その11 崩壊する足元
心配していたトラブルも何もなく、俺達は無事に家にたどり着いた。
「家の周囲を見回って来たが、特に怪しい者はいなかったぞ」
ティルシアはリビングに入って来ると腰の剣を置いた。
部屋にいるのは俺達とマルハレータの四人。
昨日まではここに女騎士と女使用人の二人が加わっていた。
女使用人は倉庫の中を覗き見て以来行方知れず。
彼女を監視していたボスマン商会の人間によると、ダンジョン調査隊に合流した所までは確認しているそうだ。
女騎士はつい先頃までマルハレータと一緒にいたが、ダンジョン調査隊の所に女使用人の事を聞きに行ったまま帰って来ない。
帰って来ない、と言うにはまだ早い時間とも言えるが、百足には弱いが忠誠心は高そうなアイツが主人の下を長時間離れるとは考え辛い。何かあったと考えた方が良いんじゃないだろうか。
マルハレータは気落ちしているように見える。
部下が二人共いなくなって不安なのだろう。
俺が立ち上がると全員の目が一斉に俺の方を見た。
「とにかくこうしていても仕方が無い。それに腹が減っていては良い考えも浮かばないからな。一先ず俺は晩飯を作る事にするよ」
「そうか。ならば私も手伝おう」
「・・・料理を台無しにするつもりか。いいからそこで大人しく待っていろ」
最近ティルシアは料理に自信がついたのか、こうして俺の調理を手伝おうとしてくる。
料理に自信も何も、買って来たスープを温め直すくらいしかお前はやってないからな。
そんな事で料理が出来る気になって手伝われてはかなわない。
最低でも野菜の皮むきが出来るようになるまでは、俺はお前に手伝わせるつもりはないぞ。
その点シャルロッテは簡単な料理くらいは十分に作る事が出来る。
俺はシャルロッテの方を見た。
ひょっとしてシャルロッテも手伝いを申し出て来るか? と思ったが、どうやら今はそんな気分ではない様子だ。
まるで先生に質問をあてられたくない生徒のように、イスに座ったまま下を向いて体を固くしている。
その様子が少し気になったが、それよりもマルハレータに確認しておかなければならない。
「マルハレータ、様もまだ食事はとっていないよな? 俺達と同じメシで悪いが今は外を出歩かない方が良い。今から用意するので今日の晩飯はここで食べてくれ」
「・・・任せる」
時間も無いので簡単なポトフでいいか。ベーコンのような塩漬け肉があったはずだ。
パンを買って帰る余裕が無かったが、スープにすいとんを入れればいいだろう。
それとも洋風にニョッキと言った方が良いのか?
確かニョッキは卵だかジャガイモだかを練り込んだものだったか・・・ 卵は無いがジャガイモならあるな。
俺は料理の段取りを考えながら厨房に向かった。
そんな風に料理の事で頭がいっぱいになってしまったせいだろうか。いつの間にか俺はシャルロッテの様子がおかしい事を忘れてしまっていた。
料理は好評だったのだろう。
ティルシアは相変わらずガツガツと掻っ込んでいたし、シャルロッテもそれに続いていた。
後で思えばシャルロッテのお替りのペースがいつもより鈍かった気もするが、流石にその時はそんな所までは気にはしていなかった。
マルハレータは最初、料理がスープ一皿しか出てこない事に驚いた様子だったが、一口食べた後は普通に食べていたので口に合わないという事は無かったのだろう。お替りを聞いたら普通に頼まれたしな。
俺はマルハレータのためにお替りをよそいながら、ふと思い出した事を口にした。
「そうだ、マルハレータ様。昨日渡したミスリルの剣だが――」
ガシャン!
シャルロッテの皿が大きな音を立てた。
何だ?
「マルティンが、――え~と、ボスマン商会のその剣を用意したヤツが、その剣で気になる事があったらしいんだ。大した事じゃないと思うが、アイツが見せて欲しいと頼んで来たらちょっとだけ見せてやってくれないか」
「ええ。構いません」
「そ、そうか。助かる。あ、ホラ、お替りだ」
俺はホッとしながらマルハレータの前にポトフの皿を置いた。
スプーンを手に上品に食べだすマルハレータ。そこの食い意地の張ったウサギ女も少しはこの子の行儀作法を見習って欲しいものだ。
そんな事を考えながら俺は自分の皿のニョッキを口に入れた。
家に招かれざる客がやって来たのは食事も終わり、食後のお茶を飲んでいる時だった。
家の外に立っているのは鋭い目付きをした白い髭の初老の男――
「クラーセン先生・・・」
「ようマルハレータ。だが今日はお前の様子を見に来たわけじゃねえんだ」
それは”剣鬼”クラーセンだった。
剣鬼は一人で来たらしく、周囲に部下の騎士団員達の姿は見えない。
剣鬼はマルハレータから目を離すと俺の方をじっと見つめた。
「なあハルトよ。聞いたぜ? なんでもこの家には面白い物をため込んだ倉庫があるそうじゃねえか」
「「「!!」」」
コイツ・・・
俺は最悪の展開に頭の芯が痺れような感覚を覚えた。
やはり剣鬼はマルハレータの女使用人から倉庫の中の装備の話を聞いたのだ。
俺の背後でティルシアが小さく舌打ちを漏らした。
大方リビングに剣を置いて来た事を後悔しているのだろう。
だがもしティルシアが剣を手にしていたとしても、ここで剣鬼が強引な手段に出れば誰もコイツを止められない。
現在の剣鬼の階位は知らないが、よもやティルシアと同じかそれより下という事はあり得ない。
おそらく俺達三人がかりでもあっという間に瞬殺されるだろう。
階位の違いというものはそれほど圧倒的な戦力差なのだ。
さらに剣鬼は『先読み』という規格外のスキルまで持っている。
その詳しい能力は不明だが、一つ二つの階位差くらいはひっくり返す力があると考えた方が良いだろう。
よりにもよってこんな化け物に俺の秘密を握られるとは・・・
俺は絶望感に吐き気すら催した。
今の俺は顔色も青ざめ、必死の形相をしている事だろう。
だが剣鬼の話はまだ始まったばかりだったのだ。
「なあハルトよ。お前迷宮騎士って知っているだろう? 良く知っているはずだよな?」
迷宮騎士?
もちろん知っている。あれは俺だ。
ティルシアのなじみのダンジョン協会職員――誰だっけか、を助けるために戦った時の姿だ。
その時全身ミスリルの装備で身を固めていたせいで、しばらくの間は欲に目の眩んだダンジョン夫共が必死にダンジョン内を探し回っていたらしい。
言ってしまえばある意味俺の黒歴史だ。
「俺もよ、かつては剣聖だの何だのともてはやされたが、今じゃ王都の話題は黒鉄マッキだの美男爵ボルラックだのに奪われてすっかり過去の人扱いよ。冗談じゃない。まだまだあんなひよっこ共に俺が負けるかい。だがアイツらはどんなに挑発しても死合いの誘いに乗って来ねえ。ほっときゃジジイの俺の方が先にくたばると思っていやがるんだ。戦争でもありゃあ百人だろうが二百人だろうがぶった切って、剣聖クラーセンここにあり、って名を上げられるんだがよ。最近じゃそういうのもとんとご無沙汰だ。周囲には帝国に歯向かおうってぇ骨のある国はもういねえのよ」
コイツは何を言っているんだ?
俺はなんとか剣鬼の話に付いて行こうとした。
つまりコイツは自分の名前を上げるために――周囲に「俺の名前を忘れてるんじゃねえぞ」と言いたいがためだけに、殺し合いの場を求めているのか?
大体そんな要求、まともに受けるヤツがいるわけがないだろう。
相手にとってみれば、年老いた剣士に勝っても大して名声は上がらないだろうし、負けたらコイツに殺されるのだ。
コイツは剣の強さこそが正義だとでも思っているのか?
俺は剣鬼のあまりにかけ離れた価値観にめまいがする思いだった。
「で、仕方がないんで、弟子でも取って鍛える事にしたわけよ。そいつを最強の剣士に鍛えたら、その師匠の俺はもっと強いって事になるじゃねえか。しかし、コイツがとんだ空振りだった」
そう言うと剣鬼はマルハレータの方を睨んだ。――いや、単に見ただけなのかもしれない。
その視線を受けてマルハレータはビクリと身をすくませた。
「まあそれでもやる事がないんでしばらく付き合っていたが、そろそろ飽きて来た頃合いだったわけよ。その時この町で面白い話をする女に出会った。ボスマン商会のスキル『観察眼』の娘だ」
スキル『観察眼』の娘。フロリーナの事か?!
俺はヒシヒシと近付いて来るイヤな予感に、背中にじっとりと汗が噴き出すのを感じた。
「その話なんだがよ。”町で見た時にはクソザコ”に過ぎない男が、”ダンジョンでは異様な程の強者の気配を纏う”男になるって言うんだ。もちろん最初は信じられなかったぜ」
――最悪だ。
この時俺は自分の足元が崩壊する音を聞いた気がした。
次回「諂い」




