その17 剣鬼の弟子マルハレータ 二人目の行方不明者
◇◇◇◇剣鬼の弟子マルハレータの主観◇◇◇◇
翌朝。結局使用人のベルーナはこの家に戻って来ませんでした。
昨日あんな事があったせいでしょうか。
ネコ科獣人少女のシャルロッテも、どこか心ここにあらずといった様子で、今日のダンジョンでの階位上げはあまりはかどりませんでした。
「マルハレータ様、すみませんでした」
「構いません。階位が上がったばかりで体が馴染んでいないのでしょう。私も以前に同じ経験をしています」
シャルロッテは申し訳なさそうに頭を下げました。
彼女を慰めるような事を言ったものの、私としては昨日手に入れたばかりのミスリルの剣を満足に振るえず、少しストレスを溜める結果となってしまいました。
それよりも、私は彼女が男のダンジョン夫、ハルトに対して何か言いたげな態度を取っている事がずっと気になって仕方がありませんでした。
私達はダンジョンを出ると、一度家まで戻りました。
いつもであればここでベルーナを連れて食事に出る所なのですが、彼女はまだ戻っていない様子です。
仕事を投げ出して、一体何処に行ってしまったんでしょうか。
「マルハレータ、様。俺達はボスマン商会に行きたいんだが」
「分かりました。ここで待っていても仕方がありません。食事に行きましょうか、フロメナ」
男のダンジョン夫ハルトは、私の剣の事でボスマン商会のマルティンに何か話があるそうです。
私達は家を出るとそれぞれに別れました。
「あっ! マルハレータ様少しお待ちを!」
少し歩いた所で護衛の騎士フロメナが、何かに気付いて駆け出しました。
彼女の向かう先にいたのはダンジョン調査隊の者でした。
フロメナは彼らと何か話していたかと思うとすぐに戻って来ました。
彼女は嬉しそうに私に告げました。
「やっぱりベルーナは調査隊の所に戻っていたようです!」
「どういう事ですか?」
フロメナは昨日ベルーナが向かった道の先に代官の屋敷がある事を思い出したんだそうです。
そういえばダンジョン調査隊は代官の屋敷の宿舎に宿泊しています。
私もうっかり失念していました。
「代官の屋敷までちょっとひとっ走りして聞いて来ますね!」
「あっ! フロメナ!」
彼女はそう言うと私を置き去りにして走り去ってしまいました。
・・・私を一人にしてどうするんでしょうか。
いつもであれば私の周囲には常に誰かしらいるので問題がありませんが、今はフロメナ以外誰もいないのです。
どうやらフロメナはいつものようにベルーナが一緒にいる感覚で動いたようです。
自分がそのベルーナを捜しに行っているという事に思い至らなかったんでしょうか?
私はさっきフロメナが話を聞いていた調査隊の者を捜しましたが、彼らは既にどこかへ去ってしまっていました。
私はポツンと街角に一人残されてしまいました。
私は随分と長い間街角に佇んでいました。
食事をとりに店に入ろうにも、私には昨日入った店がどこかすら分かりません。
そもそもこの場から離れてしまっては、戻って来たフロメナ達とすれ違ってしまうでしょう。
今は日は落ち、町は夕焼けに染まっています。
私は困り果て、何度もそうしたように、あてどなく周囲に視線を彷徨わせていました。
「マルハレータ、様。こんな所でどうしたんだ?」
そんな私に声を掛けて来たのはあのダンジョン夫、ハルト達でした。
私はホッとするあまり、思わず足から力が抜けそうになってしまいました。
どうやら私は孤独のあまりかなり不安になっていたようです。
「フロメナが戻って来ないのです。ベルーナの事を聞きに調査隊の宿舎に向かったのですが・・・」
私の話を聞いた途端、ハルト達の間にサッと緊張が走りました。
彼らは素早く周囲を見渡し、何かを警戒しています。
何があったのでしょうか?
「一先ず家に戻ろう。アイツもここにアンタの姿がなければ家に戻るはずだ」
「・・・任せる」
私は張り詰めた気配に警戒しながらも頷きました。
ハルト達は何かを警戒していましたが、道中は特に何事も無く、無事に家に帰り付きました。
「家の周囲を見回って来たが、特に怪しい者はいなかったぞ」
ウサギ獣人の少女ティルシアが部屋に入って来て腰の剣を置きました。
私は彼らが何に対して警戒しているのか説明してもらいたい気持ちで一杯でしたが、何をどう切り出せば良いか思い付けずに、黙って彼らの言葉を聞いていました。
ティルシアの報告を聞いて、ハルトは座っていたイスから立ち上がりました。
「とにかくこうしていても仕方が無い。それに腹が減っていては良い考えも浮かばないからな。一先ず俺は晩飯を作る事にするよ」
そういえば私もまだ食事をとっていません。
その事を自覚した途端、私は強い空腹感を覚えました。
それはともかく、ハルトが料理を作るのでしょうか?
・・・私は彼がダンジョンで酷い味の保存食を食べていたのを思い出しました。
思えば彼が用意してくれた屋台の串焼きも、私にとっては食べづらい物でした。
そんな彼が作る料理です。その出来は推して知るべきでしょう。
「マルハレータ、様もまだ食事はとっていないよな? 俺達と同じメシで悪いが今は外を出歩かない方が良い。今から用意するので今日の晩飯はここで食べてくれ」
正直かなり気が乗りませんでしたが、私の身の安全のためだと言われてはイヤとも言えません。
「・・・任せる」
私は渋々首を縦に振るのでした。
ハルトが調理をしている間、獣人の少女達は目に見えてソワソワと落ち着きがありませんでした。
そんな嬉しそうな彼女達が私には不思議でなりませんでした。
「出来たぞ。テーブルの準備をしてくれ」
十人前は入っていそうな大きな鍋を重そうに持ってハルトが部屋に入って来ました。
漂ってくる美味しそうな匂いに私は思わず目を見張ってしまいました。
正直言って意外でした。凄く上品な良い匂いだったのです。
私の驚きをハルトは別の意味に捉えたようです。
「あ~、済まない。パンを買って帰る余裕がなかったし今夜はコイツだけなんだ。だがスープの中にニョッキも入っているので食べではあると思うぞ」
ニョッキとは何でしょうか? 耳慣れない食材に私は内心で首をかしげました。
どうやら彼は私が「料理が一皿しかないなんて信じられない!」と驚いていると思ったようです。
クラーセン先生とダンジョンに入った時には割と普通なんですが。
それよりも私としては、彼が当たり前のように「貴族の食事はコースで料理が出るものだ」と知っていた事の方が意外でした。
ボスマン商会のマルティンからでも聞いたのでしょうか?
出されたスープは雑味が無く、澄んだ色をしていて、食欲をそそる良い匂いがしています。
さっき言っていたニョッキというのはこの団子のような塊でしょうか?
私は期待にワクワクしながら、先ずはスープから一口いただきました。
!!
整ったスパイスの刺激。その先にある野菜の甘み、燻製肉から出た脂身と塩気。
それらが一体となった複雑でまろやかな味が、一瞬のうちに私の舌を魅了しました。
私は逸る気持ちを懸命に抑えながら次のひとさじを掬い、口に運びました。
ひとさじ、そしてもうひとさじ、私の手は私の口の要求を満たすために絶え間なく皿と口の間を行き来します。
スプーンが皿の底を叩き、私はようやく具材にスプーンを当てました。
とはいえ、この具材はどれも大きく切られすぎていて、私の口には大きすぎます。
少し困りましたが、スープを食べる時にナイフを求めるのもおかしな話です。
私は一先ずスプーンで何とか出来ないものかと、苦労しながら――
固そうな根野菜はスプーンを押し当てるとサクリと切れました。
「どうした? 苦手な物があれば残しておいていいぞ」
驚いて動きの止まった私を見てハルトがそう言いました。
私は黙って野菜を掬うと口に運びました。
柔らかい。そして美味しい。
スープの染みた野菜は上品な甘さで私の舌を楽しませました。
私は次々と具材を頂きました。
ニョッキというのはモチモチとした小麦の塊でした。腹持ちの良さそうな具材です。もちろんこれも美味しかったです。
私は燻製肉は重すぎて苦手なのですが、このスープに入っている物は余分な塩と脂がスープに流れ出ているせいか、程良く濃厚で良いアクセントになっていました。
私の目の前の皿はあっという間に空っぽになっていました。
周囲ではダンジョン夫達がお替りをしながら食事を続けています。
どうやら私は彼らが食事を始めた事にも気が付いていなかったようです。
どれだけ私は食べるのに夢中になっていたのでしょうか?
私は今更ながら軽くショックを受けてしまいました。
皿に齧りつかんばかりにスープを掻っ込む獣人の少女達に対し、ハルトは極普通の表情でスープを口に運んでいます。
私はそんなハルトをじっと見つめました。
このスープは、私に屋台の串焼きを用意したり、ダンジョンで酷い味の保存食を食べていた者が作った料理とは思えません。
私は彼がこんな美味しい料理を作った事が信じられなかったのです。
そんな私の視線を感じたのでしょう。ハルトは私を見ると――視線を下げて空っぽになった私の皿を見ました。
「お替りが必要ならよそうぞ?」
「・・・任せる」
私は羞恥に頬を染めながらも、そっと皿を差し出しました。
次回「剣聖からの挑戦状」




