その15 剣鬼の弟子マルハレータ 階位《レベル》上げ
◇◇◇◇剣鬼の弟子マルハレータの主観◇◇◇◇
今朝も私は町の一角で串焼きを食べています。
昨日と同じ出店で使用人のベルーナが買って来たものです。
正直言って私はこの串焼きをあまり好みません。
肉の臭みを濃い味付けで誤魔化しているだけだし、筋張っているので噛むのに顎も疲れるし、脂身が多いのでお腹にもたれます。
この町の人は毎日こんなものを食べてお腹を壊さないのでしょうか?
しかし、まだ朝も早く、食事をとるところも他にありません。
私は仕方なくもう一本だけ串焼きを口にしました。
今日はこれからダンジョンに行って階位上げをしなければいけません。
空腹でお腹が鳴るようなみっともない事があってはならないのです。
でも夕食はどこか別の所でとるように後で言っておく事にしましょう。
彼らは今頃何を食べているのでしょうか?
私はふと、あのダンジョン夫達の事を思い浮かべました。
彼らが住む家を最初に見た時、私は物語の挿絵に描かれた可愛い家を思い出しました。
そんな家で人間の男が獣人の少女二人と暮らしている。
何だか自分がおとぎ話の世界に入ったような不思議な気持ちがして、私は思わず立ち止まってしまいました。
ダンジョン夫の男――ハルトが不思議そうに「中に案内する」と言ってくれなかったら、私はいつまでも飽きることなく家を眺めていた事でしょう。
そういえば昨日この串焼きを買って来たのがあのハルトでした。
私は噛み切れない肉を苦労して飲み込みながら、彼はこの町の人間なんだから、どうせならもっと美味しい店で何か買って来てくれたら良かったのに。と思わずにはいられませんでした。
「ではこれからダンジョンに入ろう」
「任せる」
ここはダンジョンの入り口。
私は護衛の騎士フロメナと共に、ダンジョン夫の三人と一緒に入り口の前に立っています
こじんまりとした地味な作りの入り口です。
このスタウヴェンの町のダンジョン程度の規模ならこんな入り口が相応しいのでしょう。
かつて私が先生と一緒に入った他の町のダンジョンに比べると、随分とみすぼらしく感じます。
ダンジョンに入った彼らはすぐに二手に分かれようとしました。
どういう事でしょうか?
「ちょっと待て。お前達はどこに行く」
護衛の騎士フロメナが不思議そうに聞きました。
「彼女達は仕事だ。軽く上層を回ってから、中層に向かうことになっている」
男のダンジョン夫、ハルトが振り返ってそう答えました。
どうやら彼だけが私達に付き添うようです。
実際にモンスターと戦うのは私なので、確かにそれでも問題はないのでしょう。
しかし私は、獣人の少女――ネコ科獣人の少女シャルロッテが去って行こうとする姿を見て、咄嗟に言葉が口を突いて出てしまいました。
「あなた達も私の階位上げを手伝いなさい」
突然の私の要求にハルトは「はあっ?!」と目を見開きました。
獣人の少女二人の顔にも訝し気な表情が浮かんでいます。
まさか「去って行く背中が、昔自分を可愛がってくれた使用人に重なったのでつい呼び止めてしまった」などと言えるはずがありません。
ハルトとフロメナの二人が何かやり合っていますが、私は押し黙ったまま何も言う事が出来ませんでした。
やがてハルトは諦めたのか先頭に立って歩き始めました。
その後ろをネコ科獣人の少女シャルロッテが、私達の後ろをウサギ獣人の少女ティルシアが固めます。
私は、「ここが薄暗いダンジョンで良かった。羞恥に染まった顔を見られずに済む」と、ホッとしながらシャルロッテの後に続きました。
そんな事があったせいでしょうか。私は時々シャルロッテの背中を目で追うようになってしまいました。
あの使用人の女性は今の彼女より少し年上だっただろうか?
もしかして彼女の縁者だったりしないだろうか?
そんな益体も無い考えが頭に浮かんでは消えていきます。
何とか彼女と話をしたいとは思うものの、護衛のフロメナが獣人嫌いなので彼女を近寄らせません。
彼女が獣人を差別している、というのもありますが、実は彼女は猫の毛アレルギーなのです。
猫の毛の付いたシーツで寝るなど言語道断。くしゃみと鼻水が止まらなくなるんだそうです。
ネコ科の獣人と動物の猫とは全く違う種なのですが、同じ猫の名が付くだけでもフロメナにとっては嫌悪の対象なのでしょう。
やがて私達はハルトの案内で目的地である六階層の階段に到着しました。
「少し準備をしてくるから、しばらくここで待っていてくれ」
ハルトはそう言って階層に戻ろうとしましたが、ふと思い出したように足を止めました。
「こっちの袋にはまだ食える部類の保存食が入っている。置いて行くので何なら食べながら待っていてくれてもいい」
そう言い残して彼は走り去って行きました。
さて、ここでこうしていても暇を持て余してしまいます。
実は私はハルトの残して行った保存食が気になって仕方がありませんでした。
彼はここに来るまでも、その途中で何度もこの保存食を口にしていたのです。
一体どんな味がするのでしょうか?
私は朝の重たい串焼きの口直しがしたかった事と、幾ばくかの好奇心から、彼の残した保存食を食べてみる事にしました。
「では彼の言葉に甘えましょう」
「はっ。では準備致します」
私の言葉で、私の要望を察したフロメナがハルトの荷物から保存食を取り出しました。
その様子を見て獣人の少女達がギョッとした表情を浮かべます。
どうしたんでしょうか?
「どうぞ」
私は差し出された保存食から一つ選んで口にしました。
「――――!!」
私は生まれてこの方これほど酷い味の物を食べた事はありませんでした。
私は目を白黒させながら慌てて口の中の食べ物――と言ってもいいのでしょうか? を飲み込みました。
こんな時には自分の育ちの良さが恨めしいです。騎士団員達なら口にした途端に吐き出していたに違いないでしょう。
大きな塊を飲み込んだ苦しさに私の目に涙が浮かびました。
そんな私を見てフロメナは慌てて水を差しだしました。
獣人の少女達は「あ~あ」と気の毒そうな表情を浮かべています。おそらくこうなる事が分かっていたのでしょう。
私は恨みがましい目で彼女達を見ました。
彼女達はばつが悪そうに視線を逸らすと、「あ、ハルトが戻って来た」と言って、階層の方へと逃げて行ってしまいました。
ハルトは獣人の少女二人が出迎えた事に少し不思議そうな顔をしていました。
「奥で休んでいれば良かったのに」
そんな事を言いながら荷物から水筒を取り出して水を口に含みました。
しかし、私達はそれどころではありませんでした。
「キャアアアアアッ!」
護衛騎士のフロメナが悲鳴を上げて逃げ出しました。
通路の奥で背中を丸めてガタガタと震えています。
「なななな、なんですあれは!」
そう尋ねる私の声は上ずっています。
しかし、そうと知っても自制する事は出来ませんでした。
それほどおぞましくも恐ろしい光景が階層の通路に広がっていたのです。
「・・・やっぱり”群体百足”か」
ウサギ獣人少女のティルシアが呆れ顔で呟きました。
そう。そこにいたのは、ダンジョンの通路をびっしりと埋め尽くす無数の巨大百足の群れ。
大小様々な個体が、それこそ床と言わず壁と言わず這いずり回っていたのです。
彼らの立てるザワザワという音に私の肌はぞぞっと粟立ちました。
ハルトは青ざめる私の前に立って事も無げに言いました。
「さあマルハレータ、様。存分に戦ってくれ」
「ええっ?! 私が戦うの?!」
彼の非情な宣告に、私は貴族の振る舞いも忘れて思わず素で叫んでしまいました。
次回「シャルロッテ」




