独創性と個性は別のモノ
先日、お気に入りさまのところで『オリジナリティ』についての活動報告があり、興味深く拝読させていただいていたのですが。
ふと、思ったのです。
『オリジナリティ=独創性』と『個性』は別物なのではないかと。
『独創性』の高い小説というのは、『難解』です。
しかし、作者の『個性』が色濃く出た作品は、あまり『難解』とは思わないのですね。
私は今まで、独創性と個性は同じものと考えていたのですが、ひょっとしたら違うものなのではないかと、今さらに思ったわけです。
つまり「新しく作らない」物語でも、個性的にはできます。
いわゆる『王道』とされる筋を持つ物語でも、新鮮な輝きを持つものは多くあります。
もちろん、独創性も少しはあるでしょうが、そういう作品が『他と違う』原因の一番は作者の『個性』ではないかと思うわけです。
我田引水なお話を一つ。
私は、ギリシャ神話ものを2本書いてますが、そのうち一本は、『二次創作』タグを入れておりますが、もう一方は入れておりません。
ふたつの違いは、『独創性』。二次創作を入れている方は、ストーリー、世界感はほとんどいじらずに書きましたが、入れていない方は、世界構築から始めました。
でも、二次創作のほうでもたぶん、私の『個性』は出ているとは思うのですよ。
つまり。
『誰も考えていない』ものを作るのが『独創的』。『自分の考えを反映した』ものを作るのが『個性的』なのではないかと。
実は似ているようで、全然違うことです。
『誰も考えていない』というのは、『共感』を得たり、『理解』を得るために、かなりの説明などが必要です。
しかし、『考えを反映した』というのは、その考えに至る過程さえうまく伝われば『共感』を得やすいわけです。
もちろん独創性は大切です。しかし、いたずらに『変わったこと』『新しいこと』を追い求めた物語は、共感を得るもの実は大変であります。
幾多の物語と『同じでありながら、違うもの』に見せるものは、作者の個性ではないかと思うのです。
新しいものを作ることと、自分らしさを表現する、それは実は似て非なるものであり、小説においてはその違いを知り、両方をうまく使うことが、『新鮮』でかつ『共感』を得るには必要です。
そして、『王道』とか『テンプレ』のような『様式美』を踏んだ物語を書くならば。
ほんの少しの『独創性』と、自分らしさを練り込んで『個性』豊かに物語を紡いでいくこと。
それが、『思った通りの展開』を「うんざり」ではなく『楽しい』と読者に思わせるコツなのかな、と思います。