感動の大作は苦手です
私はいわゆる『感動の大作』というウリの作品が苦手です。
映画でよくある『全米が泣いた!』とか『日本中に感動の嵐』的なあおりがつくような作品。
とにかく『感動』の押し売りが嫌なのであります。
もちろん、そういうあおりがあっても、本当に素敵な作品はあります。
しかし中には。
『さあ、泣け。泣けるよね? 泣きなさい』みたいな、演出過剰な押しの強さがある作品があります。
そういう系の作品というのは、素晴らしいテーマを持ち、社会に訴えるべきことがあり、人間として心をうたいあげる、そんな作品であることの方が多いとは思いますので、文句を言うのは私のような天邪鬼だけのような気も致しますけども。
実際。私にとっての感動の作品というのは、『感動』と、うたわないもののほうが多いのです。
小説でも、映画でも。主義主張を、訴えることは素晴らしいことではあり、そういったテーマを掲げた作品を否定するものではありませんが、できれば、ストレートに語るより、作品からじんわりとにじみ出るものであってほしいのです。
オーバーな話、『友情って、大切だね!』とセリフで誓い合うのではなく、ストーリーの中でじんわりと共感したいのです。
ブラッドベリの火星年代記『優しく雨ぞふりしける』だったかな。
人物が全く出てこなくて。誰もいない家で、自動的に動く機械の風景を書くだけのお話ですが、滅茶苦茶『反戦』的なストーリー。特に戦争表現も何もない。人物がいないから、セリフで無常さを訴えるわけでもない。
でも、感じる。
こういうのが、凄く好き。
文章作法の本なんかを読むと、『テーマ』を決めなさい、なんてよく書いてあります。
もちろん、それは大切だとは思います。
でも。少しでもエンターテイメントを意識するなら、主義主張は訴えるものではなく、にじませるべきではないかな、なんて思うのです。
ひとは、押し付けられるものよりも、共感した方が、より深く感動できる……そんな気がします。