かたき討ち
山、川、といえば『討ち入り』というご指摘をいただきました。
ゆえに、今回は、『かたき討ち』でございます。
古来より、日本では『美徳』とされていたものであります。
ご存知、仇討認可状というのは、江戸時代のしっかりと法律で許可された、いわば殺人許可書ですね。
たまーに、これをすごく良い制度のように考える方、いるのですが。結構、酷い制度です。
まず、ひとつ。目下の人間が殺された場合、仇討は許可されません。つまり、妻子が殺されても、仇討はできないのであります。
ついでに、仇討の旅というのは『無給』です。収入のない状態で、仇をひたすら追いかけるわけですね。何十年と追い続けるのは当たり前。
場合によっては、『仇を討たないと家名を継げない』なんてケースもありまして、相手を殺さなければ、国元に戻ることもできないなんてヒドイお話もありました。
仇討というのは、『決闘』でありましたから、仇、となったほうも、『返りうち』が認められておりました。ですから、当然、助っ人を頼むケースもありました。
鍵屋の辻の決闘で、有名な荒木又右エ門は、渡辺数馬の助っ人であります。
ちなみに。鍵屋の辻の決闘の、そもそもの原因は『衆道の痴情のもつれ』。
江戸期において、衆道がらみの敵討ちはかなり多かったようで、実は男の嫉妬って、女の嫉妬より怖いのではないかと思ったりも致します。
余談になりますが、衆道について。いまでは、腐女子の妄想の世界という印象のほうが強く、現実にはカミングアウトはなかなか難しい問題ですが、江戸期までは、普通に小姓を置く制度がありましたし、男娼も普通におりました。江戸初期は、江戸の街には女性が極端に少なかった……とは、よく言われる理由ですが、女性人口がふえてからも、衆道小屋は減らなかったという話も聞いたことがございます。
私事ですが、なまじそのあたりの知識を思春期に知ったせいで、絵空事としてのBLに抵抗がすごくあったりします。
さてさて。
藤沢周平先生の作品で、仇として狙われ、逃げ続ける男が出てきた話があって、哀切ただようお話でした。
追う方も、追われる方も、しんどい生活だったのだろうな、と想像できます。
現代的に考えると、『仇討』というのは、『司法』の捜査放棄であります。さらに、ガス抜きという側面もあったのでしょうが、成功率は非常に低いものでありました。
何十年も時をかけて、親の仇を討つ。誉ではありましょうが、復讐に生きるというのは、哀しくてしんどい生き方だなあ、なんて思ったり。
物語の世界では、洋の東西問わず、『かたき討ち』というのは定番ですし、人気あります。
そこまで、血なまぐさいものでないにしても、不条理な仕打ちに対しての意趣返しは、すごく人気があります。
悪役令嬢の『ざまあ』もそうです。
いつの世も、不条理が満ちているからこそ、愛される物語形式なのかな、などと思います。