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無造作に捨てた手も

作者: SHURI

私は透明人間になりたかった。


確固たる何かさえ持ち合わせていない。


自分という概念のない。


存在感のカケラもない。


何もないそんなものになりたかった。


それが一番この世界と同化しないことであると思ったからだ。




桜が辺り一面を染めた。程よく色づいた花弁には無駄がない。

自分を主張し過ぎることもなく、決して自分が無いわけでもない。

その曖昧さに儚さが重なった桜はいつだって誰かの目を釘付けにする。

そして、春を独り占めにする。そこに悪意がないからこそ綺麗だと主張出来るのだと仕事中にふと思った。


変わらないキーボードを打つ音と鳴り止まない電話のベルの音。

人間がというよりこのオフィスが慌ただしくて動いているようだった。

このオフィスには、意識がない。ただ、呼吸をしているかのように同じリズムで波を打つ。

私はこのオフィスの一部であり続けなければならない。

生きる為に生きていくという素朴なこの難題を持ち合わせながら。

このオフィスには大きな窓が一つだけある。

その前には桜の木がある。風にのって、桜の花びらが雨のように降る。

同じ桜ではあるけれど、木の中にあるものだけを桜という名詞で表す。

落ちはものは、忙しく過ぎる時の中で誰かの足に踏まれる。

それが当たり前であるからこそ誰も疑問に思わない。

世の中には暗黙の決まりと無条件の訳があるのだと私は思った。

それを嫌うということは、大人には許されないことであり

人間であれば従うしかないものであることをこのオフィスの中で飼いならされた人々で形成される音が主張していた。


私の仕事は、人の不幸を題材にしなければならない。

それは人の本質をありのままに映し出す行為とイコールで結ばれる。

けれど、そこに悪意があろうとなかろうと誰かに憎まれることであることは確かなのである。

テレビというものに真実など求めるからいけないのだと少しだけ自分を正当化する。

そうしなければ、この仕事を5年も続けられない。

誰かの涙を私は作り、そして誰かの人生を狂わせ、そして、誰かの何かを壊しているのだから。

そして、私はまたこの音に踊らされて今日も白紙の紙に文字を綴る。

それが真実だとしても、私は何故か嘘をついているようなだった。

本当の事だと言えるほどそこには清さがなかった。

ドロドロしたこの感情が一切ないかのように文字は表情を変えない。

書き手が悩み苦しんだことがないように文字は坦々と事実のみを語る。

それが正解だと誰か大きくハナマルでもしてくれないだろうかとバカなことを考えていた。


私が書いた記事が、テレビに流れ込む。そして、また誰か1人の人の人生が歪んだ。

それが運命だったのだだと私は思った。それがその人の運命だったのだ。

運命だから、仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ないのに、何故か私の手がもう、普通の人の手ではないように見えた。

このオフィスの中で私の手だけ浮いていた。

この手はもう私ではなかった。合理的に大人になったこの手に私の心はもうなかった。

私の一部であるこの手はいつ、どこで切り離されたのだろう。


同僚の深山君は言った。「中塚さん、やりましたね!」

私は何をやってしまったのだろうとその言葉に問いかけた。

それは声にならない声であり、私は彼に意味のないありがとうを言い、椅子に座りなおした。

そうしなければ自分が自分で居られない気がしたからだ。

けれど私が私である理由などない気がした。

私がこの手で作りあげた文字が全て真実では無いのに、あたかも全て真実であるかのように主張するこの1ページが私と私の手をさらに切り離した。


季節が変わりあの桜は、桜では無くなった。

そうしたのはあくまでも人なのにと思った。桜はいつだって桜なのに春だけ桜と呼ぶのは人であるが故のことである。

そこには、人間の都合の良い本質が姿を現していた。

結局は私も都合よく使われ、そして誰かを都合よく使っている。

どこにでもいる取るに足りない人間であることを再確認した。


「中塚さんが書いた記事の人、亡くなったそうですよ。

自殺だったそうです。」

私は、悪者になった。真実を語りかけたこの心はもう、正義ではない。

私は無情な文字で人を殺したのだ。

「中塚さんが悪い訳じゃありませんよ。この世界にはこういうことは良くあるし、真実を語ったのは事実ですが、それを責めたのは世間ですから。彼は世間に殺されたんですよ。」

深山君は私を励ました。このオフィスの中の声は今私に向ける同情と憐れみと慰めで溢れかえっていた。

この世界には、どんな世界なのだろう。

真実?それはどんな色なのだろう。

良くあるから許されるのか。

世間が殺したという彼は切り離された私の手が殺したことに間違いはない。

主犯と共犯がいるのなら、私が主犯であり、共犯が世間なのだ。

私は手をどこに捨てればいいのか考えていた。

この手さえなければ、私は綺麗になれるとさえ思っていた。

そう思わなければ何かに自分が殺されそうだった。

いっそ、殺された方が楽なのかもしれないとも思った。

生きる為に生きているこの歯車のような自分という概念さえ捨てて私は透明になりたかった。

言い換えれば、何もない私になりたかった。

手だけではなく何もかも切り離したかった。

けれど、生きていくために生きてきた歯車は止まらない。

そして、私は罪を背負ったまま進んでいく。


また、桜が桜と呼ばれる季節になった。

私は真実を無情な文字に託し、そして、また誰かの人生を狂わせる。

それが真実だからと言って許される行為なのかと聞かれれば、私は答えることができない。

この行為で生計を立てている私にはこの手を捨てる事も、この文字を変える事もできない。

深山君は昨日辞めていった。

「お世話になりました。」と挨拶をし、出ていく彼の背中は何故か清々しかった。

彼は前に私にこう聞いた。

「真実は一つか、それとも複数か、どっちだと思います?」

私は迷わず「複数かな。」と答えた。

彼はまた質問した。

「この世界は一つだと思います?それとも複数だと思います?」

私は少し考えて「複数かな。」と答えた。

彼はまた質問をしてきた。

「ここにいる僕は1人だと思います?それとも複数だと思います?」

私は大分考えて

「複数かな。」と答えた。

彼はまた、続けて質問した。

「この1ページは1ページだと思います?それとも複数だと思います?」

私は迷わず「1ページ。」と答えた。

これはようやく意味有り気笑って答え出ました。ありがとうこざいますと言った。

私は思わず「何の答え?」と聞いた。

彼は答え合わせしようのない答えなので内緒ですと言って帰って行った。


私はあれからその答えが何だったのかを考えていた。

もう、彼のいないこのオフィスで。

相変わらず、桜が散っていく姿に私は言い訳を乗せて。


彼がした最後の質問にだけ何故か意味があるような気がして、彼が見つめた1ページはを読み返していた。


それは芸能人の不倫について書かれたページだった。

私は相も変わらず坦々と語る文字を見つめていた。

真実を見つめるような目で。


風がページを運んだ時、紙が挟まれていることに気づいた。

そこには

真実は複数で世界は複数で人だって定まった形がないのに

このページは1ページって事に疑問を持たないのはおかしい。

それは合理的じゃない。理屈でもない。

この1ページは複数じゃなければならない筈なのに。

答えは簡単で真実を作りあげたという偽装でしかないんだ。

ある一方からの視点での真実でしかない。

そこに想いはない。

なら、この仕事を誇る事なんて出来ない。真実を偽装する悪人なのに、善人面をして書く文字に意味はない。

だから

僕はここを去ることにします。



中塚さんに読んで貰えてるかは分からないけど、それでも中塚さんには分かって貰えそうだったので書いておきます。


その紙は一枚であるのに、この五年で書いた何百ページの言葉より私に何かを主張した。


1ページが1ページ面で存在しているようにしか書けない私がいけないのだとその時私は初めて言い訳のない答えにたどり着いた。


無情な文字を目の前にして、世間に語りかけるでもなく、ただ見えるものだけを見ていた事に気付いた。


見えるものと見えないものの間にある妙な違和感を無視していた事に。



私はこの会社を辞めた。

それが、本当の私かなんて分からないけれど、

1人の私としてではないかもしれない。


けれど、無造作に切り離された手と今は私にある。


どこのだれのそんな疑問に答えるほど今確かな1人ではないけれど、それでも少し温かった。


体温を持っている手はどこでも誰とでも生きている。


1人の私が無造作に捨てた手も、1人の私が拾い生きている。


世界は一つじゃない。

真実も。


そして、私も。


私は夢だった透明人間になれた気がした。

少しだけ。ほんの少しだけ。


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