プロローグ ダンジョンムシ
「お願いします、ご主人様を助けて下さい!」
酒場に少女の悲痛な声が響き渡る。
ガラの悪い客層の酒場だ。
実際、ここではいつも酔った客同士のいざこざが絶えない。
しかし、ここはただの酒場ではない。
ダンジョン協会
ここはダンジョンに潜る者、ダンジョン夫達に仕事を斡旋する場であった。
まだ幼い少女がカウンターに立ついかつい男に縋り付くように懇願している。
ここで断られたら、彼女の大切なご主人様の命が危ないのだ。
「そうは言うが、前金も貰えないんじゃ依頼は受けられないんだよ。」
意外と丁寧に男が対応する。
男はカウンター越しに少女を見た。
こんな場所には不釣り合いな年若い可憐な少女だ。14〜15歳だろうか。
少女の頭に付いているウサギの副耳から分かる通り少女は獣人である。
そして黄色の服を着ていることからも奴隷であることも分かる。
しかし、その服は傍目にも作りの良さが見て取れる。
普通は奴隷に着せるような仕立ての服ではない。
彼女はご主人様に良くしてもらっているのだろう。
だが、いかに彼女が優遇されていても、彼女が依頼料を払うことはできない。
なぜなら奴隷は個人財産を持つことを許されていないからだ。
「依頼さえ達成してくれれば商会が払います! 一緒に行ってくれるだけでいいんです!」
「規則なんだよ。悪いが、そういう前例を作るわけにはいかないんだ。どこかで金を工面してからまた来てくれ。」
「時間がないんです! マルティン様がダンジョンに入られてからもう5日もたっているんですよ!」
「そうは言うが、ダンジョンに潜るのは自己責任ーー」「マルティンだと?」
第三の声に男が少女の背後に目を向けた。
同時に少女も振り返った。
そこに立っているのは20歳ほどの青年。
黒い髪に中肉中背。彫りの浅い全体的にのっぺりとした没個性的な顔。
安物の防具を着ていることから階位の低いダンジョン夫だと分かる。
「若い商人のマルティンか? 商会名は確か・・・ボスマン?」
「その通りです。ご主人様のお知り合いの方でしょうか?」
ボスマン商会は斬新な商品と新たな販売方式で、この数年王都で勢力を伸ばしている新進気鋭の商会だ。
今回はこの町にも販売網を広げるため、次期商会主のマルティン自らが来ていたのだろう。
「少し話が聞こえたが、・・・マルティンに何かあったのか?」
「おい、ハルト。勝手な事をしていると」
「話を聞くだけだ。何か問題があるのか?」
ハルトと呼ばれた青年が空いているテーブルを顎で示した。
少女はしばらく黙って何か考えている様子だったが、やがてためらいながらも青年の後に続いた。
「おいおい、ダンジョンムシの分際で女をナンパしてるぜ。」
「獣人相手とか、見境なしだな、ダンジョンムシ。」
「娼婦より弱いんだよ。抵抗できない奴隷相手じゃなきゃ勃たないのさ。」
周囲の客から聞こえよがしに陰口が叩かれる。
青年は無視してテーブルにたどり着くと椅子を引いた。
周囲の雰囲気に警戒しているのだろう、少女は少し緊張した面持ちで引かれた椅子に座った。
テーブルを回り込み、少女の対面に座りながら青年は問いかけた。
「で、マルティンに何があった?」
獣人の少女の主人、若き商人マルティン・ボスマンがこの町のダンジョンに入って行ったのは5日前。
当初は3日ほどで戻ってくる予定だったのだが、予定日を過ぎても彼が帰って来ることはなかった。
そして、今日になって、マルティンと一緒にダンジョンに入っていた者達が戻ってきた。
彼らによると、マルティンはダンジョンの落とし穴に落ち、ずっと下の階層まで滑落してしまったというのだ。
どうにか助けることができないかと1日粘ってみたものの、もはや生存は絶望的とみて今日帰還したという。
「そいつらの言うことは信用できるのか?」
「代官様が手配してくれた人達ですから。」
「・・・そうか。」
現在も商会の者達が八方手を尽くして救出の手だてを探しているが、どうも見通しは暗いらしい。
少女は自分でダンジョンに入り主人を探すため、ダンジョン協会にダンジョン夫の護衛を依頼しに来たのだ。
「私は近くまで行けばマルティン様の正確な場所が分かります。奴隷は契約魔法で主人と繋がっていますから。」
「なるほど、生体レーダーというわけか。」
「?」
「いや、何でもない。」
青年は誤魔化すようにコップに入った水に口を付けた。
混ぜられた酢の酸っぱさに思わず顔をしかめる青年。
つられてコップを手に取った少女はその顔を見てコップを置いた。
「大体の事情は分かった。戻ってきたヤツらの言う通り、多分マルティンはもう死んでいるだろう。」
「そんなことはありません!! きっとまだ生きて助けを待っています!!」
「その可能性は低いな。」
「そう・・・かもしれまんが、絶対にないとは言い切れないと思います。」
「そうだな、絶対にないとは言えない。」
青年はコップの中身を一気にあおると席を立った。
「俺はマルティンに借りがある。生きている可能性があるならそれを返さなければならん義務がある。」
「義務? とは何でしょう?」
青年は舌打ちすると「そういう概念がないのかよ。」と小さく呟いた。
「話してくれて助かった。感謝する。」
青年はそう言うと二人分の代金をテーブルに置いて建物から出て行こうとする。
「ま・・・待って下さい! 手伝ってくれないんですか?!」
信じられない。といった表情の少女。
そんな二人のやり取りに周囲の野次馬達から笑い声が起こった。
なぜ笑われるのか分からずに立ち尽くす少女。
客の誰かが少女に声をかけた。
「そいつは落とし穴で下の階層に落ちちまったんだろ? 何階層にある穴に落ちたんだ?」
「・・・3階層と聞いています。」
再び起こる笑い声。
「1階層しかうろつけないダンジョンムシに、3階層より下の階層なんて行けるわけないだろ。」
「2階層の乱暴猿に尻を掘られて死んじまうぜ。」
誰かの投げた食べかけの骨つき肉が飛び、青年の背中に当たった。
何かの汁が青年の上着に沁みを付ける。
「そんなモノすら避けられないんだからな。万年階位1のダンジョンムシにはムリムリ。」
客の一人が立ち上がる。頬に大きな傷のある男だ。
「俺も昔はそいつと組んでたことがあったんだが、今は階位4だ。なのにソイツは今でも階位1なんだぜ。」
「そいつは階位が上がらないんだよ。だからいつまでたってもダンジョンの1階層を這いずり回るダンジョンムシってわけさ。」
周囲の言葉に驚く少女。
「階位が上がらない人なんているんですか?!」
この世界には階位というものが存在する。
階位は1から始まり最終的には10まで上がるとされている。
現実には階位10の人間は確認されていないが、同様に階位の存在する魔法では階位9の次が階位*になり、それ以上が存在しないため、階位は10段階だとされている。
階位は1段階上がると、人間のあらゆる能力を引き上げるため、階位が下の人間は基本階位が上の人間に勝つことはできない。
階位はモンスターと言われる凶暴な生物を数多く殺すことでより早く上げることが出来るが、1から2、2から3と上がっていくごとに次第に上がり辛くなる。
ちなみに低い階位は上がりやすく、普通に生活していても20歳になるころには階位2にはなるものなのである。
「何でもスキルの作用で上がらないらしいぜ、階位が上がらないなんて一体どんなカススキル生やしてんだよ。」
スキルは生える、と言われている。
めったに生えるものではないが、その人間の個性に沿ったものが生えやすいと言われている。
2つ以上生える人間はほとんどいない。
その内容は「健康体」「利発」「器用」といった汎用性の高いものから、「剣技」「走力」「演奏」といった限定的だがその分本人与える影響が高いものまでいろいろだ。
スキルは本人の能力を底上げするものであって、能力を下げるものはない。
青年のスキルは「ローグダンジョンRPG」であった。
次回「青木晴斗」