災害と神
野菜が高騰しております。
これは、台風による影響によるものであります。
天災は、しかたなし……ではありますが。
太古の昔から、水害というのはどこの国でもありました。エジプトの時代に、『シリウス歴』が作られたのも、この水害から、身を守るためのものであります。
水害というのは、ひとや、人の住む住居のみならず、田畑に多大なる損害をもたらすものではありましたが、同時に、山からの栄養分を運び入れ、土地を肥沃にするという側面も持っていました。
この二面性を如実に表しているのが、ヒンズー教のシヴァ神であります。
シヴァは、破壊の神でありながら、再生を約束する神でもあります。
シヴァのもたらした水害は、植物を育てるめぐみになりました。
『破壊の神』などとみると『邪神』のように思える方もいらっしゃると思いますが、シヴァは、ヒンズーにおいて、ヴィシュヌ、ブラフマーと並ぶ最高神の一柱であります。
シヴァの奥さんは、パールヴァディー。
このシヴァ神信仰というのは、荒ぶる男神、いわゆる男根信仰というちょっとR指定ものな原始的な信仰の側面がございます。詳細は省きますけども。ちなみにシヴァは愛妻家。最初の妻サティ-をなくしたあと、妻の遺体を持って世界を放浪したらしいです。パールヴァディーはサティーの転生だそうな。ちょっとロマン。
さて。シヴァの別名マハーカーラは、インド密教にとりこまれ、大黒天と漢訳されます。(ウイキ調べ)
日本に入ってくると、財福の利益が強調され、大国主といっしょに習合して祀られるようになりました。
いわゆる、七福神の、『大黒様』であります。
形が変わってしまったかのようではありますが、日本の大黒天を祀っている神社は、いわゆる生殖器崇拝の影響を残しておりまして、子宝のカミサマでもあります。
シヴァ神の話はさておき。かなり脱線してしまいましたが。
太古の昔、『カミサマ』というのは、『良きもの』『悪しきもの』であり、ただ力をふるうだけのものでありました。日本の神道のカミサマは、これに近いものがあり、祟られたら困るから祀ってしまえ、的な感覚は、たぶん、欧米人より簡単に理解できるのではないかな、と思います。
これが、教義が生まれて『宗教』になると、カミサマとひととの関係は、神が力を押し付ける一方通行な関係から、かかわりが変わっていくように思います。
大自然が人の手でコントロールできないということは、今も昔も変わらないことです。そこに立ち返ってみれば、目に見えぬ力をふるう神にひたすらにおそれおののいた、古代の人々の気持ちはなんとなくわかる気がするのです。
現代人は、災害があると、『神などいない』と思う光景と感じることが多いのですが、古代の人々は、そこにこそ『神』を感じていたのかなあ、なんて気もする今日この頃です。




