私は天才……たいていは錯覚です
はじめて小説を書くきっかけというのは、たぶん『コレなら自分も書けるのでは?』とか『自分の方が面白いのが書けるのでは?』という、『錯覚』を抱いたというのがきっかけと、いうひとも多いかと思います。
多くない? 少なくとも、私はそうです。恥ずかしながら、今もそうです。
自分の書いた作品というのは、たとえ思ったとおりに書けていなくても、自分の脳内でストーリー補完されますので、自分の中では展開的には面白い作品のはずです。逆に、自分が面白くないと思う作品なら、誰にとっても面白くない可能性が大だと思います。
ですから、なろうのエッセイジャンルで『ランキングに面白い作品がない』という意見が見られるのは、『こんなに面白い自分の作品が、なぜ、評価されないのか?』という不満から発せられることが多いわけです。ただ、必ずしも『作者』の不満が正当か、単なるやつあたりかは、わかりません。
だって、自作のレベルって、自己評価は、下手したら1.8倍になっているはず。(2倍と言わないのは、自分へのプライド)
自分の作品が、本当に他の作品と比べ、面白いのか、どうやって客観評価を下したらいいのか。
ものの本によれば、書いてから一週間以上放置して、読み直せ、と書いてあります。書き上げて、しばらく放置すると、多少冷静になるからだそうで。
ただし。やっぱり本人が書いた以上、足りない表現などは脳内で補完されてしまうので、完全に冷静な視点とは言えない訳ですが。
この客観性というのは、自分がどれだけ『良い作品』に触れてきたのか、その作品を分析してきたのか、というのが重要になります。できれば、ネット読書だけでなく、商業小説をしっかり読書すべきだし、テレビにしろ映画にしろ、常に『長所、短所』をあげる訓練をするとだいぶ養われます。
個人的には、テレビの放送モニター経験がとても役に立っていると思います。
さて。
自己分析をした後で、次の段階に進むと、なろうのような投稿サイトの場合、PVや評価が気になるわけですね。
ちょっとしたポイントの上下で、一喜一憂する、作者的アルアルであります。
もっとも、本当に作家になりたいのであれば、ぬるぬると評価を待つのではなく、ガツンと作品を仕上げ、ネットでない公募や、出版社に持ち込むくらいの気合はあるべきじゃないかな、と。
投稿サイトから小説家になれるひとは、ほんのわずかです。
とにかく。
初投稿がいきなりランキングに! なんてひとは、ほんの一握り。
たいていは、感想もブクマも来ないのが当たり前。
ただ。なんだかんだで、なろうというのは、ランキングにのらなくても、ブクマがなくても、読者が比較的ついてくれるサイトだと思うのです。なんといっても、読者の数が多いサイトですから。
私も更新して二ケタのらない作品もありましたが、それでもパソコンの中に眠らせておくだけだった昔に比べれば、『誰か』が読んでくれたと思えば、幸せと思わねばなりません。ところが、問題は、人間の欲は際限のないものであり、読まれるだけじゃなく、自己評価が正しいのか、それとも錯覚なのか、それだけでも知りたいと思いはじめます。
私が思うに。作品の評価は、完結した時に決まる、と思います。
逆に、そこで評価されないのであれば、少なくとも『なろう』読者のニーズはない、と覚悟するべき。
もちろん、『なろう』でウケないからといって、ダメな訳じゃありません。ここは間違えないでください。さらにいえば、『なろう』でそこそこにウケても、作家として成功できるかは別問題です。
自分の作品を『客観的』にみる『力』を養うことは、作品向上にも役立ちます。
そのためには、自分以外の作品を『客観的』にみる『力』をつけていくことが大事じゃないかな、なんて思ったりするのです。




