダンジョンまで通じたのかもしれない!」
彼らの間に緊張が走った。
男は慎重に穴を広げた。あまり急に広げると崩落してしまうかもしれない。
作業員達は男の周囲に集まって穴を覗き込んだ。
最初は真っ暗な穴だったが、広がるにつれて奥に淡い光が見えて来た。
「光だ! 間違いない! ダンジョンに通じたんだ!」
喜びに沸く男達。
しかしその直後、突然足元が大きく崩れ始めると、彼らは大量の土砂と共にダンジョンの中へと転落してしまうのだった。
「みんな無事か?!」
「痛てて・・・ 足をくじいたみたいだ」
「あの高さから落ちたんだ。命があっただけラッキーだったぜ」
あちこちで作業員達が立ち上がる気配がした。
どうやら大量の土砂がクッションの役割を果たしたらしく、ケガを負った者はいても、動けない程の重傷の者や命を落とした者はいないようだ。
壁が薄っすらと光っている事からも、ここがダンジョンの中なのは間違いない。
頭上を見上げると大きな穴が開いていて、遥か上空に小さく青空が見えた。
上の作業現場ではまだ彼らが落ちた事に気が付いていないのかもしれない。
作業員が一人、穴の上を見上げて声を張り上げた。
「おおい! 誰かいないかー!」
「馬鹿! よせ! ここはダンジョンだぞ!」
迂闊な男を別の仲間が慌てて止めた。
「モンスターを呼び寄せてどうする! 俺達は武器も持っていないんだぞ!」
「あっ・・・ そうか。す、すまん」
ダンジョンの中のモンスターは人間を見つけると問答無用で襲い掛かって来る。
中でも一階層に生息する乱暴猿は、その攻撃性の高さから駆け出しダンジョン夫の最初の壁と言われるモンスターである。
彼らの階位ではこの人数でも犠牲者を出しかねない厄介な相手と言えた。
「ダンジョンの一階層か。確かに、スライムならともかく乱暴猿が出たら危ないな」
「ああ。ヤツらがさっきの声を聞きつけて集まって来る前にこの場を移動しようぜ」
その時、一人の作業員が仲間達を呼び止めた。
「おい、ちょっとこっちに来てくれ。ダンジョンの床が崩落しているんだ」
「なんだって?」
男の言葉に全員が近寄る。確かに男の足元には大きな穴が開いていた。
薄暗くて今まで気が付かなかったのだ。
穴の先は真っ暗で何も見えない。遥か下の階層まで繋がっているようだ。
「元々あった穴なんじゃないか?」
「いや、それはおかしい。俺はダンジョンの地図を見ているが、工事予定地の下にはこんな穴はなかったはずだ」
このトンネル工事はこの一階層からさらに掘り下げて、ダンジョンの中層までぶち抜く予定である。
近くに下の階層まで通じている穴があるなら、最初から工事予定に組み込まれているはずだろう。
「さっきの衝撃で崩れたんだろうか?」
「この穴、どこまで繋がっているんだ?」
一人が足元の小石を拾って穴の中に放り投げた。
すぐに石は穴の奥に見えなくなり、いつまでたっても何の音も聞こえなかった。
「深いな。二階層よりもずっと下まで続いているんじゃないか?」
「待て、穴の奥で何かが光ったぞ」
男達が固唾をのんで見守る中、穴からガチャリガチャリと金属がこすれる音が響いて来た。
「あれは・・・ 人間? ダンジョン夫か?」
やがて姿を現したのは、穴の壁をよじ登って来る全身銀色の装備の人間だった。
装備は隙間なく全身を覆い隠し、年齢どころか性別すら判別出来ない。
「おい、あんた大丈夫か? 崩落に巻き込まれたのか?」
心配して声をかけた男を別の男が止めた。
「あの装備、ミスリル製だ! あれは迷宮騎士かもしれない!」
迷宮騎士―― それはこのダンジョンの一階層で目撃された怪人だ。
この町の人間で、”剣鬼”クラーセンを迷宮騎士が撲殺した話を知らない者はいない。
二ヶ月ほど前の話だ。ダンジョンの階層の拡大を調べるために、国からダンジョン調査隊がやって来た。
彼らを率いていたのが剣鬼クラーセンだった。
実際の調査隊の代表はマルハレータ――ロスバルデン伯爵の娘でクラーセンの弟子の少女だったのだが、町の人間の認識では調査隊のリーダーはあくまでもクラーセンだった。
それほどクラーセンの名は帝国中、いや、大陸中に響き渡っていたのだ。
世情に疎いハルトがその名を知っていた事からも、どれほどのものか分かるというものだろう。
迷宮騎士はクラーセンと戦い、クラーセンの頭部を原型を留めないミンチにした後、ダンジョンの奥へと戻って行った。
ダンジョン調査隊以外に何人もの町のダンジョン夫達が直接現場を見ていたので間違いない。
迷宮騎士
その名はこのスタウヴェンの町のみならず、今や帝国中で恐怖の象徴となっていた。
「間違いない! あの輝きはミスリル製の装備だ! アイツは迷宮騎士だ!」
「ま、マジかよ・・・」
迷宮騎士と思われる怪人はダンジョンの壁をよじ登って来る。
彼らはまるで蛇に睨まれた蛙のように、恐ろしい化け物が近付いて来るのを見守る事しか出来なかった。
いや、彼らの真の恐怖はまだ始まったばかりだったのだ。
「うっ・・・うわあああああっ!」
「ウソだろう! マジかよ! 何だよあの数は?!」
「冗談だろ?! 止めてくれ!」
彼らが見つめる迷宮騎士の後方。
そこには同じ恰好をした、いくつもの白銀の姿があった。
そう、迷宮騎士はこの一体だけではなかったのである。
「ひ・・・ひいっ!」
「おい、こ、これってヤバいんじゃないか?!」
「あ・・・ああ。アイツらが登って来る前に誰かに知らせないと」
その言葉が免罪符のように、作業員達の硬直を解いた。
ここから逃げ出す恰好の言い訳を得た彼らは、負傷した者に手を貸しつつ、転がるようにしてこの場を離れた。
彼らが遭遇したダンジョンの穴から這い上がって来る無数の迷宮騎士。
それはこのスタウヴェンの――いや、この異世界フォスの全人類の最後を告げる破滅の使者でもあったのだ。
次回「もたらされる凶報」




