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破られし封印 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 ささ、つぶらやくん、用意できたよ。海軍カレーのレトルト、一度食べて見たかったんだよねえ。ダメもとの懸賞で、カレー詰め合わせが届いた時にはびっくりしちゃったよ。

 ……ふうむ。このカレー、さほど辛くないんだけど、ちょっとコクがある感じだ。牛乳を予め加えてあるのかな。それでいてスパイスの香りが生きている。

 スプーンでカレーをすくって口に近づけるたび、鼻をくすぐるピリッとした自己主張。だが舌にのせると、むしろ引き立て役。

 メインたるルーの味を決して邪魔せず、溶けちゃうんじゃないかというくらいに柔らかい肉や野菜を包み、のどごしスッキリ。それでいて、入ったお腹の中からふつふつと湧き上がる、次なるひと口への、静かな待望。う〜ん、これはなかなか……。

 やはり美味しいものは、いいものだ。そしてお手軽に味わえるようにしてくれた、レトルトという技術も、いいものだ。

 ……そういえば、レトルト食品について、不思議な話を聞いたよ。こーちゃん、食べながらでも聞いてみるかい?

 

 レトルト食品は、もともとアメリカで、軍用携帯食の一つとして研究され始めた。それが一般に向けて広まっていくようにしたかったけど、すでに存在していた冷凍食品に押されて、うまく行かなかったらしい。

 その点、冷凍庫の普及に関して遅れをとっていた日本には、ありがたいインスタント食品としてシェアを広げていったのだとか。レトルトと言ったらカレーという、多くの人のイメージも、最初のレトルト食品がカレーだったことに起因しているみたいだね。

 当初は保存期間が、缶詰に比べて短いことが問題の一つだったけど、今は技術が発達して数年間、持つことも可能になったとか。とはいえ、昔の子供にしてみれば、カップラーメンと同じ要領で、買ってはすぐにバクバク食べちゃうことも、珍しくなかったようだけど。


 僕のはとこが幼稚園にあがる直前。

 怪我をしたら大変、という教育の方針に従って、はとこはこれまで、トイレに行ったり、親に連れられて外に出たりする以外、ほとんど部屋の外に出たことがなかったらしい。そのせいで、自分の家の構造は、まだ完全に頭に入っていなかったみたいなんだよねえ。

 そして、何かと歩き回りたいお年頃とくれば、親がちょっと目を離したすきに、ふらふらと散歩に出かけちゃうことがあったみたい。


 小さい体には、十分すぎる広さの家の中。まだ踏み込んでいない場所は、はとこにとって未開のジャングルと同じ。どんな危険が潜んでいるか分からない。

 とことことうろついては、本棚やクローゼットの取っ手を引っ張って、本や服の洪水を起こし、埋もれたことは一度や二度じゃなかった。親に助けられては怒られて、少しずつ自分にとっての危険区域を把握していく、いとこ。

 

 ある日。いとこは性懲りもなく、家の中の見慣れない戸の、取っ手を引っ張ってみた。

 そこはちょうど階段の真下にあたる場所。中に入っていたのは、掃除機。トイレットペーパー。詰め替え用洗剤。そして大量のレトルトカレー……。

 ここは物置の一つとして、使われていたスペースだったんだ。ほのかに汚れた雑巾の匂いが漂っていたのは、どこかがわずかにカビていたせいかも、と話していたよ。

 中のものを手に取ろうとしたところで、駆けつけてきた親にどやされて、部屋へと連行されるはとこ。まさかこの場所を、これから頻繁に利用することになるとは、思ってもみなかったみたいだけどね。

 

 小学生になり、食べ盛りな時期を迎えたはとこは、お菓子やインスタント食品にはまった。

 親に「ご飯の時にたくさんおかわりしなさい」と注意されたけど、健康に気をつかった薄味料理は、若いはとこの舌を満足させるには足りない。隙を見つけては、非常食としてストックしてあるインスタント食品に手を伸ばした。

 定期的にストックが補充はされるものの、親はその数を覚えていない様子。なのではとこは、食べた後の証拠隠滅のみに力を入れればよかった。

 レトルトのパックなどは外に捨てに行き、皿や箸もざざっと洗った後、ふきんで丹念に水をとり、いかにも「最初から並んでいましたよ」と言わんばかりに、元の戸棚に戻す。いい香りがする洗剤で、臭いも無理やりごまかした。

 悠々自適な間食生活を送っていたはとこだったけど、だからこそ気づいた異変もあったんだ。

 

 その日、はとこが帰ってくると、ほぼ入れ違いで、母親が留守番を頼んで、買い物に出かけてしまった。これ幸いとばかりに、階段下の倉庫に向かう。

 はとこの家は、もっぱらレトルトカレーを買い、カップラーメンは全然買わないらしいんだ。冷蔵庫の残ったご飯を食べると、母親から突っ込まれるし、湯せんのご飯は好きじゃないから、レトルトカレールーを温めた後、器に開けてルーだけを食べるのが常だった。

 ところが、いつもの階段下の物置。開けた途端、すさまじい臭いがしたんだ。いつぞやの濡れた雑巾どころの騒ぎじゃない。苔と雨とスパイスをブレンドして、きつめの酢を加えたような悪臭だ。

 なんだこいつは、とはとこは倉庫を漁りながら、雑貨の山を下へ下へと潜っていき、ようやく見つける。臭いの元は、見たことがないパッケージのレトルトカレーだった。

 手に取るだけで、顔をしかめるほどの強い刺激臭。何とか耐えつつ、ほこりまみれのパッケージを調べると、賞味期限は10年前になっている。

「なんで捨てないんだよ」と、はとこは肌をなでる寒気を、いら立ちでごまかしながら、台所のゴミ箱の底に、パッケージを突っ込もうとした、その時。


 にゅるり、と中で何かが動いた。それは、はとこがパッケージ越しに感じた、「中身」の触り心地。同時にパッケージが湿ったんだ。

 染み出してきたんだよ。内側から。

 指にくっつく不快の元に、はとこはもう夢中でパッケージを開けて、中身を取り出した。そして目にしたのは、中途半端に口が開けられたレトルトパウチ。その開いた傷から、やや緑がかった、黄土色の液体が漏れ出していたとのこと。

 

「無理だ、無理だ」とつぶやきながら、かの悲惨な物体を、ビニール袋で何重にも包むはとこ。ゴミ箱の底に封じると、はとこは消臭スプレー片手に、階段下倉庫に急行。こびりついた臭いを落とすとともに、悪夢の温床が残っていないか、確かめようとしたんだ。

 けれど、ほどなく「ただいまあ」と母親が帰ってくる。想像以上に早い。

 倉庫はいとこが掘り出し、色々な雑貨が散らかったまま。きれい好きな母親だから、何を言われるか分からない。

 必死に出した分だけ整理し始めたけど、結局母親に見つかって、盗み食いの意図をごまかすために、掃除と答えたはとこ。

 彼女の指導の下で、今見えている分の倉庫の中身を整理。最後の消臭も徹底させられる。


「臭いは危ないサイン。私たちに危険が迫ってきているのを教えてくれてるの。しっかり見ないといけないわよ」


「わーってるよ! 元はと言えば、あんたが忘れて放置したのが原因だろうが。ボケたかババア? ああん?」と返したい衝動を、盗み食いを隠すために、はとこは必死に我慢したそうな。


 翌日。間食の意味でも、整理する意味でも、仕切り直そうとしたはとこ。しかし、確かに取り去ったはずのあの臭いが、また立ちふさがったんだ。日を改めても、何度も何度も。

 数々のレトルトカレーたち。それらの口が、パッケージの中で、液が漏れるくらいに切られている。本来、立ち上るはずのかぐわしい香りが、今や吐き気を催す臭気に染まっていたんだよ。

 はとこはこの事態に鳥肌を立てつつも、同時に疑問も湧き出していたみたい。

 10年来のレトルトカレーならともかく、近頃臭いを出しているのは、買ってからさほど時間が経っていないものばかり。それがどうして、同じような臭いを出し得るのか。買った当初は問題なかったはずなのに。

 販売元に通報する前に、もう一度じっくり調べた方がいい。そして誰にも見られないタイミングで、秘密裏に。

 はとこはじっくりと、機をうかがうことにしたんだ。


 そして、ある休日。遠い親戚の法事で、夜まで親が帰ってこないという日。留守番を頼まれた彼は、早速準備を整えて、倉庫に向かう。

 案の定、嗅ぎなれた臭いが席巻せっけんしている。はとこはレトルトカレーをすべて取り出し、一つ一つを嗅いでは臭いの元になる個体を処理。

 すると、今まで臭いがしなかったはずの個体から、突然臭いが湧き出す。それを片付ければ、また次。また次……臭いは飛び火していくんだ。

 殲滅しないと、ダメなのか。はとこは怖さ以上にうんざりしながら、ついにレトルトカレーすべてに手を下すことを決めたんだ。


 大きめのビニール袋の中に、レトルトカレーたちを入れて、何重にも重ねて封をする。臭いが漏れ出さないことを確認できた時には、肩に担げそうな大きさになっていたとか。

 はとこが一息ついて、ゴミ袋を抱えると、ごそりと倉庫の奥から音がした。「なんだ」とはとこがのぞいてみると、いきなり額に激突してくるものがあった。

 思わぬ衝撃に、仰向けにぶっ倒れて、廊下に叩きつけられるはとこ。その視界の先で、ピンポン玉くらいの大きさの虫が、はばたきながら浮かんでいる。


「待ち焦がれたわ。臭いの封印、解いてくれてありがとうよ。愚か者」


 しゃがれた声が聞こえると、その虫は弾丸のごとき速さで、いとこの頭上を突っ切ったかと思うと、はとこの後ろにあるトイレのドア。便座の背もたれ。家の壁さえまっすぐ突き破って、外に出て行ってしまったんだ。

 ピンポン玉状の穴から、吹きつけるすき間風を感じながら、はとこは立ち上がって、倉庫の床をのぞく。

 そこにはカビに包まれて緑一色になった、いつ作られたか見当もつかない缶詰型の何かが、ふたの開いたまま転がっていたんだとさ。



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