死後の世界
ギリシャ神話のオルフェウスの冥府下りの話と、古事記の伊弉諾の黄泉平坂の話は非常によく似ています。
どちらも、死者の国に愛する人を迎えに行くも、すでに死者の国の食べ物を食べてしまったために帰れず。
特別に地上に戻る条件は、決して『振り返らないこと』。
振り返った後のことは、ギリシャ神話の方がロマンチックな感じではありますが、非常によく似ていますね。
古事記にみられる、蛆などがたかる惨たらしい地下の国というのは、ある意味、現実の屍の状況からそのままの想像図です。
これが、仏教やキリスト教などになってくると、『天国』『地獄』のように、善行や悪行によって、死後の世界は変わってきます。
そうそう。今では三途の川に『渡し』があるというのは定番ですが、日本の古来の考え方は『橋』だったそうです。
死者の国へ行くのに、なんらかの『越える』空間があるというのは定番で、『舟』が必要というのは、エジプト神話なんかもそうですし、『橋』というのも、かなり多いお話。
そうそう。三途の川に渡し賃がいるように、ギリシャ神話の渡しにも、渡し賃が要ります。
ゆりかごから墓場まで。いや、墓場のムコウまで、この世も、あの世も金次第。地獄の沙汰も金次第とも言いますし。なんともはや、世知辛いのであります。
面白いところですと、ゾロアスター教なんかは、生前の善行や悪行によって橋の幅が決まっていて、橋の向こうに天国、橋の下の奈落に地獄があるそうです。
だから、善人でも、大ぽかやって、転落すれば地獄だし、悪人が針先みたいな橋を根性で渡りきれば天国に行けるらしい。個人的に、超ツボのお話でした。
死後の世界というのは、世界各地、各宗教で少しずつ違うのですが、なんとなく共通項もあって、非常に面白いです。
『正解』なんて、生者は誰も知らないわけですが、『人』が考えることというのは、案外、似かよっているのだなあなんて思います。




