誤解
あるお笑い芸人さんのコントネタで、『誤解』や「ズレ」から生まれる『笑い』を計算しつくしたものがあります。かみ合わない会話や行動の中でのお互いの『ズレ』がなんともいえずおもしろいのです。
ただ。お笑いなら、それでいいのですが、日常では、誤解や認識のズレって面倒なものです。
面と向かって対話しても、そういったものはあるわけで、当然、文章だけのネットや、小説などでは、文章力、読解力などの問題も絡まって、大問題になることがあります。
個人的に、ちょっと身に染みたことがありましての、今回のお題となりました。
さて。この『誤解』というのは、物語の中核を担うことが出来るくらいのファクターであります。
D・フランシスの名作『興奮』という作品では、主人公が、依頼人の娘に乱暴を働こうとしたという誤解を受けます。実際には、娘の方が誘惑して失敗して嫌がらせとして主人公を貶めたという展開なのですが。
しかし、主人公は、ある任務中で、誤解を解く機会が与えられません。むしろ、その誤解を利用し、身を落とすようにして任務をこなしていくのであります。
これが、強烈にシビレます。ハードボイルドであります。
誤解というのは、『いつか解けるかもしれない』という『期待』があるぶん、ある意味、事実を責められるより、悔しく、さらにある意味、孤独です。
誤解をした側でも、『自分が間違っていた』という事実を突きつけられた時、相手に非がないのに、自分が相手側にしてしまったという『非礼』は、もはや消せない事実であり、そこをどうやって償うかというのが、誤解をしてしまった側の人間性になっていくわけであります。
恋愛ものでも『誤解』は定番です。
嫌な奴という誤解が解けたら、恋が始まるって、バカみたいな定番ですね。あとは、うまくいきはじめると、誤解があってすれ違うというタイプありますね。
物語的には定番の『誤解』。なろうでは『ヘイト系』として嫌われることもあるようですが、うまく使えば、スカッとする痛快な物語にもなります。