日常が壊れていく世界
異世界だけ書くのも片手落ち、ということで。
平井和正先生の『幻魔大戦』をご存知でしょうか?
もう少し新しいところだと、浦沢直樹先生の『20世紀少年』。
この二つの作品は『信じていた日常』が崩れていくところから始まります。
異世界ファンタジーが、不思議なことに理屈をつけなければいけないというジャンルだとしたら、現実世界のファンタジーやSFやホラーは、現実の中に不思議が介入してくるというジャンル。
好みにもよりますが、このタイプの作品は『日常』が『壊れそうで壊れない』というさじ加減の時が、一番面白いと思うのです。
幻魔にいたっては、最後は、一般ピープル視点は全くなくなってしまい、能力者のお話になってしまい、どこか遠い次元に行かれてしまった感を私は味わいました。
20世紀少年も、ともだちの影が見え隠れしているところが一番ドキドキしました。
現代社会が舞台の場合、読者に世界説明は不要です。不思議なことを不思議と感じるように描けばいいわけです。
ただ、この不思議が物語とともに拡大していくと、現代社会からどんどん世界は離れていくので、主人公と読者の距離が離れないようにするのが、実はとても大切です。
伝奇ものではなく、妖精が来るようなほのぼのするお話なら、日常を丁寧に描けばリアルを持続できますが、伝奇オカルト系は、最終的に巨大な何かと戦うような展開が多く、そうなると、リアルに考えるなら、警察は? 自衛隊は? 政府は? などという疑問と戦わねばなりません。
私見ですが。
伝奇オカルトの場合、たとえば魔王降臨のようなラストバトルになったとしたら、早急に物語を畳みはじめるのがよろしいかと思います。終結に向かっているのであれば、ビルが壊れて、インフラがマヒして、人がパニックになったとしても、読者はついていきます。
ビルが倒れて、インフラがマヒして、人が死んで、世界が壊れて……新キャラ登場、新章はじめだと、かなりうんざりします。よほど面白い作品でないと、続きが気になるとは思えません。
ローファンタジーやSF、ホラーで、現実世界ものというのであれば……日常は壊しすぎない、というのが鉄則かなあと思います。




