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暦と占い

少し長いです。

人類史のなかで、最も古い暦はシリウス暦というのは、前にも書きましたが、農耕にしろ漁業にしろ、暦というのは死活問題であり、正確に『季節を知る』ということが常に求められておりました。

 『暦をつくる』というのは、特に政権をになうものにとって、非常に大切なものであり、当時のトップエリートたちが、その重要な役割を果たしたわけですね。

 今でこそ、黄道12星座は個人的な占いの星座ですが、かつては季節を知る大切な『指標』でした。


 子供のころ、星占いの星座が、季節の星座と一致しない理由がよくわからなかった私であります。

  星占いの星座は、太陽の位置で日付が決定していますから、例えば、『春の星座』であるしし座やかに座、そしておとめ座なんていうのは、星占いでは、夏から秋になってきます。これが本当に意味がわからなかったのです。自分、『いて座』『やぎ座』あたりの生まれなのですが(境界日のため定かでない)『いて』も『やぎ』も、夜空にはなくて。冬真っ盛りなので、見上げた空に輝く星はおうしや双子です。

 『太陽の位置』と聞いてはいたのですが、そもそも『黄道』の意味がわかっていませんでした。

  そもそも、なぜ、太陽の位置なのか。

 時間がはっきり測れない時代でも、はっきりとわかる時間、つまり日の出。この時に見える星座が一番わかりやすい、ということなのですよね。いや、もう、かなり大人になるまで、こんな簡単なことに気が付かなかった私であります。


古代人たちは、洋の東西を問わずして、天体観測をし、それをもとに暦を作りました。

日本のキトラ古墳にも、星図があります。これは東洋で一番古い星図ですが、黄道、赤道などがきちんと描かれております。(残念ながら、日本での観測星図ではなく、中国のものらしいですが)

 季節をはっきりと告げる夜空の星々のなかで、古代人を悩ませたのが『惑星』。惑星というのは、とても明るく目立つ上に、恒星とは全く違うルールで動きます。特に外惑星である、火星、木星、土星は、一進一退をくりかえす不思議な動きで、黄道をめぐりますので、さぞや不思議だったでしょう。

 星空が暦をつくるのであれば、惑星の動きにも意味があるに違いない……この疑問が、星占いの始まりです。

 西洋星占いだけでなく、陰陽道でも吉凶を占うために、天体を観測しました。

 天の声をきき、災いを避けたい。古代においての占いは国家規模の意志決定権がありました。

 近代にいたるまでの為政者の多くは『神の代理人』でありましたから、当然、『神』の意志を知ろうとしたのでしょう。

 災いを避ける力、それこそが『神』から授けられる権力者の威光になるわけです。

 ですから、歴史的にも、天災がおこると、為政者が変わる傾向があります。


 天体の動きでパニックになるというのは、何も過去のものだけではありません。

 いえ、なまじ近代になると、中途半端な知識が拍車をかけます。

 1910年のハレーすい星の接近時には、5分間酸素がなくなるという説が広まって、自転車のチューブを買い求めたという話があります。

 1997年、ヘール・ボップすい星の飛来のおりには、カルト集団であったヘブンズ・ゲートが集団自殺するという事件がありました。

 ヘール・ボップすい星は、とても明るく、肉眼で尾を引く姿が長い間観測できまして、天文ファンならずも心囚われるものでしたが、なんでも彗星のあとに、宇宙船が攻めてくるという話に悲観してのことだそうです。

 平成の世でもそのような事件が起こるのです。

 何もわからない時代であれば、国家を揺るがす大事件に発展する可能性もあるわけですね。


 もっとも、天体を観測してわかるのは『季節』の移り変わりであり、地上の自然現象との関連を見つけることは難しいです。太陽の黒点観測は、気候変動に影響があるかもしれませんけども。

 また、たとえば小惑星の衝突を予測できたとしても、おこるべく災害を回避しうるかどうか疑問です。

(映画『アルマゲドン』は小惑星を破壊しにいく話でしたが) 

 ですから、現在において、星の運行と世界の運命を関連付ける『占い』は、科学的な天文学とはまず無関係といえるでしょう。

 お好きな人は、現在でもたくさんいるでしょうが。


 余談になりますが。

 1054年7月4日。中国の『宋史』日本の『明月記』に、おうし座の超新星の観測記録が残っています。今は『かに星雲』となった超新星の爆発は、昼間に観測され23日間もの間、昼間、肉眼で観測されたそうです(ウィキ調べ)

 きっとたまげたでしょうねえ。 ただし、この『明月記』を書いた藤原定家は、有名な歌人。残念ながら? 陰陽師ではないし(苦笑)、超新星の爆発は彼の生まれる前の出来事で、陰陽師の報告を日記にかいたものらしいですが。

 ちなみにこの『明月記』によれば、1204年の京都で赤気をみた、と書かれているそうな。

 赤気というのは、緯度の低い位置で見えるオーロラだそうで、当時の地軸を計算すると日本でもオーロラが観測出来た、ということらしいです。

 天体や気象の歴史学って、面白いなあと思う今日この頃です。


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